人文特講(文学)後期の学生の感想集

 数年前から法政大学の多摩校舎で「人文特講(文学)」という通年科目を担当している。うちの学部には田中優子先生がいらっしゃって、こちらは江戸学、日本文学がご専門、というわけで、金原の分担は西洋文学。というわけで、一年間、神話の時代から近代小説の発生、そして現代までをしゃべることになっている。

 〈  〉に入っているのが、金原の感想や意見。


人文特講II 1月16日
恐怖小説と言うのかはよく分かりませんが、私は江戸川乱歩が好きです。去年、渋谷に「乱歩地獄」という映画を見に行って、それはワクワクしたものです。乱歩の作品はどれもなにか生々しくて、今も衰えないツヤがあります。恐怖にとりつかれた私達人間はみんなこのツヤを求めているのでしょうか。ツヤを失った生活、人生はつまらないですもんね。そういう意味で(どういう意味だ!)この授業もかなりツヤのあるものでした〈人生、ツヤは必要だと思う。うるおいにもつながるし〉/シルヴィ・ギエムの「スモーク」は、もうダンスという枠組みではないのではないかと思った。人間の体や動きをここまで美しく見せられるのは、すごいと思う。彼女はバレリーナやダンサーではなく、「表現者」なのだと思った。また、今回最後に恐怖小説の話が聞けて良かった。今思うと、小学生の時とか本と言えば恐怖小説ばかり読んでいたので/どんな分野の小説も全て〝リアル〝という点においては共通している、ということは新鮮な発見であった。人が実際に見る光景や、映像と違って紙の上に文字によって書かれる、比較的限られた条件の中で、いかに現実に近い世界を描き出して行けるか、というところに人々は魅力を感じるのかもしれないと思った/今回一番興味を惹いたのは、モダンダンスの映像であった。人間があそこまで綺麗に、しなやかに動くことが出来るのかと思ってしまうほど驚いてしまった。セリフも無いのに、あの体一つ一つの動きから、顔の表情、すべて表現できるものをフルに使っていて、何か、無言の圧力のようなものに取り巻かれているかのような感じがした/終わりました。人文特講が終わりました。2~3年の頃に履修しておけば良かった……。そうしたら、もっと自分の視野が広がったのに。社会人になっても仕事以外に自分の趣味を大切にして、うるおいながら生きていたいです。月曜の朝から不思議な音や画を楽しめるこの授業が良かったです。寝覚めのコーヒーがあれば最高です。さて、人文特講で学べたのは、文学の歴史だけでなく、その〝表現方法〝です。様々な表現方法を学べました。シュール、アングラ的なものが多く、非常に良い心持でした。自分を吐き出す方法、表現する術を持つ、ということは、これからの自分の課題でもあります。あぁ 何か ドロッと 出したいものです〈作家の深沢七郎的にいうと、まさに、それが表現ということになりそうだな〉/最近だと、ファンタジーアドベンチャーに近い恐怖映画のヴァン・ヘルシングとかがありましたが、あんまり面白くなかったなぁ……。あーゆー「よせあつめ」は欲張り過ぎてダメですね。あと、トム・クルーズとブラッド・ピットのインタヴュー・ウィズ・ヴァンパイアは恐いというかグロいという感想しか持ちませんでした。やっぱり昔のドラキュラとかフランケンシュタインとかが、ただ血を見せるんじゃなくて心理的にせめようとしてる感じがして好きです/今日見た〝モダンダンス〝は、今まで私が知っているバレエの概念を覆す衝撃を与えられた。一つ一つの動きも変わっていれば、着ている衣装までもダンスの中に組み入れてしまうという何とも不思議な世界だった。しかし、表現したいものは何となく分かった。私には人間の一生、生まれてから死ぬまでを表現しているように見えた/シルヴィ・ギエムよりかラララヒューマンステップスの映像の方が私は見ていて好きでした。ラララヒューマンステップスは踊りや音楽が激しい感じのもので、まさに現代の目まぐるしさや混沌が表現されているような気がして、とっつきやすかったと思ったからです/私はメディ社に入ったけど、あんまり映画を見ることなく18年間過ごしてて、そこで先生の授業で舞台や映画のお知らせを聞いたり、観賞することで、すごく映像に興味を持つことができました。これからは、自分で好きな映画、本を見つけるために、たくさん触れ合いたいと思います/後期の授業を振り返ってみて、改めて人の表現というものは豊かだと感じた。手紙、音楽、ダンス、ファンタジー、恐怖と今では表現として確立されているものも、当時では画期的であり、それゆえに認められなかったものも中には多くあるのだろうと思われた/僕は小説の枠組みってなんなんだって思いますね。児童文学の中にも高尚な中身のものもあるし、大人向けとうたわれているものにも、どうしようもなく稚拙なものがあったりで。ライトノベルなんかも変なイラストでスルーされてたりで、先入観って持つとロクなことないなぁと思うのです/アダム・クーパーもそうであるが、旧来のバレエ界で頂点を極めたダンサーが、モダンや独自の可能性を確立し、新しい分野を開拓するのが増えている。型にとらわれない新しいバレエが求められると共に、バレエダンサーも踊り手だけではなく、自己を芸術家にしている証だろう。昨日の「情熱大陸」で特集された小池ミモザという176cmのモナコのバレリーナという人も新しかった/モダンダンスや舞踏が最近気になっていたので、今回二つの作品を見ることが出来て良かったです。少し前の美術手帳がこの特集だったので、このジャンルの芸術活動が最近の一種の傾向なのかなぁと感じています。最近はゴテゴテのCG作品やノイズ系やアヴァンギャルド過ぎかも!? という中で、(モダンダンスも確かにアヴァンギャルドと言われればそうなのかもしれないけど)人間の体一つで表現するというシンプルなものに回帰しているのではないかと思います。人間の体を使って技術を目の当たりにすると、人間そのもの魅力が伝わってきます/古典から色々と勉強してきて思ったことは、文学はそれ自体が歴史になっていくということだ。社会科で習う歴史は一つ一つの出来事を合わせて歴史と呼ぶけど、文学は全ての作品、全ての流れが歴史の重要な1頁になっている印象を受けた。分かりにくくてごめんなさい〈いや、とてもよくわかります〉。1年間楽しかったです。有難うございました/でもダンサーの体の線がとてもきれいで、人はこんなにもきれいに停止できるのか、と少し感動した〈そう、停止の美、歌舞伎にもあります〉/あのモダンダンスとても良かった。あの女性のあの足、とてもキレイでとても筋肉質で、手足が長いことはもちろんなのですが、「スモーク」のあの世界観、セリフなんてほとんどないけど、手にとってわかるような感情を全身で表すダンサーの表現力、そして画面を巧く使いこなす編集の妙など、すべてにとって芸術的な作品であった/今年一年色んなものに触れてきたが、私は最初の方の頭山がすごく印象深いです〈ひとつでもそんなふうに、どこかに覚えておいてくれるとうれしい〉/一年間この授業では、びっくりする話をたくさん聞くことができた。社会学部の301で始まったんだなぁと思うと懐かしい……。一年間ありがとうございました/この授業をとらなければ、きっと一生見ることのなかったほどのインパクトのある作品でした。先生の授業で教わったことは、ここに書けないほど沢山あります。それを土台にして次にステップアップしていきます!!〈その気になれば、いろんなものがみえてきます〉 /授業の冒頭で観たモダンダンスの映像について、先生はアヴァンギャルドだとおっしゃっていたけれど、どういう要素がアヴァンギャルドなのか今イチ理解できなかった。確かに「何かが変」というのは、明らかだったけれど、その要素の一つ一つが「何が変か?」を読みきれなかった。「変」の立証がなければ、アヴァンギャルドな作品自体の意味も分からないと思った。おそらく作者としては一つ一つに意味があって作っていると思うので、その変をもっと読みこんでいきたいと思った〈そのへんは難しいね。もしかして、作る方はなんの意味も考えず、ただ身体を動かしているのかもしれない。それに意味を付加するのは観客のほうで……〉/モダンダンス、特に「スモーク」は面白い!生で見たらもっとウォーってなる。自分もダンスをしている身として勉強になった。(ジャンルは違うけど)/今日のヴァンパイアの話で、ヴァンパイアの苦手なものの一つにゴマやケシの実があるということでしたが、セサミ・ストリートに数を数えるのが好きなヴァンパイアがいましたが、納得しました。にんにくや十字架ぐらいしか知りませんでしたが、欧米では有名なことなんですね。ファンタジー小説も恐怖小説も当時を生きる不安な心理に受けたのではないかと思いました/『フランケンシュタイン』はゼミで分析教材として使用したので思い入れがあります。SF形式の小説がまだ珍しかったので、物語は手紙形式で始まり、リアリティを演出しています。クローン技術に警鐘を鳴らすかのような壮絶な怪物の憎悪は、非常によく描かれていて、それが女性によって書かれているということにまた驚きを隠せませんでした/バレエも含めた踊りの前衛芸術は、どれも自分の内面を体全体で表現しようとしていることが、他の分野の前衛芸術よりも、ある意味では分かりやすいと思った/ラララヒューマンステップスの方は、人が動いた時の残像が面白いと思いました。音楽も途中で入るノイズ?のようなものが心地良く、良かったです。これからも自分の感性に従って色々な作品を楽しみたいです。先生はハリー・ポッターは好きなのですか?〈話すと長い〉/今日最後に出た「リアル」という言葉。ファンタジーでも恐怖小説でも単なる空想ではなく、そこに描かれている情景だったり、人々の感情がリアルであればあるほど、多くの人々を引き付ける力が強くなるんだと、レポートで小説を分析してみて思った/ホラーとミステリーの違いって何なんでしょうか?殺人事件でもホラーに入ったり、妖怪が出てきてもミステリーになることありますよね。グロいかそうでないかでしょうか〈というより、その時代、その時代の出版社の演出の方法かな〉/今日はなぜか朝の四時半まで眠れず、ボーっとした状態でしたが、社学のカリキュラム改正で人文特講が無くなってしまうということを知ったのと、今日で最後の授業であったことからいつもより頑張って聞きました〈ありがとう〉/私はどちらかと言うと、「ラララヒューマンステップス」の方が好きです。ダンスを見ている間ずっと、彼女達の筋肉がすごいなぁと思って見ていました。筋肉番付のマッスル・ミュージカル(?)みたいだなと思いました。(見たことはないですけど……)でも全裸で踊るシーンがあると聞いて驚きました。人文特講で見る作品は、けっこう過激なものが多いですよね〈たまにはいいでしょう〉/ギエムのあのしなやかさは何でしょうね。私も以前、彼女の舞台を見に行った事があるのですが、その時はモダンの要素をクラッシックと混ぜたようなダンスでした。その時にも彼女は回りの人達と明らかに違っていて、(これは上手く言い表せないのですが、表情の豊かさも動きの軽やかさもピカイチで)「この人は何だ!?」と思いました。でも今日見たモダンダンスにはもっと驚きました。すごく独特な世界観で思わず見入ってしまいました。今までのものでは表現し切れないものがあると先生も仰っていましたが、彼女が今日の作品の中で何と表現したかったのか分からないまでもその事だけは感じ取りました〈それで十分です〉/「小説」というと、あらゆるジャンルがあり、単に「読み物」というイメージしかありませんでした。でも小説にも歴史があり、その時代ごとに新しい風が出てきて、そして受け継がれ、あるいは改良され、今もなお成長を遂げているのだと知って、これからもその流れが楽しみだし、今までとは違った見方で小説を読める気がして楽しみです/最後に。以前、日本の小説は縦書きということをお聞きしましたが、小説だと手紙も縦書きなのは変だなと気付きました。改まった手紙は縦書きでも親しい人に出すのは横書きです。この前「冷静と情熱の間」のビデオを見て、順正があおいに送った手紙も横書きだったのですが、同じ手紙の文章を小説で縦書きで読んでいたので、少し驚きました/バレエのイメージをすごく変えられました/最初に見た方のモダンダンスは、動きが柔らかくって、すごいなぁ……と思うと同時に、やってることの伝わらないパントマイムを見ている気分でした。解説ください……と、感じました。あの分からなさが芸術なのかなぁ……とも思いましたが/今年はナルニアの映画が上映されますね。ファンタジー映画は大好きなので、とても楽しみにしています。今日先生が少し説明されていましたが、もう見たのですか?〈試写会で〉/前期から後期と人文特講を受けてきて、今まで自分では絶対に手に取って来なかった作品を読んだり、先生に勧められて初めて歌舞伎や舞台を観たり、とても新しい出会いができて、とても良かったです。最後に、結局小説の〝小〝は、最後に話していたように、まだまだ新参者だから〝小〝なんですかね?前期から気がかりだったんですけど……〈それ、二日にわたって話したんだけどなあ。いなかった?〉/特にシルヴィ・ギエムのダンスは、現代社会の人間の比喩のようにも思われる様々な仕草や表情が、一瞬も目を離せないほど魅力的でした。恐怖小説は、起源は「ホラー」という印象はあまり感じられないストーリーに思えましたが、物語の影にいる悪役が修道僧であるというのが面白いと思いました。当時の修道僧に謎めいた陰湿なイメージがあったのでしょうか〈ありますね。歌舞伎でも破戒僧とかよく出てくるし〉/ファンタジー=子どもの読むものという印象が自分の中にずっとありました。だから「ハリー・ポッター」は子どもだけじゃなく大人も楽しめる。だからすごい。と思っていたけど、大人のものになってしまっていたファンタジーを子どもの元に還したという功績があると言われ、びっくりしました。レポートの内容とはくい違ってしまうけど、その通りだと感じたし、文字離れしている日本の若者、子どもたちに、本に対する興味関心を植え付けてくれたことも、大きな功績なんじゃないかと思います〈ですね〉/最初に見たギエムのダンスは、普通の人は音に合わせてダンスをするものだと思うけど、この人たちは体の動きからリズムを生み出しているようで不思議だった。人間の表現はほんとうに幅広いなぁと思う/今日はシルヴィ・ギエムの「スモーク」が凄過ぎて、驚いてしまいました。とても生身の人間の動きとは思えませんでした。夢の世界のような雰囲気ですごく幻想的で、生々しさもあって、かっこ良かったです。毎年来日しているとのことなので、彼女の動きを生で見てみたいと思いました。そして最後に、先生が仰っていた、詩や劇を50歳だとすると、小説はまだ15歳だという言葉がとても印象的です。つい、古くからあるものと思ってしまいがちですが、小説はまだまだ誕生したてなのですね。ということは、これからもどんどん変化していき、新しいジャンルが生まれたり、新しい試みがなされるのかな、と考えるとわくわくします/ハリー・ポッターもダレン・シャンも大好きです。ありきたりなパターンなのかもしれないけど全然飽きの来ないストーリーで、毎回ハリーは発売が楽しみです/ギエムのダンスは凄かった。あんなバレエは初めて見たからとてもびっくりした。とにかく体のラインが〝キレイ〝で頭の先からつま先まで、神経を集中させていてとてもキレイだった/私は怪奇小説というとリングやらせんのような今の小説を思い浮かべていたので、それが登場したときは、今みたいなものではなかったと知って驚きました。どちらかというと昔のものは人間同士の争いや、人の内面の恐ろしさを描いたものだったのではないかと思いました/今日は、モダンダンスがとても印象的だった。人間や生き物の心の中の悲しみや喜びや葛藤を、体全体で表現したらこうなるんだなぁと思った。とても激しさを感じた。本当に表現方法は山ほどあるのだと実感した/この講義を一年間受けて思ったことは、結局、自分は何も分かってはいないという事です。18年間生きてきて、その人生の中で膨大な数の本や芝居や映画やドラマや、あらゆるものに触れてきて、それなりに芸術というか、そういうものの見方を「分かっている」つもりになっていました。でも、この講義で色々なジャンルの文学や芸術を知る度に、目からウロコというか、そういう見方もあったんだと気付かされました。でも、同時に自分の見方は間違いだとか、そういう見方が正しいとかではなくて、どれが正解ということはなく、結局は本当に色々な見方、解釈、そして様々な文学や芸術があるんだなぁと思いました。1年間すごく為になったし、何より、面白かったです〈知っているつもりでいたのに、違っていたとか、まったく知らないことをつきつけられるって、快感でしょう。そういう快感を求めて、人は映画や演劇を観たり、本を読んだり、音楽をきいたりするのかなとか、たまに思います〉/どこかで見た動きが何ヶ所かあって、特に腰の前で手をバタバタさせる動きは、どうしてもワッキーの〝芝かり機〝を想起させ、笑わずにはいられませんでした。とすると、ワッキーはモダンダンスをお笑いに取り入れているのでは。お笑いのアヴァンギャルドはアンガールズです/そういえばこの間本屋を見ていたら、岩井俊二のPicnicをジャン・ピエール・ジュネが……という風に紹介されていた本を見つけて、そんな風に書かれたら思わず買ってしまったのですが、その本の訳者は先生だったんですね。ヘブンアイズの「~だだよ、とかは言文どうなってるのだろうと気になったりしました。読んだ感じヤングアダルトってのに分類されるようには思ったのですが、ライトノベルしかりそういうのはどう分類されているのか気になりました。でもこういうのにも「リアル」というのが流れてるんだなと思いました/シルヴィ・ギエム『スモーク』とても面白かった。特に印象に残ったのは、洋服のような衣装で男性と争う場面、彼に支えられて壁を歩くような踊りがあった。重力を微塵も感じさせず、ふわりと飛ぶように歩く動作はクラシックではあり得ないものだと納得した。最後のシーン、出産、妊娠を連想し、ギエム自身も苦しみ葛藤しながら浄化され、生まれ変わるようであった。救いのあるラストで良かった。この講義の中で興味深かったのはやはり「アヴァンギャルド」の項だ。ただ奇をてらった99%ではなく、真に新しい芸術である1%を、見たい〈同感です。が、本当に新しいスリリングな1%を観るためには、99%の「?」を観なくてはならないんだと思う〉/ラララヒューマンステップスはアップテンポのBGMに乗せて、激しく踊る姿は、見ていてとても面白かったです。後で楽器を演奏している人の動きもユニークでした。三人の女の人の踊りは、一見、三人の動きがバラバラに見えて、その中に協調性があるように感じました。あの踊りは何かエアロビクスに似た感じがしました/シルヴィ・ギエムはバレエなんだけど、言語を捨てた演劇って感じがしました。吸血鬼モノで一番記憶に新しいのは『ヴァン・ヘルシンク』ですかね。私の中だと。東欧の村が舞台なんだっけな、あ、ルーマニアだ/一つ不思議に思ったのはヴァンパイアとドラキュラとは違う生き物なのでしょうか〈ヴァンパイアは「吸血鬼」という意味の普通名詞で、「ドラキュラ」はペンシルヴェニア出身の吸血鬼の固有名詞です〉。ごまに弱いとは知りませんでした。ヴァンパイア繋がりならば、ダレン・シャンですよね?? 一冊目は独特の無気味さがあったのですが、途中からストーリーが読めてしまい、オススメはしませんけれど、個人的に/もう一つの個人的に気になったのはイギリス女性作家の活躍でした。確かイギリス女性はウーマンリヴの火付け役もしていたよなぁ、とメアリ・ポピンズのワンシーンを回想していました。やっぱりイギリスの女性は強いのでしょうか?〈どうでしょう〉イギリスで生活していたことがあるので、思わず懐かしくなりました/人文特講では様々なジャンルの作品に触れることが出来て、私もそこから興味の枠が広がったものばかりです。先生、ダルデンヌ兄弟の「ある子供」でレビュー書かれましたか?(勘違いならごめんなさい)ある子供、どうでしたか?私は「息子のまなざし」の方が好きでした(笑)ロゼッタよりは今回のです。けど、これも個人の嗜好ですね〈はい、パンフに解説、書いてます。あと、「小説すばる」のエッセイでも書いてます。ああいうのはとても好きですね。とくにエンディング、あれは小説じゃできない〉/最後に先生が、小説はまだ若いジャンルだというのを聞いて、私の中で〝純文学〝と呼ばれるようなものしか、世の中では認められないのかなぁと思ったけれど、怪奇小説が見なおされたように、やっぱり最後まで残るには単純に「面白い」作品である事が大事なんだなぁと思いました。「面白い」って、逆に一番難しいけれど、でも縛られてない、いくらでも開拓できるところでもあるはずです/アヴァンギャルドは、とても不思議で上手く表現できない世界だと思いました。しかし、バレエで表し切れないものが溢れ出た形というのには、なるほどと思いました。人間の持つ表現手段は、文字やコトバがほとんどだと思いがちですが、このように体を使った表現というのも訴えてくるものを感じられるように思います/恐怖小説の書き手に女性がいた事に驚きました。フランケンシュタインとか、読んだ事はないですが、男性が作ったものとばかり思っていました。19世紀前半の女性もパワフルだったのですね。モダンダンスのシルヴィ・ギエムの体のしなやかさに、もう舞台の上下がよく分からなくなりました。人間の動きとは思えない、すごい技??の連発で不思議と意味は分からないのに惹かれました/嵐が丘をレポートでやった時、ホラーの要素を感じていたが、その事を授業でも少し触れていたので興味を持てた。ホラー小説は神話ではない事が残念だと思った〈『嵐が丘』、たしかにある意味、恐怖小説です〉/今日見たシルヴィ・ギエムのモダンダンスはとても印象的だった。何かとても重いものを感じた。所々、いや、全体的に意味不明な動きで、見ていると実に奇妙だった。なんとなく不快感を感じる部分もあった。しかし、その不快感はおそらく、私自身がその動きに反応を示しているからで、それを考えてみると、彼女の動きは心の中の自分達でも理解できない闇に包まれた部分をとてもリアルに表現しているように思う。この心の中というのは、自分にも相手にも理解不能な部分があるから、それを動きとして表現すると、このように奇妙で、ある意味気持ち悪いものになるのだなと思った/シルヴィ・ギエムのモダンダンスの映像がとても印象的でした。無様でエロティックでとても美しかったです。18Cイギリスの恐怖小説の舞台がイタリアやスペインの中世であると知り、子供の時に読んだスペイン民話集を思いだしました。シエスタから目覚めると両腕を悪魔にもぎとられていたり、父親が娘と無理やり結婚しようとする話が多くて、残酷で恐いなと感じたものでした/モダンダンスのスモーク、これほどに何かを表現したいというダンスは初めてだと思う。彼女は元々バレエをやっていたから、もちろん美しいのだけれど、「スモーク」では、舞台の演劇を見ているような感じであった。一つ一つの動きが面白くて、目を離せなかった。一年を通して、こんなに映画、文学、音楽に触れた年はなかった。そして全てが初めて経験する分野ばかりで、少しかもしれないが、視野が広がったように思います/モダンダンスは演劇ともクラシックダンスとも違い、なんか箱の中で踊らされている人形みたいだった。体がゴムみたいで、人形そのものだった〈おもしろい表現だな〉/この授業を通じて、本の中での様々なジャンルを学べた気がする。本を読むだけでなく、先生が推薦した映画や舞台などを観て新しい視野を持てたと思う。文学という分野だけでも、こんなにも新しい発見が得られた事がとても嬉しいです。これから始まる就職活動で出版社へ進む道を志したのも、この授業に出会えたからだと思っています。また、研究室で本を貸してください〈いつでも、どうぞ〉/一年間人文特講を受講してきて、やはり、授業中だけで勉強が終わってしまうのは悲しいと思って、自分からミュージカルや講演会に行くきっかけになりました/私はスティーブン・キングの作品が好きなのだが、彼の作品はただ恐いだけのものではなく、人間のおぞましい部分、グロテスクな部分を描いていて、「人間」に視野を向けているから、非ホラーの作品(スタンド・バイ・ミー、ショーシャンクの空にetc)などもしっかりと描けるのだと思う〈いい作家だよね〉/モダンバレエはこんなにも激しいのかと驚きました。体がくねくねと曲がり、ジャンプも休みなく、体の重さなんて無いかのように、ひょいと男の人に持ち上げられているのが印象的でした。そして、突然叫んだり、紙を食べたり、不可解な行動は、自分の心の中の自分でもよく分からない心を表現しているのが私の心にも響きました。アヴァンギャルドが何となく理解できました/今回で授業は最後でしたが、最後までとても深い授業で良かったです。小説の歴史というのが、何となく分かったような気がしました。18世紀に誕生した小説はまだ300年しか経っていないということに驚きました。これからもどんどんと発展していく小説の歴史を自分なりに知っていけたら良いと思いました/日常では考えられない動きばかりで、つい釘付けになってしまう位でした。楽しさや驚きというより、〝あっけにとられた〝という方が正しいかもしれません。すごかったです/どんなものでも『リアル』があるから面白い。『リアル』の追求というものは、とても奥深いものなのだと思った。こういう、他では扱わないようなジャンルを扱った授業が終わってしまうのはとても残念/サーカス、アレグリアも、言葉無しで、ストーリー展開される部分があったのだが、モダンダンスは、それが極められたようである/先生は前衛は殆ど99%は失敗に終わると言っていたが、これは1%に入るのではないか?その位すごかった。女性のダンサーにただ圧倒されっぱなしだった

人文特講II 12月19日
指輪物語のような新しい神話が神話のない国アメリカで60年代の価値観の転換期に必要とされ、ベストセラーになるというのは面白かった〈じつはイギリスにも神話はない〉/若者文化についての解説を聞き、先生が書いた『大人になれないまま成熟するために』の内容の一端を思い出しました。それを踏まえ現在の社会構造論について一言……以前のように「子ども」「大人」を隔てる明確な境界を共有できない現在においては、構成員を「子ども」「大人」とカテゴリー分けすることに、もはや意味がないように思います。いかがでしょうか?〈たしかにそれはいえます。しかしその場合、カテゴリーをなくしてしまうべきなのか、新たなカテゴリーを作るべきなのか、新しカテゴリーはなんなのか、という、そこの論議が必要ですね。「意味がない」なら、どうするか、問題はこちらのほうです〉/昔の作品で今にまで残っているものは、(ファンタジーに限らず)とても面白いです! ナルニア映画公開ということで、もう一度1~7巻まで読み返してみたのですが、「う~ん、やっぱりすごい……」と思ってしまいました。でも7巻の終わり方には納得いかないなぁ……。「みんな死んでました」なんて、ショーゲキ的過ぎですよね~。自分としては、「ライオンと魔女」、「魔術師のおい」、「銀のイス」あたりが好きです〈ぼくは第七巻が一番好きです。あそこが、すごいと思う。ただ日本語では読んでないんだけど〉/存在を認識されて初めて、それは実体となって自らの力を発揮するのだと思った。これからも世界で社会構造が変化していき、新たな層が発見、認識されることで、また今までにはなかった新鮮な文化が誕生し作られていくことがあるのかもしれない、と思った/「ロードオブザリング」は映画としても面白いようなのですが、先生はどう思われますか? 私は続きモノが苦手でまだ見ていませんが……〈映画、いいですよ。日本語の翻訳からは抜け落ちている「戦い」がじつにうまく表現されている〉/この授業に出ていてまたすごい映像に出会えた!という感じです。「草迷宮」。30年も前の作品なんですよね? なんだか信じられません。今、ミニシアター系で流されているようなアート系映画(例えば渋谷シネセゾン「乱歩地獄」)のお手本というか、基になっているんじゃないかと思うような新奇な感覚。それに日本の美というか、なまめかしさをよくここまで映像で出したな! あの時代に!という驚きですね。40分?見たい見たい。きっと見たいです。あと先生がお話してた(前回でしたっけ?)花村満月の「ゲルマニウムの夜」映画も絶対見に行こうと思ってます。本もすごく面白くて〈『ゲルマニウム』、映画のほうは見てません。ただ、かなり重そう〉/草迷宮……20年も前に作られたなんて信じられない。日本映画らしい映像美を感じました。新聞か雑誌で読んだんですけど、日本映画は景色をゆっくり横に流しながら撮ることが多いそうです。アメリカ映画は反対にパチパチ場面が変化することが多いそうです。草迷宮のストーリーすごく気になります〈ストーリーは、あまりないんだけど〉/今日見た映画も一種のファンタジーなのかと思った。恐怖とエクスタシーが混じっていて不思議な世界が映し出されていた。また、効果音や音楽も工夫されていて、鳥の鳴く声や女の人が歌っている曲などが流れてよりいっそう恐さを強調していた/今日見た「草迷宮」をファンタジーと先生は仰いましたが、どのような点からそれが語られているのでしょうか?もし説明済みだったら申し訳ないです〈先々週にやったので省略〉/全然関係ないですけど、本当は「歌舞伎」とか「芝居」に行ってみたいです。でもなかなか友達に誘いづらいし、一人でもいけません。でも人生の中で一度は必ず行ってみたいです。いや、行きます〈芝居も歌舞伎も、ひとりのほうがいいよ、気楽で〉/若者というのは、大人に対する失望とか不満から生まれたものかと思っていたので、豊かさというのも意外だった/「若者」って概念は、今となっては当り前で、逆にどこまでが若者でどこからが大人なのかって思ったりするのだけれど。その現代の若者文化というものに違和感を持つようになれば、ある意味大人なのであろうか。それともまだ子どもなのであろうか、ただのはみだし者なのであろうか/この前、映画館に行った時、ディズニー(?)がナルニア国物語を映画でやるという予告を見て、その時はオリジナルだと思っていたけど本当は昔からあるファンタジーなんだと分かって驚きました〈うん、驚きなさい〉/『ゲド戦記』がアニメ化されるそうですが、監督は宮崎ハヤオではなく、映画初挑戦の方らしく、どんな出来になるのか分かりません。宮崎が長年やりたがっていた作品なのになぜそうなったのか謎です。『指輪物語』などのファンタジーには必ずと言っていいほど「戦い」がありますが、アメリカ人に好かれるのもそのせいでしょうか〈いや、ファンタジーはイギリスでもブームだし、ドイツでも日本でもブームです〉/草迷宮は観ていて背中がゾクゾクしました。絶対最後まで観てみようと思います。若者文化の話はとても面白かったです。エルヴィス・プレスリーが黒人から曲を買っていたというのは本当なのでしょうか?〈いや、買ってはいない。ただ黒人の歌ってた歌をいくつか歌ってヒットさせている。まあ、彼の家は貧しくて、すぐそばで黒人音楽を聴いていたらしく、その影響も大きい〉/草迷宮に出演していた母親役の方って誰ですか? テレビで見たことのあるような方だったので気になりました〈母親役は新高恵子。もとピンク映画に出てた人です〉/最近、相次いで『指輪物語』『ナルニア国物語』が映画化されるようになりましたが、現代では子ども達や若者が夢中になっているのはもちろんのこと、大人も楽しんでいるように思えます。もはや、ファンタジーは子どもや若者だけのものではなくなったのでしょうか?〈ですね〉/ナイマンの曲、良かったです!少し感傷的になってしまいました。ただCDは高めですね……。この曲は今までの授業で聴いた中では1番目か2番目位に好きです。ピアノソロも好きなので/草迷宮良いですね―。月曜の朝からファンタジーです。私の価値観から言うと、CGのニワトリが街を守るためファイトを見せるなんてものより、こっちのがずーっと素晴らしい。「色きちがいの魔性の女」っていう言葉にぐっときましたね。冬休みには玉三郎主演の外科室見てみたいです。ここ数回の授業で60年代の子供の発見というテーマですが、私は〝狂人〝と〝犯罪者〝の発見に興味があります。今、卒論で「カブキにおける悪」という題で特に犯罪者の描かれ方を考察しているのですが、カブキって完全な悪(100%の人間から恨まれる)って存在しないと考えてて、むしろ、悪から善への〝もどり〝とか〝実は〝という過程を楽しむ、という傾向がありますよね。その辺り、面白いと思います。もどりと言えば仁左衛門の千本桜のいがみの権太にかなうものは無いっす。正月はTVが楽しみ。藤十郎襲名はいらないから松竹座中継してくれ!と思います〈まあまあ、籐十郎ごひいきのファンもいるし……〉/今ではファッションも映画も、社会の中心には必ず若者がいて、若者の考えや動向が流行となって社会現象となることもあるのに、昔は服ですら若者のがなかったと知って、ちょっと信じられませんでした/『草迷宮』を見て、幻想小説や恐怖小説もファンタジーだったということが、少し分かったような気がしました。でも、あまり今のファンタジーと違い過ぎて、変な感じです/ロックとかサザンとか、たしかにいやらしいですよね。そんなとこにパワーを感じて、私もけっこう好きです。やっぱ若者はパワーみなぎってるからですかね。いやらしいと言えば草迷宮は「授業で見ていいの?」と思うくらいすごかったです〈うん、たまにはこういうのもいいでしょう〉/アメリカはこれまでたくさんの文化を生んできたのだと実感した。情報の発信源ではあると感じていたけれど、ファンタジーの枠組を決めたのもアメリカがきっかけであったし、R&Rやフォークを生んだのもアメリカとは驚きでした。やはり多大な影響力を持った国ということは、否めないんですね。R&RがSEXを表しているとは衝撃でした!/指輪物語の大元はニーベルンゲンの指輪だという話を聞いたのですが、合っているんですよね?〈遠い祖先、という感じかな〉/黒人が歌うジャズの歌詞はなんか、こうぞっとするものがありますね、どこかの本で読んだ「奇妙な果実」という歌の詞は、私刑を受けて木に吊るされた黒人の話で、読んだ時、トリハダがたちました〈ビリー・ホリデーがよく歌ってますね〉/ファンタジーで一番重要なのは、世界観をどれだけしっかりと形成するかだと思っています。今でこそ、エルフや妖精=ファンタジーのようなイメージが定着しているけれど、それがなかった時代ではナルニアや指輪物語のような小説は書く側も読む側も大変なことだったのではないでしょうか。そういう意味でも、この2つの小説はとても魅力的な内容だったのでしょうね/ベトナム戦争の反戦運動を大学生が行ったということですが、そういう文化が日本にも伝わって日本でも学生運動が行ったのでしょうか?〈そういう流れはあります〉現代では、けっして若者が元気な時代とは言えないので、ある意味新鮮な感じがします/「草迷宮」は見ていて何となく不気味さや不穏さが漂っているのに、映像が美しく引き込まれてしまう作品でもありました。確かに今の「ファンタジー」という括りからは離れているとは言え、「幻想」という言葉が当てはまる作品だと思いました/ファンタジー小説について、これは童話とどう違うのですか?〈これもまえに話したので省略〉/特に、お母さんが門の所で日傘をさして立って、振り返るシーンはなんだかとてもキレイでした/昔〝若者〝がいなかった、ブサイクな存在だったということに、ひどくショックを受けました/今日「ホビットの冒険」についてきいたら、私は題名しか知らなかったので、フロドのことかなぁ……と思っていたら、映画の始めに出てきたフロドのパパの話なんですね!すごく感動してしまいました/昨日読んだ雑誌で「贋作罪と罰」をオススメする記事があって面白そうだなと思っていたのですが、今日の先生の話を聞いて是非行きたくなりました。他にオススメの舞台、ありますか?〈いろいろありますが、好みがあるし……〉授業でR&Rの話をしている時に50年以上前の話なのでいまいち実感湧かなかったのですが、サザンの話をされてよく分かりました。私の父がファンで、当時若者だったので、どうやって父がハマったかよく分かりました。先生はサザンお好きなんですか?〈はい、好きです。ニューアルバムも買ったし〉/先生、草迷宮見せていただいて有難うございました。一人じゃ怖くて見れなさそうだったので良かった。中盤過ぎくらいにお相撲さん(?)みたいな奴が出てくるまで見たかったです。文庫本を3~4頁ほど読んで挫折、DVD買おうとしてパッケージのあまりの怖さに挫折。今日まで私の『草迷宮』の歴史は挫折続きです。出演していて役者さん誰も知らないんですけど、妖怪っぽさが溢れてた。話は変わって、『床下の小人たち』大好きです。昨日また模様替えした部屋は床下のひっそり暮らす小人の慎ましさを表現してみました!〈メアリー・ノートンですね。うん、あれもたのしいファンタジーです〉/〝若者〝という層も〝子ども〝も、始めから社会に存在したのではなく、時代の変遷に伴って発見され、生まれるものなんですね。最後に先生が仰っていた、これからは〝老人〝が市場になるという話がなるほどと思いました/ヴェトナム戦争と若者たちの反戦運動の話は、最近他の授業でのレポートの題材にしたのでよく分かりました。知識が濃くなった感じがして嬉しいです/つい、この間、別の授業で「戦後、70年代に入るまで婦人雑誌は殆ど数が無く、若い女の子とオバサンが読む雑誌は同じだった。アンアンやノンノが出てきたのはそれ以後」というのを聞いていたので、脳内でリンクされていたのですが、よくよく考えてみれば、それって、つい30年ぐらいの話なんですよね。30年の間にこれだけ大きな「若者文化」が定着したのだから、「老人文化」の興隆もそう遠い話ではないなぁと思いました/老人文化が生まれて、老人が楽しくなったら、日本の社会も楽しくなりそうですね〈たしかに〉/『草迷宮』はとても怖かったです。観ていて、だいぶはまり込んでいたようで、教室の電気が点いた時は、何事かとびっくりしました。アメリカのWWⅡの無傷の勝利を土台に誕生した若者が、60年代にはヴェトナム反戦運動の大きな役割を担ったという事実は、若者が若者という層として自覚的に行動したのであるとは、少し過大評価でしょうか。たくさんの時間を与えられた大学生として、何が出来るか考えてみたいと思います〈ぜひ!〉/ヴェトナム戦争で、ちょうど、今の私達くらいの歳の人が戦争に行っていて、友達が死んで戻ってくるという状況が目の前にあったら、反戦運動を起こす気持ちも分かるなと思います〈そう、ちょっとした想像力があれば、だれでも分かると思う〉/海外に旅行した際、世界地図を見てみようと思う〈買ってきなさい〉/ナルニア国は絶対本を読んでから映画を見に行くと思うんですけど、きっと面白いこと間違いない気がします!ファンタジーが本当に大好きです。指輪物語は映画から本に入ったんですけど、だめでした。文体が昔でしかも訳されたものなので「です」「ます」調で途中で諦めました!〈「ナルニア」も「指輪」と同じ訳者です〉/今日取り上げた若者文化の誕生。ロックから学生運動まで、私は先生の話を聞きながらこの話を10年ほど前に公開された「フォレストガンプ」という映画の社会情勢がやっと理解できました/R&Rはちょっと卑猥なイメージがあったが、今日の授業で謎は全て解けた!/アメリカ。私たちにとっては身近な国なのではないだろうか。ニュースで聞かない日はないくらいだし、アメリカ映画だってよく見る。でも、今日の話を聞いて実は私はあまりアメリカの歴史について知らないんだと感じた。アメリカが戦場になった戦争は、ほとんどないと聞き、とても驚いた。あんなにたくさん戦争しているのに……/今日最初に見た草迷宮はいやらしくて過激な場面が多かったけど、見てて面白かった。男の人の体中に字を書いて女が来ないようにしている姿は凄かった。初めて見た映画だけにびっくりした。今の自分の隣に座っている人が徴兵されるとか考えられない/児童文学ということに関してですが、「絵本」=子どもが読むものみたいなイメージがある気がします。でも絵本から学ぶ事はたくさんあると思います。だから法政大学の図書館にも絵本をおいて欲しいと思います〈図書館に希望を出しましょう!〉/若者文化誕生の歴史背景がとても面白かった。この流れをもっと深く学べば色々な分野の学問に話が広がるし、現代のアメリカや日本が見えてくる気がした。Blues→City Blues→R&B or R&Rからの、その後の音楽の流れが気になった。あと、音楽が一番最初に若者が購買対象として経済的に目を向けられた理由として、ラジオ→TVの流れがあるというのも興味深かった。でも、それだけが原因ではない気がした……。他にも原因と言えるものはあるのでしょうか?〈もちろん、たくさんあります。出版界の保守性とか……〉/『罪と罰』1月に見に行く。小説、映画とは時代設定も主人公も変わっているということで、今から楽しみだ。レポートに反映できると良いなぁと思う/『指輪物語』は以前に読んだことがあるが、世界観や情景などが綿密に描かれていた。それは読者が勝手なイメージをすることが出来ないくらいだった/今日見た草迷宮は暴力的な表現が多くあったと思う。例えば、おしろいをぬった女の子が男を犯そうとするシーンとか、荒い波の海に男女が突っ立っているところなどもの凄い暴力的だった/次はパンクロックもやるんですか?〈その時間はなさそうです〉 それに影響された文学作品も知りたいです〈その時間もないなあ〉/「ナルニア~」も「指輪~」も出版して50年経っているんですね。前に言っていた青空文庫のように著作権は無くなっているのでしょうか?〈いえ、まえにいったように、作者が死んで50年間は著作権は生きてます〉

人文特講II 12月12日
私はそれ以前のように、ファンタジーはもっと広くとらえられても良いと思う。もっと言うと、フィクションで救いのある話はたいていファンタジーのように感じる。チャールズ・キングズリの水の子は以前にアニメの原作になっていた縁で読んだことがあるが、あれも一つのファンタジーだと思う/中学の時に「本当は怖いグリム童話」の本を読んだ時にとても驚きました。自分が知っている話と全く違っていて、しかも内容が今まで自分が見てきた童話にはない感じでびっくりしていたのを覚えています。細かい所までリアルに書かれていて、気持ち悪かったです/これまでに寺山修司の「書を捨て、町に出よう」という本を読んだことがあるけど、その時はこの人は小林秀雄みたいな人で、読んでいるこっちの肩が固まってしまいそうな気がして、もう読みたくないなぁと思っていたけど、今日のビデオにはうなずけるものがいっぱいあったし、それを実行してしまうあたりは、北野武みたいなものを感じました。面白かったです/僕はゴタールは非常に色彩感覚に優れていると思う。なんでもない部屋に赤色のカーテンやソファがあったりと、絵画のような映像で、見ていて飽きない/寺山修司のインタビューみたいのは、聞いて内容は面白いチャレンジや考え方だと思ったが、内容を何度も話したり詳しく語り過ぎて、自分達のした事への理解への言い訳に聞こえてしまうので、多くを語らなかった方が良かったと思う/1964年を1つのキーワードとすると、日本では東京オリンピック。ファンタジーとは無縁の出来事であると思う。なかなか、スポーツとファンタジーを結びつけるのは難しい。スポーツ……唯物、ファンタジー……観念、なんとなくぼんやりしているが、個人的にこのような構図が描くことができた時間だった/今日私が一番興味を持ったのが、最初に見た寺山修司の映像です。「演劇で平凡な日々を送っている人々に刺激を与えたい」「演劇で暴力など、日常とは違う事をすることによって、観る人々の日々積もったうっぷんをはらすことができる」というようなことを言っていたのを聞いて、私の中で演劇はただの娯楽ではなく、非日常を体験し、自らを重ねることができるものだ、と、とらえかたがすごく変わりました/ラッチョ・ドロームという作品などを探しています。ご存知でしたら教えて下さい〈そういうときはネットで調べなさい。「「ガッジョ・ディーロ」「ベンゴ」など、自身のルーツでもあるジプシーを一貫してテーマに取り上げているトニー・ガトリフ監督が、ジプシーの永きにわたる流浪の歴史を音楽を通して壮大に綴った映像叙事詩。約1000年前、インドからアラブを経てヨーロッパへと長い放浪の旅に出たジプシーたち。そんな彼らの足跡を辿る中でジプシーの真の姿に迫る異色作」というふうな解説が出てます。DVDも入手可〉/寺山修司さんの演劇論にとても感銘を受けました。俳優は正に私の代わり、日頃のストレス?を発散してくれるものなのだと思いました。またオランダでの演劇空間を町全体に広げる手法はどうやって、その演劇をやっていったのでしょうか。町全体が小さかったからできたことなのでしょうか〈いろんなイベントを繰り広げる形で広げていったようですね。最後は飛行機を燃やすところで終わりだったような……〉/ところで、先生は学生時代英国に留学されたそうですが、今日話したモダンファンタジーに惹かれたからですか?〈いえ、留学経験はまったくありません〉 ディケンズ作、ポランスキー監督「オリバー・ツイスト」は僕も楽しみにしていて、試写会などに応募しています。映画名は人物の名前ですが、原作も「オリバー・ツイスト」なのですか?〈そうです〉/ファンタジーと普通の物語の境界はどこにあるのでしょうか?たとえドキュメンタリーであったとしても紙におこした時点でノンフィクションということはあり得ないと思いますし、フィクションならばなおさらあやふやではないでしょうか。ファンタジーが注目を集めると「現実逃避」と言って批判する人が必ずいますが、小説でも映画でも芝居でもその中には必ずそのような要素が含まれていると思います(ファンタジーとノンフィクション、というよりは、フィクションとノンフィクションの比較の問題かな。ある意味、両方とも、フィクションだろうという意見は昔からあります。また、ある意味、小説とか映画とか芝居とかが「現実逃避」ではないかという意見も昔からあります。ただ、それはそうなんだけど、反論もしっかりあってね、そのへんを考えると、おもしろい)/寺山修司さんの「暗闇の中で演劇ができるか」というのが気になった。演劇というのは目に見えるから、面白いと思っていたが、耳だけで聞くのも面白そうだと思った。法政大学でやっているというので今度見に行きたい〈いや、30年ほど前の話です〉/そう言えば、漫画「ARMS」の中でも「アリス」の話が軸になってストーリーが展開されていました。影響力すごいですね/ロードオブザリングの原作がそこまで偉大なものだとは知らなかった。ファンタジーの始まりが指輪物語だとするなら、僕らがよくやるドラゴンクエストやファイナルファンタジーも、指輪物語がなければ存在しなかったのかと思った〈その通りです〉/先日、泉鏡花全集の終わりに、評として〝魔界かな、いや現実だ〝という言葉がありました。「人肉をたべる」ことを例えにして寺山修司が、〝まぎらわしい現実〝という言葉を使っていましたが、何というか……芝居や小説というものは、受け手をまぎらわしい現実(時には魔界)に引きずり込む力、パワーがあるんですね〈そうそう、「異界」といってもいい〉。〝幕の内〝からグイグイ惹き込むエネルギー。う~ん 悪場所。先週、風邪で休んだので冒頭流れていた曲が分からなかったのですが、ニ胡のようで月曜の朝っぱらから良い心持でした。頭の中で故歌右衛門の阿古屋の映像が回っていました。ウタエモンと言えば、先々週、早稲田で行われた(作者忘れました)影の女っつうものを見て参りました。藤間勘十郎&福助で。何と言うか……面白くなかったです。成コマ屋の姉さんが梅沢とみおみたいに見えました。いやはや。卒論が追い込みです。今日の寺山の芝居論とても役に立ちそうです〈役に立つものなら、ぜひ〉/寺山修司の演劇論はすごく面白いと思いました。特に劇場内を真暗にしてやる演劇は是非体感してみたいです。また、「客席で隣に座っている人が役者じゃないと言い切れない」というような話を聞いて、私たちの頭の中で演劇というものは、劇場のステージで役者が台本通り演じていて……というように決まっているけどそれに縛られる必要は全くないんだなと思いました〈今でも、客席から役者が立ち上がって、劇に参加するという演出は多いよ〉/私が真先に思い浮かべる児童文学は、ドイツ人作家リザ・テツナーの「黒い兄弟」である。この作品もまた、煙突掃除の少年達が主人公であり、自由に生きることが困難であった時代を、懸命に乗り越えて行く姿が描かれた作品である。過酷な時代を生き、親友の死を乗り越え成長していく主人公ジョルジョの主は心に焼き付くようである。また、この作品の根底には、作者が最も伝えたかった、児童虐待の問題を投げかけているメッセージが読み取れる。児童文学が文学の世界に止まらず、そこから社会的な問題をも見つけ出し、多くの人々に問題提起して行くことは、文章を書く事で人々にメッセージを伝えていく作家そのものの使命とも言えるような気がする。20年近く生きてきた今でも児童文学を読むと、そこから学ぶ事の多さにいつも圧倒される。何事も大人中心の世の中で、私達はもっと沢山児童文学を通して学ぶべき事があるのではないかと思っている。先生はこの作品御存知でいらっしゃいますか?〈酒寄さんだよね。当時の翻訳仲間です〉/ファンタジーと聞いて、小野不由美さんの『十二国記』を真っ先に連想しました。大好きな作品です。今日、金原先生がいつもより楽しそうに講義されていたような気がしました……気のせいでしょうか?〈そうだっけ? じゃ、次回も楽しそうかも〉/最近アンデルセンが気になってたんですよ。何故かと言うと、アンデルセンってデンマーク人ですよね?私は気がつくとデンマーク出身の人から生まれたものに関心を寄せる事が多いのです。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などで知られるラース・フォン・トリアー監督の作品が好きですし〈『ドッグヴィル』もいいね〉、主演のビョークもまたしかり。よく聴いてます。そして、日本ではそこまでヒットしてませんが、MEWという4ピースバンドもデンマーク出身で、私は一昨年くらいからとてもハマっていました。彼らに共通するもの――それはやはりあの独特の世界観ですよね。洗練されているんだけれど、どこか歪んでいて、更に言うならとても童話的。ここでまたアンデルセンと繋がるんですが、デンマークという土地が生み出すこれらの芸術色――美しい故の怖さ、むごさは一体どんな背景から生まれるんでしょうね?雪に閉ざされているから?太陽があまり顔を出さないとか?それだけじゃないんでしょうね、きっと〈ミューですか、名前は知っているし、数年前たしかクアトロに来たこともしっているんだけど、きいたことはありません。今度、チェックしてみます〉/小さい頃、映画やアニメで見ていて、原作を読んだら、違和感を感じたことがあった。アリスは、貝が食べられるシーンが残酷でピーターパンは、ティンカーベルが死んだのに、ピーターパンがそんなに悲しまず、メアリー・ポピンズは思っていたよりも厳しい人で、ムーミンは、アニメよりも不思議な感じがしたのをよく覚えている/ファンタジーというとディズニーアニメの「ファンタジア」を思い出す。魔法使いの卵のミッキーが出てきて、セリフがなくて、音楽だけなのだが,そこには、幽霊や恐怖も存在していた。ウォルト・ディズニーの初期の作品なので、1960年代以降のファンタジーの意味とは違っているのだろう。児童文学と絵本はやはり少し違うのでしょうか?〈いや、絵本も児童文学のなかに入れちゃいますね、普通は〉/最初の寺山修司の演劇論面白かったです。映画や演劇の中に自分を投影している私達が、自分自身の人生をドラマティックに作り上げて行くということを夢見ているという感覚は最近とても感じていることで、なかなか興味深かったです。ただ、自分自身の生活(大きく言えば人生)をそういう風に考えない人達も今増えてきているんじゃないかと思って。映画をただの娯楽だとか、そういった意識で見ているのではないかと思います。寺山修司の話にもあったように、手さぐり、昔など五感で感じるという本来一人一人がも持つ〝感覚〝というものが薄れてきているような気がします/良い児童文学に出会えるかどうかで、本を好きになれるかが、すごく左右されると思います。私は有名ではないけれど、私を本好きに導いてくれた本にすごく感謝しています。ちなみにその作家はキャンディキャンディの原作者です。すごく素敵です/どんな人がどんな格好でしてるのかもわからないのだから、頭の中に劇場を浮かべて、もしくは、もうその世界に入ってる気分になると思います。演じる側の人達はどうだったのかと興味が湧きました。稽古の時とか本番中にぶつかったりもあったのかなと/昨日、ワダエミの衣装世界という展覧会に行って来ました。『マクベス』や『LOVERS』の衣装を間近に見ることができてとても貴重な機会を得られたと思いました。彼女の手がけた衣装は繊細な部分と大胆な部分の両方を(相反しているようですが)持ち合わせている気がしました/寺山修司の演劇論、この人については今日まで全く知ることはなかったわけだが、ものすごい惹かれるものがありました。今現在、活躍しているどの監督達よりも演劇に対する熱意を感じたし、ものすごい自信を感じました/昔の法政と言えば、アヴァンギャルドが目白押しだったようで、羨ましい限りだ。あぶらだこなどのバンドが学館で演奏していたという話もよく聞く。寺山の映像で「演劇は日常を刺激しなくてはならない」というような話をしていたが、身近な所であげれば、パッションパッションもよくやっていると思う/ファンタジーの残酷なシーンを通して子供は現実世界の残酷な面に気づく事も必要だと思う。だから残酷なシーンを排除された物語では子供たちは骨を取り除いた魚を食べているに過ぎないような気もします。暴力への耐性とその抑制、近未来ファンタジー『時計仕掛けのオレンジ』も、ルドヴィコ療法でおとなしくなった主人公を待っていたのはかっての仲間たちの厳しい仕打ちだったし/今日先生がちょこっと話していたグリム童話の狸の話、結構怖かったです〈いえ、あれは「カチカチ山」です〉。あと、指輪物語が児童文学・ファンタジーの枠を超えて幅広く親しまれたこと。私も指輪物語にハマった1人です。映画を全部見たんですが、原作はまだ途中……。絶対読破してみせます!〈翻訳、読みづらいけどね〉/寺山修司が語っていたように、演劇というのは良い意味で観客を裏切る。そんな演出が楽しいのだと思う。「人肉を食べる」という、現実だったらあり得ないような気持ちの悪い行為を劇だったらおもしろ、おかしくしてしまうことができる。これも舞台の上のある種の魔法なのかもしれない/「水の子」のストーリーはとても面白そうで、なんだかUAの歌の歌詞みたいだなと思いました/数年前に白雪姫の映画「スノーホワイト」ってあったじゃないですか?あれを観賞して以来、グリム童話は特に信じられなくなりました。今日、先生がおっしゃったシンデレラとかカチカチ山の話も初めて聞いたのでショックでした/寺山ってアバンギャルドなんですね……。舞台は奴婢訓しか見たことありませんが、寺山なら海外のアバンギャルド作品よりも全然見れます。でもやっぱり理解できない部分が多いなぁ……/レポートは、ディズニーの映画でも良いのでしょうか?その場合は、アニメーション作品でも、可能ですか?〈レポートの内容がおもしろければOK〉/今日はファンタジーという言葉に惹かれて、ものすごく真剣に授業を受けていたのですが、根本的なことが分かりませんでした。先生はファンタジーの捉え方が、今と昔では違うと仰っていましたが、私にはその違いがはっきりと分かりません〈昔はファンタジーの意味する部分が大きかったけど、指輪以降、狭くなった、ということ〉/指輪物語は読んだことがありません。ハリーポッターも、なにか物足りなくて読むのを止めてしまいました。でもナルニア国物語は何十回も読みましたし、今でもたまに読み返します。20年生きてきて一番読み返した回数が多い本だと思います。全部が繋がっていて意味のないことなんてないんだなぁと思わせるところが魅力な気がします/寺山修司の映画「田園に死す」を見たことがあります。なんか内容よりもシチュエーションが恐くてみんなピエロみたいな服装をしていたのを思い出しました。実際の寺山を画面で見たのは今日が初めてですが、青森出身だからか、ちょっと、訛っていたところが良かったです/「指輪物語」は大人向けなのかと思っていました。日本語だと児童=小学生ですが、小学生にはやや長過ぎるかなと感じます。登場人物が多いし、呼び名が複数あるし、少し文語っぽい言葉もあるし、高校生の時読んでも混乱しました/児童文学は大人の読む小説や文学に比べて、どの国で書かれたとかを気にしないのは何故だろうと思いました。逆に普通の小説はどうして国や時代に縛られるのだろうかと思いました〈子どもは、本を読むとき、作者とかあまり気にしないし、まして国なんて、もっと気にしないからじゃないか〉/先生としては、あの映画の「グリム童話」をどう思いますか?〈内緒です〉/最近、ポップアップ絵本のアリスの本をもらって、それがとてもきれいです。見たことありますか?おすすめです/第一版を読んでみたい気もするけれど、ディズニーランドにいるようなまぶしいくらいキレイなシンデレラと白雪姫のイメージをこわしたくないです。私はキレイな王子の話を信じ続けたいです/暖房がききすぎて、暑いです……〈ごめん。場所によって、暑かったり、寒かったりらしく、涼しそうなところを選んで座ってください〉/グリム童話の第一版については、4~5年前に発売された時、私も読みました。確かに、それまで知っていたグリムの話からは想像もつかないようなナマナマしい内容で驚きました/朝からマイケル・ナイマンの音楽が聴けて、とても良い気分になりました。映画音楽でしか聴いたことがなかったので、普通の(?)作品を聴くことができて良かったです。彼の映画音楽では「ひかりのまち」と「9songs」が好きです/アリスと言えば、不思議の国のアリス以外に、恋愛の国のアリスとかありますけど、これは同じ作者なんですかね?〈ルイスは『恋愛の国のアリス』は書いてません〉/私は昔からメリーポピンズが特に大好きなんですけど、映画では見たことがないので今度見てみようかなぁ……/また数年前に流行った〝本当は恐ろしいグリム童話〝というのを読んでとても残酷で恐いものだと初めて知りました。今のキレイなことばかりを見せる児童文学とは違い、人間の醜い部分もあって、私はなかなか面白かったです/寺山修司の発する言葉が好きだ。「ポケットに名言を」は大切にしたい言葉の世界として常に持っています。映画「田園に死す」が去年の法政の学祭のオールナイトシネマで学館で流れた時、真夜中に見たからということもあるのでしょう、なんとも奇妙な空気が流れたのを今でも覚えています。私自身は非常に豊かな映画だなと感じました〈たしかにいい豊かな映画だと思いますね〉/ピーターパンはレポートの対象でも良いのでしょうか?ビデオでは「フック」というのがあるので、ピーターパンの本と「フック」のビデオでレポートをOKですか?〈OKです。内容がおもしろければ〉/この前図書館で、「少女アリス」という写真集を見たのですが、ロリータポルノのような……。大人の女性が写真集で「芸術」として脱いでいたらあまりいかがわしくないのに、少女だと何故でしょうか……〈沢渡朔の写真集ですね。あれは発表当時とても評判で、雑誌「ユリイカ」の表紙なんかにも使われました〉最近映画を見て主人公が少女だと、監督を見る目が少し傾く気がします。寺山修司の「劇場の中ではなくアパートの一室で行われる劇ははたして劇なのか現実なのか」という言葉が印象的でした/寺山修司の天井桟敷がとても興味深かったです。キョロキョロしながら猫背で語る姿が印象的です。劇場の外の「紛らわしい現実」という言葉が残りました。アヴァンギャルドのアマチュアリズムを考えると、今のゴダールはやっぱり商業的に成功しているという点が気になります/ファンタジーという言葉が恐怖小説も含むことに驚いた。ファンタジーというと魔法を連想するし、ジブリやディズニーのイメージが強い/今日は少し早めに来たので、先週のプロペラが聞けました。でもなんだか音楽という感じはしませんでした。どこからが音楽でどこからが音なのか難しいです〈たしかにね。いってみれば、「音に付加価値があるかどうか」かな〉/寺山修司さんの演劇論がとても興味深かったです。観客のいない劇という発想が新鮮で一度やってみたいと思いました/寺山修司の話の中で印象深いのは、街中で人肉を食べると異常だが、舞台の上で染五郎が人肉を食べると「染五郎素敵」になってしまうと言っていたことです〈寺山のいっている染五郎は、いまの幸四郎です。要注意〉。何が異常なのか考えてみたいと思います/寺山修司が生きていたら、野田秀樹とか串田和美みたいに歌舞伎の演出を頼まれてただろうなぁと思った。「身代わりの人間」という俳優の見方は祭りの構造そのままだ。一人で祭を行うと狂気だけど、皆でやれば恐くない。戦争も、演劇も、祭も、政治やエンタテインメントを超えたところで繋がったものだと思った/寺山修司の映画論で「市街劇場」という話が出ていたけど、街全体が舞台になってしまったら、何がお芝居で何が現実か誰が役者で誰が観客で誰が通行人で……わけがわからなくなってとても恐い感じがしました〈そうそう、それもまた寺山演劇の核に触れる指摘ですね〉/不思議の国のアリスを三島由紀夫が訳しているとは知らなかった。矢川澄子訳を持っているので比べて読んでみたい〈ただし、三島のは抄訳です〉/現在の小さな意味でのファンタジー小説で、世界的ヒットをしているものが、どれもイギリス作品というのは、今までやってきた小説の歴史も関係するのでしょうか?何か、生まれやすい土壌のようなものがあるのでしょうか〈どれもイギリス、というわけではなく、ほかの国のものもあるけど、たしかにイギリス物が多いのは確かです〉/なぜか、ルイス・キャロルを女だと思っていたのでびっくりした!芸術家は変な人が多いなぁと思った/授業の最初に寺山修司さんの映像を見たが、日本のアバンギャルドの奥の深さを感じさせられた気がする。日本にアバンギャルドが伝わるのが遅かったせいか、本来(?)のアバンギャルドから進化したように思えた。聞いていて難しいところもあったが、俳優は私達の身代わりという言葉には感心させられた/観客がいなければ演劇は成り立たないけど、いることによって制約を受けるというのも何だか複雑ですね

人文特講II 12月5日
「天使」は「アンダルシア」よりは大丈夫でした。(多分、すごい気持ち悪いものとかを想像していたので)/電車が遅れたため、4番のエレキギターしか聴けませんでした。ヘリコプターは先週からずっと楽しみにしていたのですが、聴けなくて残念です〈そういう人のために、今週、授業前にかけます。早くきなさい!〉。「天使」とても恐かったです。現代版「アンダルシアの犬」と言われているみたいですが、「天使」の方が視覚的なグロテスクさがなかったので、見やすかったです。両方とも悪夢のようなイメージがあった/困惑した。「天使」ノボカノウスキーに、困惑した。面白過ぎて鳥肌を覚える。しかし、このような映像が世界に存在する事に一種の戸惑いを全身で感じ、また無知だ……何て無知なのだ!と自分の無知さに恥じるのである。カット数の多さに驚いた。インスピレーションですぐに頭の中で繋がったのが、シヴァンクマイエルの映像・UNDER COVERという洋服ブランドのファッションショー・マルタンマルジュラの世界「ざくろの色」〈これはパラジャーノフの映画?〉という映画である。前回のブニュエルに続き、困惑しながらもアヴァンギャルドの世界には惹き付けられる自分がいます。それらに触れるたび、今後もまた困惑し無知さに恥じる自分が十分に想像できます。がしかし、当惑しつつも観ること、聞くこと、そして理解を試みることが、もし可能であったなら、とりもなおさず、少しでもアヴァンギャルドの世界に開かれていると私は信じたい〈十分に開かれていると思うけど〉/「現代」なんたらと名のつく芸術作品は訳のわからんものの代名詞として使われるのをoften 見かけますが、その意味がわかりました/フックはイギリスへ留学した時にMusicの授業で聴いて以来興味が湧きました〈とてもセンスのいい作曲家だと思う〉/スティーブ・ライヒのギターは音が音を追いかけている感じで聞いていて、頭が痛くなる感じがします。メロディーが一つじゃないみたいで/少し遅れてしまい、ヘリコプター弦楽四重奏曲の途中で入ってきたのですが、教室の扉の前に立った時、中から工事の音が聞こえてきているのかと思い、入るのをためらってしまいました。まさかヘリコプターの音だったとは……/『Solo Piano Part5』はどこかで聞いたことがある気がします。間奏?みたいな所の繰り返しで、深みが生まれてくる感じが好きです。クラシックは古いものは好きなのですが、現代音楽にはノータッチだったので、フィリップ・グラスから挑戦してみようかなと思います〈ぜひ!〉/やっぱり前衛的なものは「すごいなぁ」とは思うけど「好き!心にひびく」みたいな気はしないなぁと思いました。とかこういう風に思う人は芸術家からしたら嫌な人なんだろうけど……/エレクトリックギターのやつは最初一定の音しか出てなくてずっとこの調子なのかなと思ったけど、いつのまにか微妙な変化があって最後は全然始まりとは違う感じになっていて、面白いなと思った/面白いと感じたのは、エレクトリックギターフェイズでした。妙に頭に残る感じで、最初は心地良く聴いていましたが、最後の方は何故か車酔いのような感じになりました/一番心に残った音楽は、スティーブ・ライヒのフェイズです。この曲は何だかカッコ良いし、聴いていてワクワクして心地良かったです/ヘリコプターの音楽が一番印象に残っている。ヘリコプターの音をあんなに忠実に楽器で再現できるとは驚きだし、強弱もついていて、聞いていて面白かった/今日は今までに聞いたことのないような音楽ばかりだった/乗り物が好きな人は例えば車、あのエンジンの音がいいんだという人がいます。それが曲になっているもののようだなと思いました。別に好きな音のわけではありませんが、作られると音楽になるのかなと思いました。でも考えると楽器と別に変わらないのかなと思います。楽器はその音が好きな人が多いもので、それを組み合わせることで音楽になっていると思うからです/「ヘリコプター弦楽四重奏曲」が耳障りで仕方ありませんでした……「エレクトリック・ギター・フェイズ」の方がよっぽど耳に優しかったです。「Solo Piano」は心地良かったです。長調と短調の間みたいなどっちつかずの不安定感も素敵でした/フィトキンの「フック」は曲調が、北野たけし監督「座頭市」で流れた曲に似ていた気がする〈どこの曲?〉/現代音楽というジャンルがあること自体知りませんでした。変わった作品が多いですね「エレクトリック・ギター」は微妙に変化していく音が面白いです。先生の言った「家具ではなく自己主張になっている」という説明は納得です/ヘリコプターの音は大きくクレッシェンドしていくのは簡単だけど、小さくなるのは難しいなぁと思いました。一音一音に強弱をつけるのは難しいなぁと思いました。でも、初めて聴けて新しい音楽の一面を知った気がしてとても楽しかったです/話は飛ぶのですが、12月の終わり頃、wowowで「天保12年のシェイクスピア」が放送されます。芝居を見た自分としては、もう一度見れるのは嬉しいのですが、あの芝居の音楽がCD化されないのでしょうか?すごく良かったので……/天使、おもしろい。反社会的(特に現代)で、決して公共の電波で流すことはタブーな感じが良かった。不親切なカット割も、期待を裏切っていなかった。Jackassの方が平和だと感じるくらい、ひどい内容/今日は3曲目に聞いたグレアム・フィトキンのフックという曲がとても印象に残りました。それは何故かというと、この曲は今まで全く聞いたことのないものだったからです/今日聞いた音楽は、すごく印象的だった。どの曲も特別盛り上がったりするわけではないのに、それでいて心に残る。「イイ曲だなぁ」って感じではなく、「不思議な感じ」という感じで……/一つ(種)の楽器だけを使った、しかも同じフレーズの繰り返しの曲はとても新鮮で、でも、あまりにそれが長く、〝エレクトリック・ギターフェイズ〟は聴いていて頭がおかしくなりそうでした……/ヘリコプター弦楽四重奏曲の曲が私は一番好きでした。今にも飛び出しそうで飛ばないって感じでした〈うまいなあ!〉/先日、生協でナルニア国物語のビラに先生のコメントが載っているのを見かけました。文学作品ではないので、やっぱり指輪物語とかのファンタジー小説というのは、授業ではやらないですか?〈やりましょうか〉/フェイズは始まっていきなり、自分の名前を繰り返し呼ばれているような感覚に陥って、居心地が悪くなりました。繰り返し何度も呼ばれるのは怖いです〈なるほどね。その感覚は大切にしたほうがいい〉/なんと言うべきか、使い方によってはこの世のあらゆる物音が曲になるのかもしれないと思ってしまった〈当然です〉/中学、高校と吹奏楽をやっていたので、「フック」はとても心地良かったです。ちょっとアフリカなんかの民族音楽っぽさを感じました。とても情熱的で4曲の中では一番好きです。「エレクトリック・ギター・フェイズ」はひたすら同じフレーズなのにだんだん盛り上がってくるのを感じた時、(私の勘違いでしょうか……?)にぞくっときました/今日聴いた四曲は結構気に入った。Solo Pianoやエレクトリック・ギター・フェイズは繰り返しのせいだと思うが、「終わらない時間」〈いいネイミングだな〉というものを感じた。ヘリコプター弦楽四重奏曲は新鮮というかビックリした。緊張感をあおるような音が良かった。グレアム・フィトキンの曲が一番気に入った。何と言うか人がいっぱいいる中で、雑音がどんどん遠ざかって独りになっていくような感覚で心が穏やかになった〈これもうまいなあ!〉/きっと普通に生活していたら、このような音楽には巡り合わなかったと思う。貴重な体験をした気分〈ある意味、非日常的体験を期待して、人は現代音楽とか聴くんだと思う。あるいは、日常に埋没してしまいそうな自分に活を入れるために聴くのかもしれない〉/ヘリコプター弦楽四重奏曲は確かにヘリコプターの爆音なのだが、集中していると音楽に聞こえてきてしまうのが不思議だった。単なる〝音〟を音楽へ変えてしまう、日常の中から音楽を見つけることのできる才能を、シュトックハウゼンは持っているのではないかと思った。同じメロディーの繰り返しは一見単調のようだが、それが繰り返されていくたびに曲そのものの深みが増していくようであった。特にエレクトリック・ギター・フェイズは音と音が重なって新たなメロディーが生まれてくる様子が刻々と感じられ、大変美しいと思った/でもクラシックというジャンルでエレキギターを使っているというのが、私としてはヘリコプターを使っているの以上に衝撃でした〈いや、すべての音が音楽になりうるというのが現代の認識だから、碁石だって楽器になる〉/電車が遅れて分かったことは、この時間だとバスの数がめっきり減るということだ〈早めに出なさい〉/こういう映画を今作ろうとしても、商業主義でヒットが望めないので、作るのが難しそうだと思った〈まさにその通りで、前衛映画が少なくなってきた大きな理由のひとつは、そこにあります〉/前衛の良いところは、送り手も受け手も非常に自由だということだと思う。グレアム・フィトキンなんかは、聴きながら踊って(踊るために聴きながらでも)良いだろうし、スティーブライヒをサンプリングしてどのように使っても良いだろう。別に音楽を聴くのに座っていなくてはならないという概念を破壊しているという点でも彼らの作品は前衛的だ〈そして、前進する、それが大切だと思う〉/今日聴いた曲の中でシュトックハウゼンのヘリコプター弦楽四重奏曲と、グレアム・フィトキンのフックが特に印象に残った。ヘリコプター弦楽四重奏曲は最初、騒音にしか聞こえなかったけど、だんだん曲のように聞こえてすごいと思った。曲を止めた後、後ろのドアから漏れる風の音も何か曲のように聞こえてしまった〈いい感覚をしてるなあ。風の音が曲にきこえた瞬間を忘れないようにしてほしい〉/今日のロックバンドはスティーブ・ライヒの模倣をしているのだろうか。ソロ同士の掛け合いになる部分は片方がリズムを崩して最終的に両方バラバラになりながらも1つになっていくのはすごいの一言、拍子を考えて作っているのだと思った/スティーブ・ライヒのギターは聴いていて心地良かったです。といっても遅れてきた私はそれしか聴けませんでした……/ボカノウスキーの「天使」はすっごいインパクトがあってビビりました。今日は浜線で遅れてしまって最初の音楽とか聴けなかったけど、この「天使」だけは見れて良かったです。「天使」は意味がよくわかんなくて、音楽も恐かったです。人形を刺してるおじさんは何を思って刺してたのか……?気になりました/「天使」は大ヒットでした。スゴイ!カッコイイ!映像がすごく鋭くてキレイですよね。大好きです。もっと見たいです。弦の音とも良く合っていて素敵でした〈そういう人がひとりでもいたら、と思って流してみたんだけど、正解だったかな〉。ヤン・シュヴァンクマイエルのDVD持ってるんですが、これも面白いですよね。彼らの脳内はどうなっているんでしょうね。一度お茶でもしてお話してみたくなります。あぁーアンケートのばかー見たかったのにー(笑)/二曲目のピアノソロが、以前観たサイレント映画『カリガリ博士』の中で流れていた音楽にとてもよく似ていた。『カリガリ博士』はおどろおどろしい顔をした精神科医で、夢遊病患者を操ることで殺人を繰り返す。ピアノがうまく映画のサスペンスチックな画にマッチしていて、とても印象的だったのを覚えています。映画音楽は数あれど、ピアノだけで映画を際立たせてしまうのは凄いなと思った/ヘリコプター弦楽四重奏曲を聞きたいが故に、張りきって来たのに、横浜線が遅れて本当に本当にいら立ちながら、学校に来ました。来たらSolo Pianoの曲が流れていました。聞いている内に気分が鎮静化してきました。だからSolo Pianoが一番印象に残っています/聞き始めの段階では「何じゃこりゃ?」という呆然した状態だったのですが、耳が慣れてくるにつれ、ヘリコプターの<ボロボロボロ…………>という音と弦楽器の<キュイーンキュイン>という音とが調和しているように聞こえてきました。自分でも不思議です/今日聴いた音楽の中で、私はヘリコプター弦楽四重奏曲が一番印象に残りました。綺麗めな曲調なのに、少し低音でゆっくりで一定のリズムを刻んでいる所から、何とも言えぬ威圧感があり、吸い込まれる感じがしました/シュールリアリズムやアヴァンギャルド作品は、人間の内側、ずーっと奥の方の部分を刺激するもので、私はそれがすごく好きです。今日は、音楽中心に聞いて、最後にボカノウスキーの「天使」を見て、音楽はそのまま聞いても、それなりにいいことはいいのですが、映像作品と一緒だとなおいいような気がしました。音楽自身も、自己主張がすごくて、もともとストーリー的な一環の流れがあるので、シュールリアリズムやアヴァンギャルドの映像作品とセットだとすごくしっくりきます。最後、グリーナウェイとかシュヴァンクマイエルとか見られなくてすごく残念です/現代音楽はイメージしていたよりも難しいものではないのかなと思いました〈ちっともむつかしくないと思う〉/電車が遅れたので、2番目の曲の途中から来たんですが、私は3番目のフックがすごく気に入りました。フックが悪巧みを考えて、ズンズン来ている情景が想像できて面白かったです/エレキギターはあんなにも同じパートを繰り返して演奏できる事に驚いた。自分にもあの位の忍耐力が欲しいと思った〈がんばりなさい!〉/後期の授業は難しい/意味のないものを繰り返し繰り返し……見ていると、案外そういうものが芸術なのかなと思います/個人的な好みはフックですが、エレクトリック・ギター・フェイズは次にどのパートがどの様に変化するのか注目して、微妙な変化が積み重なっていくのに注目して聴くと、違った面白さがあると思いました(少し疲れますが……)/時々入っていた人の声は、作曲者の人の声……なんですか?〈いや、演奏者の声です〉テンション高くて怖い感じでした/昨日「モーターサイクル・ダイヤリーズ」という映画を見ました。それの壊れそうなバイクのエンジン音が意外と心地良かったので、その音で作った曲もありかなと思いました〈この映画、とてもとてもお勧めだな〉/明日からの野田ヒデキの「罪と罰」始まりますよね。先生は観に行くんですか?〈いきます〉 私はせっかく後期にドストエフスキーの話も聞いたので、観に行こうと思ってます〈ぜひ!〉/マイケル・ナイマンの話が出ましたが、私は「ピアノレッスン」のテーマ曲が大好きで、自分でも弾きました。映画も面白く、神秘的で私の好きな感じでした/あと、音楽で最後に聴いたのは、ギターの後でずっとAの音が不規則に流れていて、それが心電図の音のように聞こえてちょっとイヤでした〈心電図という感性、ちょっといいかも〉

人文特講II 11月28日
この時代の文学、映画、絵画、音楽への苦手意識に共通のテーマがあり、それが苦手意識の原因なのだと思いました。しかし、ツァラのダダ宣言や、プルーストの「失われた時を求めて」の一部を読むと、このシュールリアリズムへの批判精神はなくなりました。プルーストの作品はやっぱりストーリー性が分からないけど、言葉の数の多さに魅力があると思いました。考えるというより感じる文化がダダイズムなのかなぁと思いました/アバン・ギャルドは今までのあらゆる分野のものから脱皮したいという意気込み(?)がよく分かります。でもやっぱり斬新なだけ理解するのが苦しいです。古典的なものって多くの人が理解できてるから、やはり長く愛されているのかなぁと思いました/「アンダルシアの犬」、最初のシーンが衝撃的です。見る者にショックを与えるのが芸術ならば、最初のワンシーンで成功していると思います。手から涌き出る蟻がダリっぽいなと思いました。これまで見た中で不安感という意味ではシュヴァンクマイエルの「アッシャー家の崩壊」「G線上の幻想」なんかがそうですが、これはもっとユーモアがあって、考えていたよりも明るい滑稽さがありました。音楽も素敵ですね/〝ヘリコプターの協奏曲〟〈ごめん、『ヘリコプター弦楽四重奏曲』のまちがいです〉是非聞きたいです。お願いします!以前友人と能を見た時、バックで流れる音楽を聞き取ろうとして失敗しました。そして気がついたのは、〝ああ、これは流れる音なんだ〟ということです/アンダルシアの犬は、意味不明だ。以外の感想が到底持てそうにありません。いや意味を考えることが、そもそも間違いなのか……。物事に常に意味を求めてしまってる自分をありありと認識させられました/マンガが海外で出版されるにあたって左右反転させたものを、向こうでアニメ化する場合はどうなるのでしょうか?〈ちょっと考えてみなさい〉/かなりグロテスクなシーンでもコミカルなBGMがかかっていると「怖い」より「あっけにとられる」という風になってしまったのが、我ながら興味深かったです。映画における音響って大事なんだなぁと思いました/小説や音楽を芸術としてではなく娯楽として消費している僕にとってはこの一見分からないもの、というのにすごく戸惑います/最近は「バイリンガル版」という、日本の漫画を日本語と英語を吹き出しに同時に収録したものが多数出版されている。もちろん、右開きで、吹き出しの言葉は横書きの英語である。読みにくいが、英語の表現を知ることが出来て、とても面白い/「便器」って作品は高校の時の授業で一度見たことがあって、とても興味を持ってました。どう見たってただの便器なのにそれが芸術だと言っているところがとても独創的ですごいなと思いました。そう考えると世の中、結構面白くて自分らがよくみる虹だってただの色が並んでいるだけで、面白味のないものだけど、皆がきれいだなって共感を持てるし、以外と単純なものが複雑なものよりよく見えちゃったりして、芸術って不思議です/横浜ミュージアムでデュシャン展をやっていた時に、便器を見ることができました。他の作品を歩きながらみていて、壁に排水溝の穴とふたがついていて私はそれを作品と知らずに通り過ぎました。あ、デュシャンにやられた、と思ってくやしかったので、ミュージアムの売店で『泉』で有名なサインのシールを買いました。家の便器には貼らず、電子辞書に貼り、前衛アートのコマーシャリズムに加担することにしました。ところで『亀も空を飛ぶ』を見ました。物語はドキュメンタリーになる、という印象を持ちました。しかし、いつ行っても岩波ホールは渋い場所ですね/今日はジョン・ケージの話に一番興味が持てた。四分半もピアノを弾かず、観客のざわめきを楽しむっていう発想、私はかなり好きです。ピアノを楽しみに来た人にとってはかなり迷惑な話だけど……。でもすごい芸術だと思った/昨日、吉祥寺の本屋で見かけて手にとった本。どうしてとったのかと言うと、とてもひきつけられる表紙でした。手に蟻がうじゃうじゃいる……。そう、まさしく今日の講義で見たアンダルシアのあのシーンのあのショットです。偶然か、また必然か。出会うべくして出会ったアンダルシアに私は喜びと深い興味を抱きました。本と映画と、じっくり見たいです。アバンギャルドというと私のイメージはやはりジャン・リュック・ゴダールです。ゼミでノンストーリー映画の認知科学的分析をしている私は彼の映画は避けては通れない道でした。ゴダールを見ているとどうして眠くなるのでしょう〈歌舞伎や能を見ていてもよく眠くなる〉/最近仲原中也の詩集を読んだのですが、あとがきの解説を読んでいたら、「中原中也はダダ主義に傾倒した」のような一説がありました。実際詩を読んでいて、どこら辺がそうなのかよく分からなかった点があるので、今日の話を思い出しながらもう一度読んでみようかと思います/「アンダルシアの犬」を初めて見ましたが、全く理解できませんでした。わからな過ぎて逆に眠くもならない程のわからなさでした/あとダダ宣言て、何だかよく分からないけど、圧倒された。何でこんなに一生懸命ダダについて語れるんだろうか……/私はこの映画を見るたびに気持ちが落ちこむ。この妙な世界観についていけず、なんだかとても気持ち悪くなってしまうのだ。あの陽気な音楽に奇妙な映像。意味の分からないストーリー。むしろヘタなホラー映画よりも恐怖感がある。だからこそ、私はこの映画は究極なシュールレアリズムだと思うのだ/最初に見た絵本を見て、思わぬところにも気が配られていてびっくりした。どちら方向に絵の中の人が進むか電車が進むか……そんなことは考えたこともなかったが、今日知って驚いた。知らぬ間に、それが当り前になっているし、もし反対に進むのを見たら、やっぱり違和感あるのかなと思った。意識の中の無意識とは、こういうことなのではと思った/先週授業で紹介した映画「ナビィの恋」を見ました。西田尚美や村上淳など、なかなか渋いキャスティングの中、出てくる人物達が皆温かみがあって、面白かった。沖縄の生活は何てのどかでゆったりとした感覚を持てるのだろうと、都会で生活する自分にとっては、羨ましくなりました。登川誠仁さんは初め顔を知らなかったので、どの人か分かりませんでした。(みんなカチャーシーやってるんで……)でもラストの登川さんの早弾きは凄かったです/「失われた時を求めて」プチット・マドレーヌは求めている真実がお茶の中ではなくて私の中にあることは明らかだっていうフレーズがとても気に入りました。面白そうだから是非読んでみたいです/ダダ宣言は初めて見たのですが、文が宗教じみていて怖い気がします。ダダ関連の本はどちらかというと陽気な印象で、訳わかんないけど楽しい感じなのでその差に驚きました。新聞の言葉を切り貼りした詩は、面白くて好きです。二人の人が交互に読んだら「気狂いピエロ」みたいになりそうだと思いました/1928、アンダルシアの犬、面白いとは思えなかったが、いい加減なカット割り、映像に合わせようとしていないBGM、見終わった後に何も残らない感じ、すべてがおかしく思えた/まさかドラゴンボールによって反転をしなくなったとは……驚きました。鳥山さんは偉大ですね/今気が付いたが、あれほどグロテスクでないにしろ、あのイメージや脈絡のなさは夢にそっくりだと思った。物語性があるんだか、ないんだか分からないし、前後の繋がりもうまく説明できない。でも自分は納得できる。本当にそっくりだと思う。そう考えると、シュールリアリズムとは人間の本質なのかもしれないと思った/家具のような音楽。僕が家にいるときの音楽の位置付けは、ちょうどこんな感じだと思いました。それを集中して聞くわけではなく、何か他の作業(料理など)をしてる時に、何となく存在しているという感じです。時と場合によって音楽の姿は大きく異なるんだなと思いました。失恋や落ちこんだ時に励まされる曲を聞くのは、音楽と対話している時なんじゃないかと思いました/ただこういった作品は単純にこれを伝えたいというメッセージとして作っているというよりは、その時に作者が感じた何とも言葉に表現できない気持ちであったり、感覚なのかもしれない。よく分からないというか、表現し切れない気持ちをそのまま作品にしようとすることで、感じた時そのままに伝え様としているのかもしれないと思う。だからこそ、見てる人には逆に分かりづらいのかなと思う/まんがは逆に、海外のコミックが入って来る時も逆になるのですか〈ちょっと、本屋でのぞいてみなさい〉/アンダルシアの犬に出てくる役者さんがどんな事を考えながら演じているのかを本当に知りたいと思いました。また、淀川長治さんがとても懐かしくて何か嬉しい気持ちになりました/サティの「ジムノペディ」について。あんなに和音の少なく、メロディに何の変化もなくただ続いて行くだけの曲なのに、とても洗練されていると思います。余計なものを全て削除し、その曲に本当に必要なもののみで構成されていて、簡素に見えて実はとても計算されて作られた曲なんだなぁと、改めてジムノペディの素晴らしさを認識しました/最近〝甘いおせち〟ってありますよね。お菓子でできたおせち。カステラの伊達巻とか。着色料をふんだんに使った甘おせちっていう感想です。アンダルシアの犬。ゲテものといったら語弊がありますが、でもたまに本物が入っていてハッとさせられる、という。小、中学校の国語がもっと面白くなれば良いのに。むりやり起承転結のある作文を書かせるから、みんな文章が嫌いになっちゃうのではないかしら。もっと無限大の手法と形が(形なんてないのかも)あるんだよってわかれば、もっと国語が面白くなるのに。NHK教育で野村万斎が一人でンゴホッって咳をして、……咳しても……ひとり。っていう映像がありましたけど、それを理論的に分析するとかでなく、「シュールだなぁ……」と感じ、でもその奥に何か本質があるんだなぁって気付ければ別に良いのではないかしら……何でも揃うよろづ屋。学校がそうなったら良いです〈心から賛成。ただ、先生は大変だろうね〉/プチット・マドレーヌは読んでいてなんか心が落ち着きました。タイトルは忘れてしまいましたが、前に吉本ばななの小説を読んで、それもこんな感じに考えていることがダラダラ書いてあって、結局何の話か聞かれると答えられないけど、何か面白かったのを思い出しました/ダリの絵画にも度々登場する蟻や蛾や生々しい人の手、そしてあの箱は何を意味するのか、それは見た人に全て委ねられているのだと思う。ダリの絵画をそのまま映像化したような、彼にしか表現し得ぬ世界なのだと思った/シュールリアリズム、ダダイズムなど、前衛的な文章は、それ以前にあった小説などが読み手にとって受動的なのに対して、物語性、リアリズムを排したことにより読み手一人一人が独自に考え、自分だけの捉え方をするという能動性が強いと感じた。時にそれは不親切で苦痛に感じることもあるが、無限に広がるストーリーを構築できるという可能性を秘めているものだと思った/この手の作品は個人的な考えですが、前情報で作品の価値が決まるタイプだと思いました。〝一流の○○が絶賛〟→だから楽しい/絵本の話、まんがの話はあぁーなるほど。という感じだった。日本が外国のものを翻訳するときは、外国に合わせて横書きにするなら、日本の漫画を右開きにするのが当然だし、そう主張できるのはすごい。内容と同様、そういう日本独自の文化が、外国の人に受け入れられてるのは嬉しい/小学生の時に、ローラ・インガルス・ワイルダーの「大きな森の小さな家」という本を読んで、その中の誰もいない森から何者かの「だれ?」という声が聞こえるという話があり、その声の正体はフクロウの「フー(who?)」という鳴き声だったというオチだったが、当時は注釈を読んでも理解できず、不思議に思った事を思い出した/眼をカミソリで切るのとかが生理的にダメでした。でも音楽がすごく可愛かったです。無声映画(とは違いますかね?)もいいですね。ラストのあの意味不明さも好きです。フランス映画ってそういうの多いですよね/最初の絵本の話。小さい頃を思い出しながら聞いていましたが……うん、確かに日本話の絵本は右開きの縦書きだったこと。大好きだった絵本は左開きの横書きだったこと。そんなことを思い出しながら、装丁の方々は様々な苦労をしていたのだなぁと感心しました。フランスの「NANA」は左開きにはなっておらず、吹き出しの中だけ横書きでした。色々形態はあるけど、作者の意図が曲がらず伝わればいいなと思いました。前の講義と今日で思ったのですが、「だだっ子」ってこのダダからきてるのですか?〈授業、聴いてなかったでしょう〉/みうらじゅんがなんかの本で言ってたけど、縦読みの本だけど、左から右に読み進めて行く本を読んだとか言ってて、えらく読みづらかったそうです/アンダルシアの犬、私には理解できない部分が多いが、60年代~70年代にかけてのスタンリー・キューブリック作品に大きな影響を与えていると思う。「時計仕掛けのオレンジ」や「2001年宇宙の旅」は同じにおいがする。スタンリーキューブリックのこの二つの作品も、ダダイズムの作品も、それについて深く考えるよりは直感的に感じるような、観念的なもので、それが余計に私を悩ませる/今日見た映画は大好きでした。その映画を見るまで、先生の説明とかも聞いてなかったし、題名すらうろ覚えで「アンダルシア」?とかだったような。でも映画が始まれば、もう画面に食い付いて吸い寄せられたという感じでハマリました。映像は白黒でセリフも何言ってるかわからない。でも面白い。面白いものは面白い。この頃の作品は説明が多過ぎると誰かが言ってました。今日はリリーさんの「東京タワー」を読みながら泣きっぱなしでした。「アバンギャルド」大好きな言葉です/今回の講義ではアンダルシアの犬が一番強烈な印象を得たものだった。実際ストーリーはつかみどころがなく、よく分からなかったが、人が死んでいたり、手を切り落としていたりと、悲惨な映像があったにも関わらず、最後まで明るい曲調の曲を使っていたこのギャップが面白かった。ストーリーにまとまり?(つながり)があまりない分、自分で考えて映像を見ることができて、新鮮な感じがした/私はデュシャンの作品や彼の発言にはとても興味があるので、デュシャンがダダイズムやアバンギャルドと関係があるというのは興味深かった。ジョン・ケイジもデュシャンも知っていたのに、ジョイス、プルーストは授業を受けるまで全く知らなかった。私と文学は遠いなと感じた/本の開き方と文字の並び方という話で思い出したのは、漫画の擬音の方向です。普通、漫画は右開きで、1枚の頁の中では右→左へと読み進めるのに、擬音が横書きの場合は、普通の日本語と同じく、左→右へと書かれ、コマの中で矛盾が起こっていることに対して、大友克洋は擬音も右→左へと読むように描いていたように思います。その真意が世界進出を見越してのものだったのは知りませんが……/タブラ・ラサって何語でしょうか?〈tabula rasa:ラテン語です〉/「ダダイストの詩を作るには」に書いてあることと似たようなことを、高校時代にバロウズの真似をしてやってみたことがあります。何が何だかよくわからないものができました/最初の絵本の話、面白かったです。外国の本を日本版に変えるのに色々と苦労があったんですね。私も昔はよく絵本を読んでいて、家にもまだ何冊か気に入った本が残してあるので、セリフとか縦か横か確かめてみようと思います/アバンギャルドの意味を初めて知った。今までの使い方はだいぶ間違っていた。(ちなみに「シュール」の使い方も間違っていた)/「アンダルシアの犬」はシュールというか、無機質というか、でも何か面白かったです。すごいことが起こっているのに、それが普通のことのようにして、ガラっと場面が変わってしまう展開力というものがすごいと思いました/僕は今シュールと呼ばれているような物が好きな傾向があるようなので、今日の授業は特に面白かった。アンダルシアの犬は個人的にはすごい好きです。映像も音楽もかっこ良かった/出身中学には毎年卒業生が全員で何かを作って学校にプレゼントする風習があるのですが、その卒業制作で作られたもので一番多いのが有名な絵画の模写でした。で、学校内見渡してみると、いたるところにダリとピカソの絵が……なんてシュールな中学だったんだろうかと思いました/海外版のポケモンを一度だけ読んだことがあるけど、確かに違和感があって、その謎がやっと解けて良かった。でも「巨人の星」とか「サウスフォー」とか「テニスの王子様」みたいな「左利き」をアピールしてるマンガを海外でマンガ化されたら「え、普通じゃん」とか思うんだろうなぁ……と思うとちょっと面白かったです/あと、ドラゴンボールの作者は本当にすごい人なのですね!/前期にやった落語の頭に桜の木が生える話も実写にしたらシュールリアリズムになると思った。掌が蟻の巣みたいになっているのを見てこの話を思い出した/目のシーンとか全体的な印象とか時計仕掛けのオレンジに似ているなぁと思いました。アバンギャルドの話は戦争で自由が奪われていく中で自分の感情に正直に従うという表現が生まれたというのは面白いと思います。そういう考え方から生まれた作品は自分は好きではないけれど、その精神はとても面白くて知ることができてよかったです/シュールリアリズムの起源はブラックジョークやナンセンスでしょうか?〈シュールリアリズムの作家たちが、ブラックジョークやナンセンスのようなものから大きなヒントを得ているのは間違いないと思う〉/こういう大きな波は、突然現れて一瞬で消えて行くけど、様々な流れがある中において重要なキーパーソン的出現だと思う/ヨースタイン・ゴルデルの『カードミステリー』のジョーカゲームみたいで面白そうです。カードそれぞれが自分の言葉を考えていて、それを聞いたジョーカが並び替えて詩みたいにするゲームでその詩が予言になるゲームでした。新聞でやるより、自分の好きな小説とかでやったらもっと自分の気に入る詩が出来そうです/文学も絵画も映画も繋がってるんですね。この授業を取るまでそんな風に考えたことってありませんでした。いい傾向ですね。うんうん……/映画アンダルシアの犬は、一言でいうとシュールでした。人間の幸せや不幸を飛び越えた、なんだか不条理な話に思えました。幻想的でいきなり森になったり、海が出てきたり、残忍なシーンを何なくやってのけたり、とても滑稽で諧謔精神の宿った作品だと思いました/絵本の縦・横書き、右とじ、左とじの話、とても面白かったです。私の大好きな絵本に「カロリーヌシリーズ」というものがあるのですが、昔に出たものはやはり縦書きの右とじで絵の中に字をつけていました。最近出た復刻版では横書きの左とじだったので、幼い頃に読んだものと何となく違和感を感じた理由が今日初めてわかりました/縦書きも横書きも、本当に特に意識したことはなかったし、右開き、左開きって何気ないけど重要だよなぁ……と思った。ドラゴンボール好きな私は、鳥山明が〝左右反転させない〟ということを貫いたと知って、益々ファンになりました!かっこいい☆/やっぱり私にはシュールリアリズムが理解できないし、趣味が悪いなぁ……と思ってしまいました。でも失われた時を求めては、本当に一回読んでみたくなりました!先生の言っていた短い方を今度探して読んでみようと思います

人文特講II 11月14日
小学生の頃に作文を書いていて、1日にあった事をただ順番に書いていったら怒られたことを思いだした。小説であったら許されたのだろうか〈相手に、それが小説であることを説得することができたらOK〉/絵本を見るのは好きだけど、横書きなことに今まで何の違和感もなかったので、今日の話を聞いて面白いと思った。来週もう少し詳しく聞けるということなので楽しみです/配られたプリントがほんとに読みにくい!まず、句読点がないので、話のキレが悪く、すごく疲れる。そして、途中で出てくる〝yes〟という言葉。相づちですか?これはどういう意味だろう……。そして漢字の変換がちゃんとできていない〈いや、そんなことない〉/この前、旅行でパリに行った時、ポンピドゥーでダダ展をやっていたのですが、祝日で行けなくて残念でした。シュールリアリズムは超現実主義だと友達が教えてくれましたが、ダダもダリもピカソも現実からかけ離れて夢の世界に見えます。どういう意味で超現実なのか気になっていたので知りたいです。バカみたいな質問です〈説明や定義はたくさんあるけど、自分の目で見て、読んで、実感するのが先かな〉/ジョン・レノンはオノ・ヨーコが行った展示会のある作品で虫眼鏡で見える程Yesと小さく書いてあるのを見て、気持ちが和らいだと言う。Yesとはそんなに効果的な言葉なのかと思った/ユリシーズ(ジョイン)はすごく面白いなと思いました。始めの頃はひらがなだけで書かれていたとか、句読点がなかったりだとか、普通に考えたら、ありえないような作品のような気がします。その上、ストーリー性もないという。人の心理っていうものは、それだけ普通でないのかなと思いました/ユリシーズは1日の話なのに、563ページもの長編小説で、その1日の中に、妻の過去、後悔、寂しさ、いろんな気持ちが凝縮されていると感じました/授業の始めに見た「危険な関係」にジョン=マルコ=ヴィッチが出演していましたね。彼の演技は個人的に好きなので映画をチェックしてみようと思います。それにしても先生が二浪していたとは驚きです。私も浪人しているので親近感を感じました(笑)/フランス文学全盛の時代に、英字文学はほとんど無視されていたという話にとても驚きました。それは日本だけのものだったのでしょうか、あるいは全世界的な流れだったのでしょうか?〈世界の流行があって、日本の流行があって、時代の流行があって……まあ、そういったものの総体かな〉/今日見た作品にパリのオペラ・ガルニエでのロケのシーンがあったように思えたのですが、気のせいでしょうか?〈そうだっけ?確認しておきます〉/無意識と意識の境界線はどこにあるのですか?〈水野先生にききなさい〉/江国香織さんの『ウエハースの椅子』の解説の中で先生が「ストーリーはないと言っていいと思う」というようなことを仰っていたと思うのですが、あの作品も『ユリシーズ』などと同じような手法で書かれたものと見ていいのでしょうか〈いや、ちがうと思う。両方ともストーリーはないけど、目指している方向がちがう〉/ユリシーズ、1日だけの事を書く、と聞いて先日見た絵本太功記を思い出しました。(あれは4~5日だけど)病欠の団十郎に代わり、橋之助が好演していました。光秀のクールさ、大きさ、ニヒルさを十二分に気合と気品で演じ圧倒していたように思います。しかし、他の出演者が……孝太郎、我とう、カイ春……どうも棒読み風でセリフを聞いてて気持ち悪いと言うか……時代物ってそうなのか?と思う位の棒読み連中でした〈いや、初日から数日は、科白が入ってないことが多いせいじゃないか〉と言いつつ、国立研究生発表会を含め、太功記を三回見にいくつもりの自分が恐いです。学割って良いですね〈使えるうちに使っておきなさい〉ドブとはいえ一階前方が1800円ですもの。スバラシイ。今日の危険な関係で「オペラに歌を聞きに来る不思議な人」というセリフがありましたね。あれは「オペラは芸術鑑賞ではなく、服装や男女を品定めに来る所、という事なんでしょうか〈その通り!〉だとしたら、江戸の芝居と一緒だなぁ~と。芝居そっちのけでナンパしたり、おしゃれしたり。でもヨーロッパの方が〝貴族〟感は強い気がしますが……〈同じです〉/今年の始めに、横浜美術館でやっていた、マルセル・デュシャンの20世紀のダダ展を見に行けなかったので、デュシャンについても少し、先生のお話を聞きたいです。理性や論理を否定し、全てを破壊して、自分たちの良しとするもの以外を否とする、ダダイズムや無意味なものばかりを愛するデカダンに高校生や浪人の頃は憧れたものですが、20歳を過ぎた今になっては、共感できるものが少なくなりつつある〈ダダやシュールを楽しんだ時代は、ある意味、若かったのかもしれない〉/先日シュヴァンクマイエル展に行ったのですが、戦争というタイトルで戦前・中・後をテーマにした絵がありました。彼らが受けた絶望やショックから起こっただろう反発や主張が今その場にいた時よりもよく分かるような気がしました〈シュヴァンクマイエル、そのうちビデオで観ましょう〉/絵本の右開き、左開き問題で思い出しましたが、アメリカ版のドラゴンボールのコミックは左右反転された形で出版されていて、読んですごく違和感を感じました。絵は左右を反転させるとデッサンの狂いなどがハッキリ分かってしまうので、作品そのものの雰囲気自体が変わってしまうこともマンガの場合はあると思います。小説は終わった、ロックは死んだ……私達の世代が物心ついた時には、小説もロックも映画もマンガも全部終わったとか死んだ後でした。実際には終わってませんが。なぜみんな殺したがるのでしょう?〈ドラマチックだから。手塚治虫もよく人を殺すよね〉/「危険な関係」は前に見た事があったのですが、前見た時はこんな時代存在するのかよとか良いイメージは全く持てませんでした。人間関係も全くつかめなかったし。でも今日見て意外に面白かったです。前回の授業のノートの関係図を見ながら、誰が誰に恋をしてとか面白かったです/第1次世界大戦中にレーニンがスイスに亡命していたのには驚きました。彼はダダイズムにおける伝統の破壊に社会主義で資本主義を否定することに共感していたのでしょうか〈いや、そういうコンテクストじゃないと思う〉/〝物語がない〟と聞いた時、読者は果たしてそれを面白いと感じるのか少し疑問に思ったが、この特徴は作品における最大の魅力でもあると感じた。あらゆる物事、人、街、時が徹底的に描かれる中で、それを読み、自分は何を思うか、それは読者一人一人異なるものであると同時に、その解釈は全て読者自身に委ねられることになる/映画「Love Letter」に出てくる重要なシーン。主人公が高校時代を回想し、彼女に思いを寄せていた(と後に判明する)同姓同名の男の子が借りていた本。そしてその本の貸出カードの裏には彼が昔描いた彼女の絵が……それを時を経て目にした主人公はその時初めて青春時代の輝かしい思い出を全て手に入れる。そのキーになる本が「失われた時を求めて」なんですよね。イヤーこの演出、できすぎ!物語の主旨をうまく小道具に持ってくるんですね。岩井俊二は素晴らしい監督さんです〈もっと映画作ればいいのにね〉/「危険な関係」の映画にキアヌ・リーヴスが出ていてびっくりしました……。今日出てきた二冊はいつも読もうと思いつつも止めてしまっていたので、これを機にユリシーズから再チャレンジしてみようと思います。今回の授業は、前回までの話とリンクする部分がとても多かったので、「ここで繋がるのかなぁ~」という驚きでいっぱいでした。映画の話、グレン・クロースは本当に危険な女だと思いました。ジョン・マルコヴィッチもあやしいにおいがプンプンしていてステキだと思いました。今度ちゃんと観てみます!/次回は『アンダルシアの犬』が見れるという話なので非常に楽しみである。先日、葉山の神奈川近代美術館にシュヴァンクマイエル展を見に行って来ました。交通費が非常にかかったけど、わざわざ行ったかいがあると思いました〈そうそう、ああいうのを見逃してはいけない〉/韓国版のはペ・ヨンジュン主演でヒットした『スキャンダル』のことでしょうか?〈です〉/興味があるのは一日の出来事です。たまたま6月16日は私の誕生日です。物語がないのに、それは物語として存在するのは、少し不思議な感じがします。つまり私達の毎日も物語なんだと思います〈そういう「物語」のくくりかたは、たしかにありうるし、ある意味、あらゆる作品の核になっているんだと思う〉/人の心の動きというか、心の叫びというか、会話だけじゃ伝わらない、わからない内側の流れみたいなところがすごい好き/「ブロンテ姉妹」の映画について調べてみました。題名『ブロンテ姉妹』、制作年 1977年、制作国 フランス、配給パシフィック・シネマ・ジャパン、監督・脚本 アンドレ・テシネ、キャスト イザベル・アジャーニ(エミリー役)、マリー・フランス・ピジェ(シャーロット役)、イザベル・ユペール(アン役)〈ありがとう!〉/同じ時期にこれまで積み上げてきたものを維持しようとする動きと、これまでを全否定する動きが同時に起こることが。色んな考えを持っている人がいるということを感じさせられた/フロイトのところでオイディプス・コンプレックスがまた出てきて、この考え方は多くの人々に影響を与えたんだなと思った。村上春樹の小説にもそういったシーンが出てきたと思います/「ユリシーズ」は妻モリーの考えてることが全て繋がっていて、読んでいて疲れたけど、女特有ってことは私もそうなのかなと思ったらうんざりした/資料を配られたユリシーズでは、句読点がない文章ってこんなに読みにくいんだ……って思いました。昔は全部平仮名だったのを想像すると、きっと自分がどこまで読んだか分からなくなりそうだなと思いました/ダダイズム……〝破壊〟(今までの小説に対する反抗)〝自発性〟(本能による小説)これは、まさに文化価値の循環である。既存のものを否定し、新たな価値を作り、定着、また否定される。この繰り返しは、人間の様々な価値において、言えることであろう/心理学によりそう形での文学の発展ということが少し難しかったです。例えば日本でなら、平安時代に書かれた「源氏物語」もじゃっかん性的な部分もあるので、心理に関するところはあると思います。そういう意味では日本の小説レベルは諸外国よりも高いということなのでしょうか……?〈どうかなあ。そもそも、文学でも芸術でも、レベルが高い低いという見方は、あまり意味がないと思う〉/シュールレアリズムは現実を超えるという意味ではなく現実を超えるくらい現実的だというようなことをどっかで聞いたことがある。ナジャは半分くらいで止めてるのでもう一回読んでみようと思います。時代は少し違いますが、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」とシュールレアリスト達の作品って似ている気がします〈ですね〉。ダリが描いたアリスの世界のスケッチがあったような/「仮面の男」のアトス役の人だ!と思いました。知っている役者が出ていると何だか作品にも親近感が湧いてくるから不思議です。「危険な関係」ってなんかプロモーションを見たことがあるような気がするんだけど、もしかしてここ数年以内に作られたものなんでしょうか〈1988年です〉/「危険な関係」の映画は駆け引きをしあう2人の様子が本当に背徳的な雰囲気を持っていて、息が詰まるような感じさえしました。「裏」のある表情や目線が様々な思惑を感じ取れてとても引き付けられるものがありました/第一次世界大戦が文学の流れに与えた影響って大きかったんだなと思った。実際に経験したことがないけど、科学とか近代的な考え方によって時代が作られて、それを進んだ結果として戦争が起きたというのは、絶望的だったと思う。だけど、今を生きてる私たちは、その戦争が産んだダダイズムを学んだりできるわけで、戦争が起こると何かが産まれるとはこういうことだなと感じた/思い出したり、思いなおしたりする時の空白がすっとばされてる気がしました。これが女性っぽい切れ目のない考え方なら、私はあんまり女っぽい思考を持ってないのかなあと思いました。でも常にこんな考えてたらパンクしそうです/『危険な関係』は今年4月ぐらいに昼のドラマでやってるのを思い出しました!結構見てました。設定は少し違ったけど、今日見た「トゥルヴェール夫人をおとしたら賞品をあげる。そしてその証拠が欲しい」と言ったところはすごく覚えています。映画もあの後の展開がすごく気になります。『ユリシーズ』は、受験生の時の世界史の先生が大絶賛していたのを覚えています/あと、『ユリシーズ』で、途中すごく「Yes」とか「O」って入っているのは何ですか?〈なぜでしょうね〉
/物語性がなく、街や人の様子をただ客観的に描くなんて一体どうやって書かれているんだろう!と講義を聞いている最中は「ユリシーズ」を読んでみたいなと興味がありましたが、実際目にしてみると、句読点がなく、「Yes」がやけにたくさん出てきて、とても読みづらくて、どうしてこんな風に書いたのか不思議に思うとともに、始めから読みたいとは思えなくなりました。この作品よりシェイクスピアの方がいつまでも読み継がれているというのも、妙に納得できます。今の人にはあまり受け入れられないかもしれません/句読点がない心理描写は、初めて見たので、面白かったのと同時に、少々読み辛さもありました。しかし、普段、自分の中で考えごとをしたりする時は、小説やドラマのような、キレイに整ったせりふではなく、ユリシーズのようにして、考えているなあと思い、本当に徹底して、心理を描写しているなと感じました。そう気付いてからは、自然に見え、むしろ今の小説の心理描写の方に固さがあると思えたりもしました。〝Yes〟がよく使われていましたが、危険な関係の中でも、会話で〝but〟として使われていて、同じだと思いました/オイディプス・コンプレックスは多くの小説で表現されているが、実生活においては、このことはある種タブー的な匂いがする。タブーについて実生活で自分以外に語る事は難しい。でも、この語りたくなる衝動は隠せない。その時に芸術作品が生まれるのかもしれないと思った/今までダダイズムって何だろう、と思っていた疑問が今日で一気に解けました。戦争が終わると人はとても野蛮な行動を起こすんですね〈いや、ダダは戦争中です〉/オイディプス・コンプレックスは前期の講義で衝撃的なことの一つだったので(「父親殺し」の連鎖など)覚えていました/それと、トム・ストッパードも気になる存在になりました。前期の「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」の話の時に面白いなあと思っていて、また今回のレーニン・ダダ・ジョイスの話を聞けて、やっぱり素敵なんだと思いました〈そういう、すてきな発想をする作家が、たまにいるものです〉/今までのすべてを破壊しなければ新しいものは作れなかったのでしょうか。確かに第一次大戦中でおかしな時期だったろうけど、その原因を、まず潰そうと考えなかったのでしょうか。よく言葉にできない言葉がうずまいてきます/私は今でも、よく心理テストとかの結果を「本当に?」と疑ってしまうことがありますが、人間目に見えない事は、なかなか信じ難いんですよね。でも夢とか希望も持たないと生きていけないし……/レーニンと言えば、資本主義反対の意見を持ち、後に社会主義のリーダーとして活躍した人だったので、彼はここで色々と影響を受けたのだろうと思うと不思議な感じがしました〈いや、ストッパードの作品はあくまでフィクションなので〉/「危険な関係」のビデオが面白かった。主人公2人のかけひき(取り引き?)のシーンは特に!お互い商談をしているかのようにも思えたが、口説き合っているようにも思えて、「いったい何考えてるのー!?」とどきどきしながら見てしまった〈まさに!そうそう、その点、重要なポイントだな!〉/私は現代福祉学部の生徒ですが、授業の中でも心理学の方に興味を持っています。今日、フロイトの名前が出てきて、文学作品の中にも、オイディプス・コンプレックス的な父親殺しが描かれているという話を聞いて、新たな発見でした。今までそういう見方をしたことがなかったので、文学と心理学にも、ちょっと通じるところがあったのだと思いました/前回も思ったが、日本人のタテ書きの意識も最近では薄れている気がする。小・中・高と、国語以外の教科書はヨコ書き、ノートもヨコ書き、最近では手紙もヨコ書き。高校では国語の先生が「頼むからタテ書きのノートを使ってください」と指定していた/昔の看板や絵本のタイトルで右から左へ書かれている横書きを見た気がするのですが、あれは戦前からあった縦書き文化のものなのですか?それとも横書き文化が始まったときの試行錯誤で生み出された案の一つとかなのですか?〈もともと、中国からきています〉広辞苑をひいたらプルーストは1922年に死んだとなっているのですが、「失われた時を求めて」は27年に完成しているというのは、死んだ後、誰か執筆を続けたんですか?それとも本の完成までに死後5年かかったのでしょうか?〈はいはい、その通り。死後、刊行が続いています〉/今でこそポルノ雑誌もロリコン情報誌もホモ小説もレディースコミックも堂々と書店に並んで自由に購買できますが、逆に「隠れる楽しみ」が無くなったなあと思うのです。見つかるか、見つからないか、コソコソ読むときのスリルって、最近の授業でよく出てくる不倫ものや赤裸々自談小説にも通じる快楽があったと懐かしく思い出しました。抑えこむものが無くなったら「解放を求める文学」なんて無くなってしまうんじゃないかな……と少し心配です〈いや、いくらおおっぴらになっても、隠すべきものは存在するし、そこを目ざとく追求する作品は出てきます〉/ダダと聞くと、僕はウルトラマン(初代)に出てきた「ダダ」という怪人を思い出します。今思えばあのダダが出てきた話って結構シュールだったような気がします。3分で人間に戻っちゃうはずのウルトラマンがやけに長い間ウルトラマンのまま戦ってたような気もするし。ダダイズムとの関係は……ありませんね/私の聞き違いでなければ、この作品は「有名だけど読まれていない本」だと言っていたので、それって不思議だなぁと思いました。読まれる→有名になるだけじゃないんですね?〈マーク・トウェインの名言に「古典とは、だれもが知っているけれど、だれも読まない作品のことである」というのがある〉/友達の犬は「ダダ」という名前だ。多分狙ってつけたんだけど、「お馬さん」という意味を知っていてつけたのではないと思う。小っさい犬だからだ。フロイトがオイディプス・コンプレックスを生み出したのは、彼自身の特殊な家庭環境にも要因があるという話を聞いた。水野先生の授業で、お父さんの歳が離れていた話とか、フロイトのラブレターとか読んでもらった気がする。しかも何か中毒になってたような……。私にとってフロイトは一歩あっち側に行っちゃった歴史上の人物です〈たしかに、あっちにいっている人でしょう〉/「危険な関係」の再評価が人間の心理への注目という点からされたことで、フロイトの話が出てきて、文学って深い、と感じました。「ユリシーズ」を読もうとは思っていませんでしたが,今日の講義で少しきっかけができたかもしれません。でもペネロペイアの部分のプリントを見て、迷っています。正気で読み切れる気がしません。マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は家の本棚にあるので、その量にひるんでます。ところで、アンゲロプロスの「エレニの旅」をご覧になりましたか。私は「エレニの旅」を見て、絶句しました。映画を見ることが怖くなりましたが、それでも映画館に向かいたいと思います〈確かに。ただ個人的には『シテール島への船出』が好きかな〉/ダダの中心であるチューリヒにツァラ・レーニン・ジョイスの三人が同時期にいたのは、偶然ですか?そして、3人は一緒にいて影響しあったりしたのでしょうか〈偶然です。おそらく出会ってもいないと思う。ストッパードの創作です〉/ダダイズムはどこかで聞いた気がしました。絶望による破壊から自発性や夢というものを取り出して、彼らは何をしたかたのでしょうか〈なにをしたのかは不明だけれど、のちの人々に大きな影響を与えています〉自発性の上に論理的思考が加わることで、行動を起こすとよい結果が生まれそうな気もするのですが……。自発性だけではロクな世の中にならないと思います。「現状」よりも「ロクでもない世の中になるであろう未来」に希望をたくす程、絶望におそわれていたのでしょうか。フロイトはダダにより名が広まったのですか?〈いえ、フロイトはやはり心理学の方面で名前が広まってます〉/ダリのモナリザをデフォルメした絵はなんとも滑稽であり、その後も多くの人がそれを真似ている。けど、決してそれは過去を否定する訳ではないと思う。素晴らしいからこそ、何とかしてやりたいという、嫉妬に似た感情ではないだろうか/フロイトの夢分析は本当に正しいのでしょうか。疑問です。新宿西口で見かけたこれらの看板を掲げた人たちに列をなす人々を見て心痛くもあり、なんだか少しこわくもありました/絵本の書体の話にすごく納得しました。私は幼い頃、絵本から普通の本に移行する時にとまどった思い出があったような気がします/映画が始まる直前にコンタクトを落としてしまって、暗くなってどうしようと思ったけど、映画の内容がなんだか面白かったので、見入ってしまいました。面白くないという噂のアンダルシアの犬が楽しみです

人文特講II 11月7日
日本に横書き小説は売れないと言うジンクスがあることを初めて知りました。でもそれを打ち破った電車男は社会現象を起こしたくらいにやっぱり絶大な人気なんだなと思います。でも確かに縦書き小説の方のイメージが大きい気がします/「アクロバット前夜」短編集って好きなので読んでみたいと思います。一ページ目にまた戻って……と読んでいくのがとても面白そう……/ヨン様のあの映画が1782年の〝危険な関係〟を題材にしているとは知りませんでした。映画情報誌やTVで何度かこの作品についての話を目にしましたが、どれも「ヨン様がプレイボーイに初挑戦!」とか「ドロドロ劇」とか書いてあって面白そうだなと、ひそかに思っていました。結局おばさんたちに混じって見ることは出来なかったんですが、DVDがもう出てるみたいなのでさっそく借りに行きたいです!もちろん小説の方も……/欧米では兄弟、姉妹の上下関係を気にしないという話が面白かったです。私は第2外国語で中国語を勉強しているのですが、祖父母の呼び方が父方か母方かで違っていて、そんなのどっちだって変わらないと思っていたのですが、日本にも同じような感覚があることに気付いてハッとしました/一葉の作品で印象的なのは、「にごりえ」と「たけくらべ」なのだが、両者は一葉が遊女達の手紙を代筆したその内容が元になっていると読んだことがある。これも一種の書簡体小説なのかもしれないし、今でも多くの人達に読み継がれている魅力的な表現なのであろうと思った/横書き小説の話なのですが、2年位前に出た『Love~アユの物語』(書名がうろ覚えなのですが……)という小説のシリーズは「活字に慣れ親しんでいない女子高生達に読んでほしい」という理由から横書きだったのではないかと思います。これも、もともとケータイで読めるネット小説の類で、確か結構売れていた気が……。あと、ブリジット~も文庫版は横書きではなかったでしょうか……?勘違いだったらすみません/「ヘンゼルとグレーテル」や他の作品について、どちらが兄なのかまたは姉なのか全く気にすることもなかったので質問された時とても悩みました/「天保十二年のシェイクスピア」観に行きました。4時間立ち見でしたが、苦にならないほど面白かったです/先生が、その時は横書きだと思うと言っていたのを聞いて「リリィ・シュシュのすべて」という小説を見掛けた事があったが、あの本は横書きだった気がしないでもないけど、どっちだったろうと考えてしまった。私は以外と縦、横を気にせず受け入れてしまうんだろうか/電車男も読んだことがあるのだが、あれは横書きで、内容は面白かったのだが、読み始めは横書きの本を読むということに少し違和感を抱いた/原作を読むと年齢の上下が分からないなんて、ちょっとびっくりです。しかも作者まで考えてなかったなんてことあるんですね!日本人は細かい部分を気にする習性なのでしょうか?〈気にする部分が違うのでしょう〉/聞いた話ではアフリカかどこかの部族では「タマ」という血縁関係を指す言葉があり、日本語で言うと「おじ」や「おば」など約10種類に分かれるものをその一つで表しているらしい/「危険な関係」は昔のドラマ、昼ドラの性格を悪くしたようなストーリーの気がした/樋口一葉の生前に出た書物が通俗書簡体だけだということに驚いた。たけくらべやにごりえも当時すでに人気だったものかと僕は思っていた/手紙や日記の形式の小説は他人の生活を覗き見しているみたいで、面白いのかもしれない/高校の時からも手紙を書くという習慣は私の中にあって、学校であっても、たまにメールをしても、月に何通か手紙を交換し合います。こういった作業をしていると、この行為が小説や物語へと繋がっていく感覚を不思議と持っていたので、今日書簡体小説というジャンルの話を聞いた時に〝これは自然な流れなんだなぁ~〟と思いました/確かに私も日記を毎日書いているけど縦書きです〈!!!〉/肉屋が手紙を運んでいたとは以外でした。でも何だか手紙が生臭くなりそうで嫌です/更に言えば作品の内容だけに捉われずに、それがどう社会に影響したかとか、どういったメッセージが込められているかなど知りたいと思った〈文学が社会に影響をおよぼすよりは、社会が文学におよぼした影響のほうが大きいし、メッセージは各自がそれぞれに受け取るものでしょう。そういうことが気になったら、自分で調べて、考える。そうするといいレポートが書ける〉/日本はつい数十年前まで、特に長男の立場は絶対で、法律なども家の財産などは全て長男が相続し、その代わり他の兄弟の面倒をみるというようなことを、確か太宰治の小説で知りました。もし、日本を欧米流の兄弟感覚ならば、太宰治の家族間での悩みも存在しなかったのでしょうか。そう考えると不思議な気がします/メールの文章で始まる宮部みゆきの「R.P.G」も初めて本を開いた時読む気が失せました。(後で読みましたが)でも、Webページの書き込みが縦書きなことに違和感がありませんでした。日記形式の「ブリジット・ジョーンズの日記」や「アルジャーノンに花束を」が縦書きなのにも何も思いませんでした。きっと、これは小説だから縦書きで当然と思って読むからだと思います/私の中の感覚では、横書きだとテキストのようで縦書きだと「作品」だというのが染みついているからかもしれない/確かに英語の教科書の例文などを見ても、「brother」と「sister」と示されている場合が多く、「older」とか「younger」という記述が見られるものは少ない。目上の人を敬うという儒教の精神が根強くある日本の文化なども影響しているのだろう/確かに状況はすぐに把握できない形式ですが、逆に少しずつ世界が広がったり、繋がりが見えたりするところが普通の小説にはない良さだと思いました/樋口一葉は、お礼の肖像にならなければ、存在自体知らなかったかもしれません/よくよく考えると、魔女に監禁されている間、ヘンゼルは魔女の出す料理を食べているだけだが、グレーテルは魔女の手伝いをしつつ、魔女を騙したり、最後には高温のオーブンに魔女を突っ込んで殺害したりしていて、頼もしい存在なので姉っぽいと思った/たしかに始めヘンゼルは光る小石を緒として行くなど賢さを発揮して泣いているだけのグレーテルを支えている。しかし、中盤になるにつれ、状況をきちんと把握し解決するのはグレーテルの方で、ヘンゼルは頼りにならない。女の子の方が精神的成長が早いせいかと思っていたが、実は姉だと考えると納得できる/横書き小説と言えば、最近、岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』を読みました。あれもネットで繰り広げられるメール小説で本質とかけ離れた所から始まるのが、とても面白くて、どんな風に話が展開していくか分からなくて惹き付けられました/ヘンゼルとグレーテル以外にもこのようなパターンが当てはまるお話があったら、教えて下さい。読み比べてみたいです〈『くるみわり人形』とかの絵本や挿絵も上下が逆になっているものがあります〉/「危険な関係」見たいですねー!ていうより見ます。ドロドロ系は結構好きなので(笑)先生の語りも熱かったので期待大です!あと、1億円で落とされたというヴィクトリア女王の切手、一度でいいから見てみたいですねぇー!〈いや、授業中にもいったように、ヴィクトリア女王の切手はブラックペニーとかペニーブルー。1億円で落札されたと噂されているのは、「英領ギアナの1セント切手」〉/今日の授業で足ながおじさんが出てこなかったけど、あれも手紙形式ですよね?すごく好きな作品なので気になりました……〈その通りです〉/今は横書きでYoshiという人の(Deep Loveなど)本が売れています。でも何だか逆に読みづらい気が私はしました/「愛をください」(確か辻仁成)は楽に読めました。現代ものなのに手紙っていうのは新鮮でした/メールが主流になってしまったけど、私は電車男みたいな本は、あんまり好きではなかった。先生はあの本も有りだと思いますか?横書きってあんまり読んだことないけど、絵本は横書きも多いですよね?子どもが読むからですか?〈いえ、絵本が横書きの理由については次の授業で〉/「若きウェルテルの悩み」は、ラジオの朗読で聞いて面白いと思い、本でも読みました/20世紀に入るそうですが、お願いがあります。ジェームス・ジョイスについて講義してもらえませんか?「意識の流れ」とかについても。『フィネガンズ・ウェイク』は絶対に読めない気がするんですが、あれはいいんですか?(やなせさん訳の)。お願いします〈じゃ、簡単にやりましょう〉/メルトゥイユ侯爵夫人という言葉をものすごく聞いたことがあるなぁ……と思ったのですが、おそらく漫画で、その危険な関係を読んだことがあるような気がします/妹に浮気で妻とギクシャクしている場をとり繕ってもらうなど、兄は何て情けないんだろうと思った/切手の話も興味深かったです。Black Penny見てみたいです。目白の切手の博物館に置いてありそうですね〈ぜひ、行って、その目で確かめてください〉/「危険な関係」はそれを元にしたお芝居を見たことがあるので小説も是非読みたいです。そのお芝居は宝塚だったので、当然主役のヴァルモンも女性が演じるのですが、あらゆる女性にを虜にするというのが頷ける程、色気というかオーラがムンムンでした。前も書いたような気がしますが、色気って男女関係なく作られるというか演出されるものなんだなぁと思いました/郵便制度の発達によって生まれたものだと知り、驚きました。普通に考えれば、想像はつくはずなのですが、今まで考えたこともなかったので新鮮さを感じました/三島由紀夫原作の映画『春の雪』では主役の男の子清顕くんが夢日記を縦書きで万年筆で書いていた。明治・大正の話だと思って、その古臭さとか細いペン先でカリカリ音を立てて書くのが、たまりませんでした。今日は素晴らしい秋晴れですが、昨日の雨にはいささかヘコたれました。新橋演舞場にゼミの先輩と歌舞伎見に行ってみた。忍者漫画『NARUTO』にジライヤというキャラクターがいます。『児雷也』から取ったんだと思うと、根強い人気がありそうだと思った。なんか本物は忍者じゃなくて妖術使いでナメクジとかガマに変身してたりした。これからはナメクジをもそっと微笑ましく見つめられそう/日記は普通横書きですけど、多分初めて書いた日記は、小学校の絵日記だったと思います。でも絵日記は縦書きだったと思います。日記縦書きは変ですが、ある意味馴れているのかと思いました/今日の書簡体小説の授業を聴いていて「木綿のハンカチーフ」という歌を思い出しました。今日の話とは直接は関係無いのですが、手紙には伝えたいけれど伝わらない。お互いの熱量が微妙にずれてしまう、という一面があると思います。出してしまった後に後悔をしてしまうというのも、手紙やメールならではだと思います。会って話せば分かる事、しかし微妙にずれていく関係。こういう小説ももしあったら紹介して欲しいです/「ヘンゼルとグレーテル」「アンナ・カレーニナ」この2つの話から、兄弟の上下にこだわりが日本ほどないということが興味深く面白かった。うちの家もそういう点では国際的なのかもしれない/ハリー・ポッターの翻訳で、ハリーを苛めているおばさんがハリーの母親を名前で最初の頃は呼んでいたにも関わらず、後の方の巻になると、「姉さん」と呼ぶようになったのは、翻訳家が作者に確認した時に、姉妹関係が逆だったのを後で知ったからだとコメントしていたのを思い出しました。翻訳家の人は、シンデレラのイメージがあったので、苛める人は姉、苛められるのは妹という先入観があったのでそう設定したそうです/そう言えば最近、個人のブログが本になったりしていますが、あれは新しい私小説?とでも言えるのでしょうか……〈かもしれない〉/ソビエト映画のアンナ・カレーニナは何となく色彩が暗い、重い感じがしました。アンナが姉だとすると、恋人との歳の差が更に離れてしまうのではないかと心配です/ところで私の友人達はあまり郵便手紙を書かないようです。私はフランスにいる恋人に毎週手紙を書き、2日に一度はメールをし、月に一度電話をしています。使える手段をすべて使っている気がします。手紙はいつ届くのかわからない感じが好きです。18C、19Cとは違いますね/ブリジット・ジョーンズの日記は、映画を見たことがあります。映画では、日記をブリジットは横書きで書いていたので、それを縦書きで翻訳していいのかな?と不思議に思いました/書簡体小説で日本のもので他にオススメのものがあれば教えて頂きたいです〈もちろん、日本でも多くの作家が書いているんだけど、読みやすくておもしろいものといえば、『十二人の手紙』(井上ひさし)、『錦繍』(宮本輝)くらいかなあ〉 /私はメールはやるものの、大阪とか遠くの友達とは今でも文通をしている。文通だと中に色々入れたりできるからであり、本当に郵便にはお世話になっていて、発明した人にも感謝の思いがする/最近の新しい本は、語り方が一人称であることが多いように感じる。一人称の本はどれも読みやすさ、感情移入のしやすさがあるが、しばしば物語りの全体が見えなくなってしまうことがある/先週暇だったので、ビビアン・リーのアンナ・カレーニナを見ました。まさかあそこの人身事故がそう繋がってるとは思いませんでした。今日見たアンナ・カレーニナよりビビアン・リーのアンナ・カレーニナの方が、初めて出会う時、運命的な感じがして好きでした/そして郵便制度の発達。最初に切手を考えた人は本当に凄いと思う。その制度が今現在に至るまで残っているということもよく考えてみると、とても凄いことだと思う/一度でいいから江戸時代の大名が乗っていた籠(?)に自分も乗ってみたいです。急いでいる時は籠を担ぐ人は走っていたのでしょうか。それに乗り物酔いする大名を想像すると面白いですね/ブログ小説、本当に人気ですね。電車男の他にも今、鬼嫁日記というドラマがやっているそうですし、(見たことないですが……)本屋に行くと、~男、~女とついたブログ本がたくさん並んでいます。小説として新しい形の表現方法だと思います。自分のことを赤裸々に語り、より現実味を帯びた親しみやすいものとも認識しています。まだまだブログ人気は続くのではないでしょうか/また書簡体小説のお話で、「小説の評価は時代や社会によって変わる」という言葉。これは小説以外の絵画や人の美しさなどにも当てはまるのかなと思いました/「危険な関係」は数多く映画化されていて、最近ではペ・ヨンジュンの「スキャンダル」や、「クルーエルインテンションズ」というアメリカ映画があった。「スキャンダル」は宮廷を舞台にしていて、巻物のような書物で遣り取りしていて、「クルーエル~」では主人公それぞれが日記をつけていたような気がする。どちらも男の方が先に死んでしまって、本当は男を愛していた、男たらしの女が悲嘆するという結末だったと思う/新橋演舞場・菊五郎劇団「児雷也」見てきました。結論から言うと……70点位でした。十二夜が80点として。美術は良かったけれどストーリーが急展開過ぎて心理描写が追い付いてなかったです。大蛇、ガマ、ナメクジが闘う話なので、なかなかシュールでした。狂言の家元がプロレス参戦するこのご時世、藤間流の家元はドライアイスの中で高らかに笑っていました。歌舞伎座では仁左衛門の熊谷陣屋。やはり厚みのある芝居を見せ付けてくれました。そんな折、松竹座の12月公演のチラシが目に飛び込んで来まして……ニザ玉〝十二夜清心〟〝忠臣蔵〟わたくし何故自分が孝玉時代に生まれなかったと後悔している人間なので、このコンビの色物をみすみす見逃したくない。しかし大阪……行くべきか悩んでおります。殺しに狂う松島屋を是非見てみたい……。ミーハーです、ね、はい。正月明けから国立も浅草も大忙しで体がいくつあっても足りません。何よりも卒論をやらずんば……。気が重いです〈そういえば、大学時代、孝玉コンビの『桜姫』を追って、関西までいった女の子もいたなあ。そういえば、今月、大阪文楽座まで『本朝二十四孝』を観にいくという編集者もいるし。卒論より歌舞伎かな〉

人文特講II 10月24日
今日聞いたロシアの作品はドロドロした人間関係とか退廃的な感じがして、色々と混乱があった国なので、当時の社会の状況とかそれが小説にどう影響したのか気になりました/トルストイとドストエフスキーのことからも分かるように、芸術の評価は時代によって変化するのだということを理解しました。今までそんな風に考えたことはなかったので新たな発見ができて良かったです。確かに身近なところで、音楽なども、その年や年代によって流行る音楽が違ったりします。また個人の好みも何となく時代によって変化するのではないかと思いました/カラマーゾフの兄弟は、前期よく登場した父親殺しが関わってくる話だったので少し気になりました〈偉い!〉/外国の文学は日本と違って、とても鋭いものが多いなと改めて感じました。特に嵐が丘は印象が強烈で、私の頭ではとても考えられないストーリーで、迫力もあり、面食らってしまいました/ドストエフスキーは以前、他の授業の参考文献として読みかけたのですが、長くて難しくて、暗くて、途中で挫折した経験があります……。カラマーゾフの兄弟の話を聞いてて思い出しましたが、彼の作品は暗い物が多いのですね。苦手です/ロシアって文学のイメージが自分の中ではとても薄かったと思う。紹介されたのは、どれもドロドロしてそうで、そんなに読みたい気持ちにはなれないけど、時代によって文学の評価が異なるように、自分の中でも年齢によって好みは異なると思う/トルストイもドストエフスキーも読んだことがないのですが、今日の話を聞いて思っていたより大衆的な感じがしました。ロシアは大きくて寒いので、人間関係を描くところにも、今までのイギリス、フランスにはなかった土地柄の表現がありそうと思いました〈19世紀まで、文学はおおむね、大衆的だよ〉/ロシア文学は、やはりどこかとっつきにくい印象があり今まで読んだことがなかったのですが、こうしてあらすじを聞くとそれだけでも結末が気になる設定だと思いました。ある意味アクが強く感じる部分もありそうですが、設定や人物描写がすごく興味を惹かれました/映画のガウンをはおるシーンでヨーロッパにも左前は縁起が悪い、とかあるのかなと思いました〈たぶん、ないと思う〉/嵐が丘を見て、あんなに堂々と夫の前で違う男性を愛していると言い切れるカタリーナはすごいと思った/時代の好みによって評価が変わる文学の流れを知るのに、日本(世界)文学全集を見るのは確かに分かりやすいと思った/『地下室の手記』を少し読んだが、気分が暗くなってしまって、途中で止めたままになっている/罪と罰もカラマーゾフの兄弟も高校の時に手を出して20~30ページで挫折しました。確か空白が少なくて嫌になった気がします/先週のイギリスといい、「アンナ~」といい、なんか登場人物の関係とか、内容とか、ちょっと「昼メロ」っぽいですね。流行りですか?〈昔も今も同じだと思う〉/ここ数回の授業で毎回のように昼ドラ系の小説が出てくるので、若干頭がごっちゃになってきます。もう少しライトな作品の紹介はないのでしょうか?〈いや、あったんだけど、それは後ほど〉/今で言う韓国映画ですよね。(運命だとか。)いつの時代でもこういうのが受けるっていうのは、みんな怖いけど憧れてしまうっていう部分があるからだと思います。(私的にはかゆい所に手が届かない。って感じですけど。)/それから最近手塚おさむの奇子の話題が友人との間にあって、丁度これから読もうと思っていたのでタイムリーな話でした〈手塚マンガで『奇子』はマニアックだけど、いい趣味だと思う〉/ヒースクリフの復讐劇がなんとなくこの前個人的に読んだシドニー・シェルダンの「ゲームの達人」の中の初めの復讐劇と似ていて、影響を受けているのかなと思いました/昔の小説には「~小説」という分類がなかったんですね。ドストエフスキーなんてミステリーですよね。なぜロシア文学は日本で人気があるのでしょうか〈欧米でも人気があります〉/作品のテーマになるのは、ほとんどが上流階級なのだろうか?小説を書くような人が上流階級で、読み手も上流階級だからそういう作品が多くなって、それが売れるのか〈いや、ドストエフスキーの『貧しき人々』はタイトル通り、貧しい人々の話だし、ゴーリキーの『どん底』もそうだし、先週話したゾラの話だって、貧民階級〉/今日見た嵐が丘は子ども時代を省いているんですね。私は子供時代が好きなので残念です。でもあの長い物語を映画にまとめようとするなんて凄いです。原作を読んでいない人も感動する内容になっていたでしょうか?(最近話題のナナの映画は原作を読んでいないとつまらないもので残念でした)/私はトルストイの〝戦争と平和〟を高校生の時に読んだことがあるのですが、登場人物があまりにも多すぎて途中で読むのを諦めた覚えがあります。また、〝風と共に去りぬ〟も小説で読んだことがあるのですが、あれはとても読みやすかったです/ドヌーヴのデジタル修正の映画はたしか、〝ロバと王女様〟じゃなかったかなぁと思います。確かにポップで少しエロい感じの、でもきれいなものでしたが……。トルストイの〝アンナ・カレーニナ〟読んだことはないのですが、ゴダールの映画(気狂いピエロなど)の主演女優もアンナ・カレーニナじゃなかったかなぁと思いました〈アンナ・カリーナかな〉。が、彼女はフランス人だったかなぁ……/アンナ・カレーニナはソフィー・マルソー主演のものしか見たことがなかったので、ヴィヴィアン・リーのバージョンもちゃんと見たいと思いました。トルストイもドストエフスキーもどっちも濃い人間関係を描いていますが、「カラマーゾフの兄弟」は読んだことがないので読みたい!と思いました。やっぱり、どろどろした人間関係と不幸になっていく人間を見るのが一番面白いんだなと思いました。本当、日本の昼ドラとか韓国ドラマってこういう流れをくんでますよねー/最近よく感じるのはたいていの映画で人が死ぬ事だ。怒りや悲しみといった点で死は相応しいのかもしれないが、人の命をある意味軽く捉えているような感じがして私個人としては良いものと思えない/それと、罪と罰に関して言えば椎名林檎が好きなので、同じタイトルの曲を聴いた時から、本の内容がすごく気になっていたので今度読んでみたいです/ロシアの19Cは自分の知らないことが盛りだくさんで、すごくいい刺激を受けた。ロシア文学という物じたい、あまり聞いたことがないからだろうか/早速買って読んでみようと思いますが、ロシア文学の入門編はどれかありますでしょうか?〈入門編などといわず、いきなりトルストイ、ドストエフスキーから入りなさい〉/映画「アンナ・カレーニナ」の中で唐突に出てきた人身事故のシーンにはビックリした。その後すぐに場面が切り替わったので、なおさら何故あのシーンがあったのか分からなかったが、先生の話で後のストーリーで重要な意味を持って来ると聞き、気になるので最後まで映画を見てみようと考えている/以前、戦争と平和を読もうと挑戦したことがあったのですが、あまりにも長く、宮殿でのパーティあたりで挫折したことがありました。この先年をとったら、多分読破できなくなりそうなので、先生の言った通り、若さでもう一度トライしてみようと思いました/ドストエフスキーの「罪と罰」読みました。合理的で自信に満ち溢れていたラスコーリニコフが罪の意識に苛まれ、警部によって犯行が明らかにされるにつれ、ゆれ動く心理が見事に描かれていて、とても面白かったです〈そうそう、心理劇のミステリー〉/先週のブロンテ姉妹についてですが、この姉妹に焦点を当てた映画(おそらく、イザベル・コペールという女優さんが出演していて『ブロンテ三姉妹』という題名だったかと)があったような気がするのですが……定かではありません〈知らないなあ。わかったら教えてください〉/カラマーゾフの兄弟はたまにカラマーゾフの三兄弟となっているのは、何でだろうと思った。僕の好きな村上春樹がカラマーゾフの兄弟が好きだと言っていたので読んでみようと思う/日本の小説は人名がタイトルになることが少ないと聞いて、考えてみたら思い浮かんだのが吉本ばななの「TUGUMI」と宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」ぐらいだったので、やっぱりめずらしいんだなと実感した/『戦争と平和』是非若い内に読みたいと思います。因みに先生はどういったものを〝若さ〟の定義として考えていらっしゃいますか?〈無知ゆえのエネルギーかな〉/〝風と共に去りぬ〟でとても美しかったヴィヴィアン・リーが〝アンナ・カレーニナ〟では同一人物か分からない位歳をとっているように見えましたが、それでもやっぱり美しいなと思いました〈9年しかたってないけど〉/手塚治虫の「奇子」がドストエフスキーの作品にインスパイアされたものだとは知りませんでした。あの作品も家庭のドロドロとした所を描写していましたが、最後一家ほとんど全員が暗闇の中に閉じ込められるシーンもどこかからの引用なのでしょうか〈いや、それはどうかな〉/戦争と平和が、若い時に読んだ方がいいと先生がおっしゃったのは、長編だからですか?〈エネルギーとある程度の記憶力が必要だから〉/あと、イギリス、フランス、ロシアなどの文学は、取り上げたのに、何故ドイツはやらないのか少し気になった〈内緒です〉/今はドストエフスキーの方が評価は高いのでしょうが、文学全集というシステム自体が機能しなくなっている現在では、巻数などで評価がどうなっているのか判断できないのが、面白くないなと思いました〈またこの頃、復活のきざしあり。来年、光文社から文庫で100冊くらい出るらしい〉/先生が毎回見せてくれる作品が、どれも面白そうで本当に続きが見たくなってその作品を借りて見ている位です。いい所で消してしまうので、時々、上映時間を長くしてもらいたいです。やはり昔の映画は古臭いのが新鮮でどこかお洒落で雰囲気も好きです〈授業で話す時間がなくなるから、だめ〉/昔の人は今の人に比べてハレンチだと思いました〈そんなことないって。渡辺淳一の『失楽園』のほうがずっと……〉/昔の小説はやっぱり近代のものに比べると、より人間の奥深く、というか、醜い部分を前面に出したものが多いように感じる。多少無理はあっても、人がたくさん死んでもギリギリのリアリズムがあるから面白いのではないかと思う/トルストイの戦争と平和は「風と共に去りぬ」と関連はあるのでしょうか?たしかあれもナポレオンのロシア侵攻と闘う話だったような……〈いや、南北戦争〉。先週水曜日「天保12年のシェイクスピア」を観てきました。当日券のために三時間半並んでやっと観れました。長いけどその分、一幕に笑い、ニ幕に深刻に話が展開していき、飽きずに四時間楽しめました。12月にWOWOWで「天保~」も含めた2005年コクーンVS蜷川の4作品を全て放送するそうです。他作品は見てないので全て目を通したいです〈それはすごいな。ビデオにとっておこう。しかし、やっぱり芝居は劇場でないと〉/ロシア文学、私は何故か好きです。(……といっても他の国の文学作品をしっかり読んでいない私なので、ちゃんと比較できてないと思いますが……)すごく読みにくいなーと思いながらも、浪人生~大学入学前の春休みくらいまで苦労して読んだ記憶があります。まぁ、現実逃避のような感じで読んでいたので、それだけにハマったのかもしれません。特に罪と罰には色々と深く考えさせられました/ドストエフスキーの「罪と罰」の話は、映画「ローレライ」の劇中にも話が出てきて、気になっているので、是非読んでみたい作品の内の一つです/現在の特に日本の映画には「愛」について淡々と表現されているため、いまいち観ていて伝わってこないが、嵐が丘の様に直接的に表現する方が伝わったし、自分も見入ってしまった/映画見てて思ったのは、昔の映画の音楽がとても聞いてて心地良かったです。昔の映画のサントラってあるんですかね?〈ない……かなあ。ただ、映画音楽集とかに主題曲なんかが入っていることがある〉/シェイクスピアや19Cの文学を学んで思いましたが、物語の題材でやはり人間の愛憎を描いたものが一番面白いです。人間は実は卑しくて醜いもので、どんどん関係がドロドロするけど、それでも一生懸命生きている、という感じがよく伝わってきます/カラマーゾフの兄弟は面白そうだ。今日さっそく本屋に行って読んでみたい/今の日本映画は純愛がテーマみたいのがあるが、時代の風潮によるものなのでしょうか?〈です……かね〉/映画の「嵐が丘」では、生き物を集め標本にしている父親がいて、逆に母親は、鳥を閉じ込めて飼っている場面が印象的だった。「どちらも生き物の自由を奪っている」という感じがした/ドストエフスキーは「夏象冬記」しか読んだことがなかったけどカラマーゾフの兄弟はとても面白そうだと思った〈また、珍しい本を読んでますね。旅行記だっけ?〉/ロシア文学はアントン=チェーホフが好きです。といってもあまり数を読んだわけではなく、「伯父ワーニャ」「桜の園」「かもめ」くらいですが、劇場用の作品にも関わらず、とても心理描写がうまいと思いました〈トルストイやドストエフスキーとちがって、繊細な感じのある作家で、ロシアのまた別の面をうまく表現してます。短編集もぜひ!〉/授業の最初に先生が言っていた「文化、芸術、アート、音楽は時代によって評価は変化する」という言葉についてその変化させる要因は何か。それも様々あると思うが、世論というか操作されてるような部分がきっとあるんだろうなと思った。個人の好みも移り変わっていくものだけど、今まで何で移り変わるか気にもとめてなかったけど、その背景にあるものを考えてみようと思った/ウィリアム・ワイラーの嵐が丘も良かったが、ルイス・ブニュエルのものも良い感じだった。特にアップの部分になると、わりと目が引き付けられるような感じになる/でもこのルイス・ブニュエルの始まり方だと色々なことが唐突過ぎて、原作を読んでない人はよく分からなくなってしまうのではないかと思いました。原作が有名作品なので、もう皆知っているものとして作っているのかな……/「嵐が丘」は、先週と見比べて、冒頭シーンが違うだけで、これほどまで作品に対する印象が変わってしまうことに驚いた。先週のものは、メインとなるストーリーは過去にあった物語のように展開されていくが、今週のものは、冒頭から既に事件が起こり、観る者は一気に引き付けられるような感じがした。小説においても、時間軸の設定は作品の面白さを左右する、非常に重要な役割を持っていると思った/アンナ・カレーニナの方も、村上春樹で私が好きな短編(「罪と罰」も出て来たりして、ドストエフスキー好きなようです)の中に出てくるため、気になっていました。ビビアン・リーがとても魅力的なので見たくなりました/ドストエフスキーの『罪と罰』はラスコリーニコフがおばあちゃんを殺したあたりで飽きました。トルストイの話で思い出したのですが、『青春の門』、8月から読み始めてダラダラ読むうちについ先日、第六部まで読み終わりました。あれも長い大河小説ですね。人生を描く大河小説って気合が違うというかなんというか……。読み応えは十分でしたけど。あれは第六部で終わりなのでしょうか?第七部は出ないのでしょうか〈どうなんだろう〉。考えたんですけど壮大なファンタジーは横に拡がりを持ってて、人生を描く大河小説は縦に拡がってる……みたいな。ハリー・ポッターはタテヨコに拡がってる感じ。早く続き出ないかな/よく人を書くのに恋愛が題材に選ばれますが、大衆受けがするから書くのでしょうか?人間は恋愛感情があることが、前提だからでしょうか?当り前に経験することだからでしょうか?恋愛感情を全く入れない作者がいたらその人の本をぜひ読んでみたいです〈『ハックルベリ・フィン』『白鯨』『モルグ街の殺人事件』など、あげればきりがない〉/昨日部屋の模様替えをし、なおかつ教育テレビで「醍醐寺歌舞伎」をじっくり見てしまい、スッキリしない朝です。「嵐が丘」「アンナ・カレーニナ」など、ちょっと死なないと救われない人達が主人公の話を見たり聞いたりして、ぼんやりしました。たしか自分はソフィー・マルソーにハナってたことがありました。そんなときに「アンナ・カレーニナ」をソフィーのアンナで見ました。旦那の元に残された息子は絶対苛められると思いました。でも、最後、アンナが……。もちろん、見ててそんな良い気分ではありませんが。ルイス・ブニュエルの「嵐が丘」のキャサリン(カタリーナか?)は本当にワガママそうで満足です。やっぱり死なないと幸せになれない人だったんだ、みたいなことが分かりました。本人も言ってたし。四人主人公って、ちょっと前までは「若草物語」が私のバイブルでした。「カラマーゾフ」、ちょっと読みたくなりました/来週見る「アンダルシアの犬」〈来週は見ません〉高校の授業で見たのですが、確かものすごく怖かった気がします。ここまでの写実主義になると私は耐えられません〈この作品、写実じゃないんだけどね〉/白黒映画って今、夜なのか昼なのかイマイチはっきりしなくて見てて最初疲れた。けど色味がないお陰で音響効果の役割が大きいなと感じた。あと、「アンダルシアの犬」は高校の授業で一回見たことがあって、その時は写実主義を教える題材として見せられたけど、意味不明だしキモチワルイだけだった。「人の夢」をモチーフにしてて不可解な脈絡の無い世界を描いていると教えられ、なるほど悪夢だなあと思った。でも気持ち悪いけど確かに印象深くて忘れ難い映画だった……/〝たくましく知的なイケ面〟と〝優しいが頼りない僕ちゃん〟恋するなら前者、結婚するなら後者か?といった議論はいつの時代も、どの国でもなされるのですね……。最近疑問に思うのですが、「殺しオチ」=結局みんな死ぬ物語って、一般的な人々はどう思ってみてるのかしらん?と。私は苦笑いなのですが、(ロミオとジュリエットも三人吉三も眠狂四郎も)その死を真面目に受けとめて感涙できるのかなあ……かつ昔の人もいちいち「殺しオチ」で何かを得ているのか?と。もちろん考えさせられるものもあるけれど、結局死ぬんかいって、突込みを入れたくなります。みんなどうなんでしょ。最近面白かったことがんじろう&雀右衛門の「河庄」雀が立つ時、いつも周囲が手を差し延べる。中日で代役の訳が分かりますわー。限界はどこまでなのでしょう〈雀右衛門、玉男、いまのうちに見ておかないとね!〉/今の昼ドラをノベライズ化しても、おじさまは手に取らなそうですが、「アンナ・カレーニナ」はおじさま達にもうけていたのでしょうか?だとしたら少し不思議な感じがするなあと思いました〈みんな読んだものです。昔は〉/ヴィクトリア朝下のシェイクスピアの不人気や、日本でのトルストイやドストエフスキーの人気、泉鏡花の再評価など、時代によって文学の好みがあるというのは、その文学が生まれた時期の社会状況の影響をさらに越えるものがあって興味を持ちました。個人の好みは時代の好みに影響を受けるであろうし、そうすると個人の好みなんてどうでもいいような気がします。個人の好みの集積が時代の好みではないし/韓国ドラマを見るおばさん達はよくそれを見て「すっきりした」と言う。私は逆にイライラしてしまうけど……お母さん世代は皆ストレスも溜まっているのだと思う。私も何年後かには『アンナ・カレーニナ』を見てスッキリする時がくるのかもしれない/NODA・MAP「罪と罰」の舞台を見に行く予定だ。このモトになっているのが、ドストエフスキーだとは今日初めて知った。見に行く前に一読しようと思う〈まあ、読んでいかないとね〉/ルイス・ブニュエル監督の『嵐が丘』を観て、まず思ったのは映画全体が何か影で引き立っているような感じがありました/どうでもいい感想だが、映画「アンナ・カレーニナ」の背景の音楽が、某ロールプレイングゲームのBGMに似ていて良かった/今年の夏、二ヶ月かけて「カラマーゾフの兄弟」を読みました。今「罪と罰」を半分ほど読み進めているのですが、確かに「濃い」ですね。登場人物のアクの強さ、ペテルブルグの過度に陰うつな雰囲気に圧倒されました。特に「カラマーゾフの兄弟」でキャラクター達が数ページにも渡って長々と語り続けるのには驚きました。このなの他では見たことがなかったので/アンナとウロンスキーが運命的な出会いをし、最終的にはハッピーエンドになるためには、色々な苦難を乗り越えていくに違いないだろう〈だといいけど……〉。私はこのようなラブロマンスが好きだ

人文特講II 10月17日
我が家には世界文学全集がある(祖母の)ので、授業で出てきた作家の有名作品を今少しずつ読んでいます〈えらい!〉。因みに、うちの祖母はモーパッサンが好きです/先週の講義の後、田山花袋の「蒲団」をネットでダウンロードしてみました。読んだことのない作品なので、しっかり味わいたいです/19世紀のフランスについては政治的動きと文化的動きが一致して、プロレタリア文学がうまれ、共産主義が生まれてったというのは〈ちょっとまとめかたが性急だな〉、高校の時、日本史で「歴史はまず政治があって、文化がそれに連動する」というのを先生から習ったのを思い出しました。でも、今はなんとなく、政治の文化が独立してしまっている気がしてしまう。政治と文化が一体化して日本を何か変えられたら面白いのになぁ……なんて思ってしまいました〈つい数十年前までは、案外と一体化してたんだけどね〉/あと、坪内逍遥の声が聞けたのがすごく驚きました/先々週、『炎のジプシー・ブラス』の映画と彼らの生演奏を見てきました。ありがちなサクセスストーリーというわけではなく、彼らがお金にうるさいところが非常に印象的でした。生演奏はとても良かったのですが、聴いている日本人(私も含めて)はすごくおとなしいなと感じました/「アンダーグランド」(先日お借りした「白猫黒猫」も)とても最初のつかみが他にはない勢いや雰囲気があります。私はあの作品が大好きです。こういった作風の映画を見ると音楽と映画が切り離せない存在であることを実感します。といいますか……ジプシーブラス素敵です!舐めると色々の味のするアメみたいに耳を傾けると色々なことが感じられるので、とても不思議です。先日先生のHP拝見しました。写真がUPされていたりしたので……ご趣味ですか?〈海外に行くときだけカメラを手にします〉/「嵐が丘」のドロドロさは、最近流行りの昼ドラや韓流ドラマに通じるものがあると思う。憎しみや愛。復讐や純愛は時代や文化を越えた人間のテーマなのだろうと思った/特に今日見た「嵐が丘」は、私は個人的にあのように誰かが過去を語り出したりして、ストーリーが始まっていく、という始まり方が好きなので、ものすごく続きが見たいです。ああいう始まり方ってよくあるけれど、いったい最初に考えたのは誰なんだろう……/週末にテレビで見たのだが、前期に見た「蜘蛛巣城」で使われていた矢は全て本物であることを知ってとても驚いた/ヒースクリフのキャサリンへの、ゆがんだ、でも一途な大人の愛が読んだ時にほとんど理解できなかったのですが、もう一度読みなおして物語の深みを理解できたらと思いました/質問です①『オリヴァー・トゥイスト』は雑誌に連載されていたという話でしたが、19C当時の英国には雑誌連載された作品を単行本化する風習(制度?)はあったのでしょうか〈ありました〉。②19C,英国小説の特徴として、女性作家の時代ということを仰っていましたが、それはその当時に〝たまたま〟女性の手による秀逸な作品が出揃ったのでしょうか。それとも何かしらの文化的要因があったのでしょうか〈そのへんはいろんな説があるけど、どうかなあ〉/CDで聞いたハムレットは日本的な感じがすごくあって、話の内容はハムレットなんだけど、全然違った話のように感じました/あと、人気だったという坪内逍遥の大学の講義がどんなのだったのかも気になりました/子どもの頃、日曜の夜にやっていた、世界名作アニメ劇場でも、孤児が、最初は苛められたりして酷い目に合うが最後にはハッピーエンドに終わるという話を見た記憶があるなぁと思った/先日〝亀も空を飛ぶ〟を観に行った。TVニュースの戦争とは全く違うイラク戦争で、現地では情報すら届かない状況だったんだなと思った。親や腕や足がなくても必死に生きてる子ども達を思うと大学にまで通っている自分は本当に恵まれているんだと思った。リアルな戦争の傷あとをTVで放送することはほとんどないが、そういうものが無ければ、私達はリアルな悲しみや悲惨さが分からずにまた繰り返すのだと思う/あと、坪内逍遥の声が聞けるとは思ってもみなかったので〝感動しました!〟/「坪内逍遥」のハムレットはなんだか不思議なものだった。あの語り口でハムレットをやるとまるで日本の物語を聞いているような感覚になった〈というか、歌舞伎調ですね、あれは〉/〝オリヴァー〟は地下に住む映画らしいのですが、地下に住み続けることって、どうするのか気になります〈授業中、寝てましたね〉/坪内逍遥のハムレットには驚きました。音が残っている事もですが、あのような声音や演技ができる点なんかにも「うおっ」と思わされてしまいました。どんな講義をされていたのか気になります。先日12年のシェイクスピア観ました。誰を誉めていいのか分からないくらい、全方位的に良かったです。シェイクスピア作品全て読みたくなりました/オリヴァー・トゥイストはどこで終わるか決まっていなかったという話を聞いて驚きました。現在の新聞に掲載されているものでも、そのようなものは日本に限らずあるのでしょうか〈よくあります〉/5月23日の講義で取り上げられていた「カエターノ・ヴェローゾ」はどこかで聞いたことがあると思いつつもずっと思い出せずにいました。しかし昨日突然ふと、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』と『愛の神、エロス』の中に「カエターノ・ヴェローゾ」の曲が用いられていたことを思い出しました。すっきりした気持ちもありますが、ウォン・カーウァイ監督の作品は好きで割と観ているつもりなのに、なかなか気付けなかったことに結構悔しかったりします。でもやはり思い出したところで今更って感じのことではありますが〈Talk to Her は観ましたか?〉/19世紀のイギリス、フランス文学の話を聞いて同じように、当時の社会体制の弱者的な立場の人物を描いているのに、全く異なるものになったのは、フランス文学の『居酒屋』などがどうしようもないくらい悲惨でつらいという感がするのに対して、イギリス文学の方は孤児という立場でありながらもバイタリティーに溢れ、復讐をしたり、恋をしたりしているからなのではないかと思いました/嵐が丘は登場人物の名前くらい知っていたのだけれども、復讐劇だということは全く知らなかった。あとはヒースクリフがジプシー風の黒人だということも〈いや、ジプシーは黒人じゃない。肌は浅黒いけど〉。白人同士のラブストーリーかと思っていたのでちょっと意外だった。元々知ったキッカケが漫画だったのでそのイメージも原因の一つだと思うが/主人公が孤児という小説が多いという話を聞き、興味深いという感じました。福祉学部の福祉の思想と歴史の授業の際、孤児のことも多く出てきていたので、そういった社会状況が関係しているのかなと思いました/復讐復讐で読むのも結構うんざりだったけど、ヒースクリフはやっぱりキャサリンが好きだったんだなぁと何となくほっとしました。出会った時代と場所が悪かったんです/最初に見た映画「アンダーグラウンド」は、生活の中に突如現れた戦争の描き方がとてもリアルに思えて怖いと思いました。坪内逍遥の朗読には驚きました。どうしても現代史で暗記しただけの人物という印象が強かったのですが、その肉声を聞くと俳優かと思えるくらいに激しい読み方で、こんな語り口で授業や講義をしていたのか気になりました/この頃の小説は、主人公の名前がタイトルになっていることが多い……というのは全くガリヴァーの時には気付かなくて、確かに……と思いました。外国の話で名前だから違和感ないけど日本の小説だったら嫌だったような気もします〈その通りだね。ただ江國香織の作品に『間宮兄弟』というのがある〉/少しだけですが、坪内先生のロミオとジュリエットを読んだことがありますが,何故か笑ってしまいました。言文一致といっても今の感覚で読むと、不思議な文章に思えました。あと先生のHP見ました。他の人の感想も読めるし、自分のが載っていると嬉しいものですね〈楽しんでください〉/クリスマス・キャロルは小学生の時に読んでとても怖い作品、という印象を持っていたが、チャールズ・ディケンズの作品ということは今日初めて知った/私小説にはどういう小説がありますか?「仮面の告白」くらいしか思い出せません。脚色されていたり、普通の小説のようでも私小説と言えるのですか?井上靖の「しろばんば」とか。赤裸々とは言えないような〈『仮面の告白』も『しろばんば』も私小説ではありません〉/今日の授業でチャールズ・ディケンズのクリスマスキャロルが私は子供の頃から大好きで本も持っていて、何度も読んだので、彼が出てきて嬉しかったです。でもクリスマスキャロル以外の彼の作品を知らないので、他のも読んでみたいと思いました/天保12年のシェイクスピアを観ました。韻を踏んだ歌が小気味良くて、役者の演技も全員キレがあって伝えよう伝えようという気が伝わってきて、シェイクスピア37作品が本当に全部登場していて、笑えてとにかく面白かったです。あと夏木マリがみにくかったり、艶かしかったりで、妖怪みたいでした〈じつは、この芝居、イラストレーターの岡田嘉夫さんと一緒に観たんだけど、岡田さんが「いやあ、夏木マリ、妖怪だよ、あれは。いいねえ」といってた〉。それと司会進行のおじさんのたたずまいにホレました。それから篠原涼子のお光がカッコ良くてホレました。あと浮船太夫の話は本筋と関わりがないんじゃね?と思いつつもじんときました。あと、「とばのばのボサノバ」が気に入りました。思い出して書けばキリがないほど、とにかく面白くて感激しました。初めての芝居だったのに、こんなにクオリティの高いモノを見てバチが当たらないかしらと危ぶむほどです。とまあ、今日の授業そっちのけで天保12年のシェイクスピア面白かったですと言いたかったのです〈ここ数年の日本の芝居のなかで三本の指に入ると思う〉/『アンダーグラウンド』は始まりが良いですね。暗い中で何が起ころうとしているのか、知りたくて集中して見ていました。今読みたい本の中で、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』があります。日本の明かり文化について語ったものらしいんですが、明かりの隙間にできる暗闇が恋しいというような内容で。そういう間接照明的なものが好きなので、『アンダーグラウンド』も惹かれたのかと思います。ろうそく能なんかも好きです。見ようって気にさせます〈ううん……ちょっと違うかも……〉/ジェインエアの話はどこかで聞いたことがあるなぁと思ったら、高校の英語の教科書で習ったことがありました。確かにロマンチックな終わり方をしていた気が……?!/19Cの英国で、孤児が主人公の作品がヒットしたものの中に多く含まれているというのは、当時の社会では主人公が何も持っていないところから成功(?という表現は少し違う気もしますが)していく物語が受け、孤児という一般に「かわいそう」な主人公に同調しやすい風潮があったんだろうなぁと思いました/オレンジのぺんしかなくて……すいません嵐が丘という名前は聞いたことがあったけど初めて見ました。今やってるような映画とはずいぶん違くて映像の感じがあたたかい感じがした。今では考えられないような激しい人間関係。続きが気になったのでTSUTAYAに行きます。姉のシャーロットの方も見たい/この間、草間やよいの誰ピカに出てるもののビデオを見ていたらダリが出てきたので昨日ちょっと本屋でダリの絵を見ました。来週が楽しみです〈ダリはもっと先です〉/嵐が丘は昔本を読んだので少しわかりますが、あの本は不思議だったなぁと思い出していました。家政婦は見た!的に別の人からの語りで展開されるのが自分的に新鮮で読みにくかったけど楽しかったです/坪内逍遥の肉声のCDがとても興味深かった。最初どっかの落語家か何かが喋っているのかと思った/坪内逍遥の声という貴重なものが聞けて、嬉しかった。とても可愛らしい声だと思った。私もこの人の授業を受けたかった/以前何かの漫画で、ジプシーが第二次世界大戦中、ユダヤ人のように大量虐殺されていたと読んだのですが、ジプシーもユダヤ人のように歴史的に差別されてきたのでしょうか?〈はい、そうです。もともと「ジプシー」という言葉自体、差別的で、最近では「ロマ」と呼ぶようになってきました〉/授業で私小説は日本で生まれたとありましたが、他の国には、あのような形態の本は無いということなのでしょうか?〈まったくないとはいえないけど、日本のように大きな文学的流れになったことはないと思います〉/萩原朔太郎や室生犀星の朗読のCDが気になりました。どこの会社が出しているのですか?〈コロンビア〉/坪内逍遥が朗読した生(?)の声を聞けて感動しました!凄い!!何十年経った今も残っているのですね。文学史上で見る〝作家〟と直に触れられるのは、文字媒体の作品でだけだと思っていたので非常に面白かったです/19世紀イギリスの小説というと、昔、手に取っては途中で諦めた思い出がいくつかあります。けれどその中でも「嵐が丘」は読みきることのできた数少ない小説の一つです。幼少時代のキャサリンとヒースクリフの素直で素朴な仲の良さが、大人になるにつれ、複雑な愛のかたちとなってしまい、切なくも感じてしまいます。ところで孤児の小説で一番印象が強いのは、「小公女」です。映画「リトル・プリンセス」はいつも泣いてしまいます

人文特講II 10月10日
18C~19Cの小説の歩みの中で写実主義から自然主義へと変化していく過程は興味深いです。リアリティを追求していく事が、細かい描写へと繋がるのですね。今まで意識した事がなかったので、改めて考えると、なるほどと納得しました。青空文庫の存在を知りませんでした。是非活用したいです/イラン映画を初めて見た。映画は好きでアジア映画(主にインド)はよく観るのだが、初めてであった。以前パキスタンかアフガンの映画を観たことがあったが、それと近い感覚を得た。中東のアジア映画は、よく田舎の子供を主人公とし、変わる世界情勢と葛藤しながら、その主人公の行き方を描写する映画が多い。このイラン映画もそれと近い/「亀も空を飛ぶ」は昨日岩波ホールで見てきました。変に映画のテクニックを使わずに、子供たちの感性を表に出し、また、町の状況、住人の生活などが上手に描かれていて、良かったです/写実主義や社会主義など、その時代の流れも文学などにも影響を及ぼすのはすごいと思いました。時代によって少し違う気がするのはそのせいなのかなぁと思いました/近代以降、オリジナルの意味が本質的に根源的から独創的なという流れに変わったとありましたが、今まで、ある人間の冒険話や恵まれた環境で召使として働いていた、など主人公の面白話が多かったですが、「一人の人物の人生を描く」ということから人間に潜む影の部分も次第に描き出し、人間には明と暗の2つがあるという本質的な内容を作り出しているのではないかと思いました/アッバス・キアロスタミ監督の作品はどれも好きです。「オリーブの林を抜けて」はとても綺麗でした。「友達の家はどこ?」はとても子供が可愛らしく展開もどきどきさせるものでした。「桜桃の味」は特に感動しました。話自体は淡々と流れて行きますが、真剣で誠実な話合いはとても良かったです〈よく観てるね。キアロスタミ、すばらしい監督だと思う〉/フローベールやゾラの作品は少し内容を聞いただけで、とてつもなくドロドロしたものだと感じ、ある意味興味が湧きました。日本の私小説『蒲団』を高校の時、何かで少しだけかじったことがありますが、読んでいるこっちがなんとなく嫌悪感や恥ずかしさにおそわれた覚えがあります/もしかしたら、こんな人が身近にいるかもしれない。といった風なリアルな近代小説を感じました。特にボヴァリー夫人はまさに昼メロでやってそうなどろどろした感じが聞いててとても楽しかったです/最近やたらと「星の王子様」が売られているなと思っていたので、その理由がわかってとてもすっきりした/少し前までは、マイクがなく落語家などは大きな声で話さなければならなかったのは、大変だと思った。今となっては何処へ行っても大きな声を出すことはあまりなくなってきたが、たまにはマイクなしの落語を生で聞いてみたい〈落語は今でも、寄席や小さいホールなんかだと、マイクなしだと思う〉/私小説という分野は日本と英米とでは違うものであると書いてある本を読んだことがある。日本でいう「私」は英語では「I」に当たるのだが、そもそも「I」には「私」という主観的な意味と、「総体」というか広い意味もある。自分自身を表現することしかできない「私」と主観的だが客観的でもある「I」には確かに違いがあるだろう。だから日本の私小説と英文の私小説では意味が違うと言う理論を述べた本にも納得がいく。その本は近代珍しいほどの「本格小説」で題名もそのまま『本格小説』(水村美苗)だった〈いい作品です! 現代日本の『嵐が丘』〉/アメリカの映画って大きく宣伝をしているせいかもしれないけど、最初にテーマが提示されて一貫されている感じがします。それに比べてイラン(中東とかその方面)や日本作品は日常を描いていると思います。そういう作品は以前よりは知名度が上がってきているけど、ヨーロッパの映画とかも単館上映ばかりなのが残念です。もっと皆に知ってほしいのに。来週は嵐が丘をやるので楽しみです。小説を読んで映画もどっちかわからないけど1つ見ました! 小説すごい良かったです/今、気になっているのは、題名ははっきり覚えてないのですが、海辺のピアニスト?でしたっけ?それが見てみたいです。先生はいかがですか?〈ごめん。観てません〉あと意外と日本映画も最近好きで、結構見に行ってます。先生のおすすめの日本映画を教えて下さい☆〈ごめん。昔のしか観てません〉/授業で触れた限り、私はフランスよりもイギリスの近代小説の方に心惹かれます。フランスの近代小説が培ってきた客観性や社会の暗部の描写という伝統に堅苦しさのようなものを感じてしまうのです。その分イギリスのワクワク、ドキドキできる小説に興味を感じます/19Cの仏には写実・自然などのある種トレンドのようなものがあったが、今の小説にはそういったトレンドのようなものはあるのか?と思った。というのも、もう出尽くしているのかとも思った〈あと50年後、ふり返ってみれば、いまの小説のトレンドが見えてくるのかもしれない〉/以前、森鴎外の高瀬舟についてネットで検索したら、本文が全て載っているページがあったので、ネット上は著作権が通用しない無法地帯なんだと勘違いしていたが、そうではなかったということが分かった/まずイラン映画を見て、ジャズのベッシー・スミスからビリー・ホリデイへの変遷と映画の録音技術がかぶりました。イラン映画、声を普段の生活より大分張っている印象でしたが、それはマイクで拾える音の限界と関係が深く、その伏線として先生はマイクという化学技術の話もされたんですよね? もし的を得ていなかったらスイマセン……。笑〈そこまで考えてませんでした〉/毎回のように映画の情報を提供していただいてますが、一体どのようにしてそれらを入手しているのでしょうか?特に公開中の映画は何故?と思うのですが〈映画の配給会社に知り合いがいるので〉/失礼だと思いますが、イランでも映画があるんだということに驚きました。この授業を通して他の国の映画が沢山見れて今まで知らなかったことが沢山あってとても楽しいです。このイラン映画では私達がTVのニュースがイランではどれほど重要なものとされているかがよく表れていると思いました/人が目を背けたい汚いものを描こうなんて、そんなもの考えたくも聞きたくもない私にとっては衝撃です/夏休みに何気なく小津安二郎の『東京物語』を観ました。庶民のありふれた出来事を静かに淡々と描いているだけで最初はつまらないと思いましたが、最後に老夫婦のお婆さんが亡くなってしまった時も淡々としていて、むしろ容赦無く描写されていて、逆にグサッと来るものがありました。小津安二郎の作品も自然主義的な流れが少しはあるのでしょうか?〈小津に限らず、当時の日本映画には、ありますね〉/オリジナルを求め、今まで作家達が書こうとしなかった社会の底辺を描き出すことが写実主義、自然主義を生み、やがてそれが社会主義へと繋がっていった事に非常に驚いた。普段何気なく読んでいる〝小説〟にも、こういった誕生の歴史があり、それは時代時代における思想や社会の動きとは、切っても切り離せないものなのだなと深く感じた。このフランスにおいて発生した写実主義、自然主義が日本においてどのように独自性を持ちながら発展していったのか……、興味があるので青空文庫で是非見てみたいと思う/まず冒頭のイラン映画が、映像がなんというか味があって、すごく夢中で見れました。もっと続きが見たいので、時間があれば映画館に足を運びたいと思います。先生の授業を受けるようになって、ミニシアター系の映画に興味を持つようになりました。この間は邦画を見ましたが、すごく良かったです〈そのうち、どこかの単館の映画館で会いましょう〉/universalからindividualへ。この流れが個性・感性とは別のものという考え方にも少し驚いた。individualというと〝個性〟などを思い出すので。今日のこの近代小説の流れを聞いていて、今流行のブログを思い出す。何か似ているなぁと思う反面少し違うかなぁと思ったりもして。でも今ブログを書いている人は〝original〟を出そうと思っているのではないかなぁと思います。概念というのはグルグル循環してどこかで繋がっているのだなぁと思います/中世から近代への物語りから小説の過程はストリーテリングから描写の過程である。それは又音声から文字(活写)への変化の過程でもあった。物語の持っていたカラフルな音声はストーリーの単純さを補っていた。音声を失った小説はその代わりに細かな描写や人の心理に入り込み薄っぺらなストーリーに血を注ぎ込み形で進化していったと思う。そういう意味でイギリスの小説の発展の仕方は面白そうだと思った〈それは、ある意味、当たってますね。近代小説は声に出して読むものではなく、目で追うものになっていくわけで……〉/中世の物語と比べてみると、こんなにも明らかに違うものになっていることに驚いた。今の自分の感覚は、小説には独創性がなきゃいけないというものなので、今ではoriginal, real, individualというのは当り前の条件になっているんだなと知った/本を書く上で、人が扱わないテーマを題材にすることは確かに印象的だと思う。私は大学に入るまでほのぼのした、明日からも頑張ろう!と思えるような本を多く読んでいた。大学に入って、〝これ、すごい!〟と思った本に出会った。その本の名は恩田陸の「月の裏側」生きているって何だろう?って思ってしまった/受験の時に名前だけ覚えたゾラだったが、まさかこんなドロドロとした小説を書いているとは思わなかったです。自然主義は無感動で退屈な文学と高校の頃勝手に思いこんでいたが、誰も書こうとしなかった題材をあえて書こうとしているのだとすれば、一度は読んでみようと思いました〈いや、読めばおもしろいよ〉/「ボヴァリー夫人」のあらすじを聞いていたら思わず笑ってしまいました。本当に昼ドラみたいですねえー。私はハラハラ・ドキドキするような小説が好きなので写実主義のはつまらんのでは……と思っとりましたが、今日出てきた「ボヴァリー」と「居酒屋」みたいに波乱万丈な感じなら、むしろ客観的に描かれている方が面白いのかなぁと思いました/イラン映画は戦争がすごい近づいているのに子供たちがすごい無邪気で元気があるところが対照的でとても印象に残りました〈その通り!〉/以前、田山花袋の『蒲団』を読んだ時に何だか気持ち悪いと感じてしまいました。また、小説って難しいんだなと思ったのもこの作品でした。作品から何を読みとっていいのかよく分からなかったんです。自然主義が日本に輸入されてなぜ私小説という形態になったのか、いつも不思議に思います。それはやっぱり田山花袋の影響が大きかったのでしょうか?〈日本的風土のせいにする人もいるけど、よくわからないな〉/最初に紹介した映画は、ちょっと観てみたいと思った。フランスのサッカー選手のジダンがイスラム教を信仰していると言ったので驚いた/小説というと、1つの決まった型のイメージがあったのですが、時代と共に変化しているのだと初めて知りました。個人的に意外だったのは、写実主義から自然主義への流れでした/イギリスよりもフランスの方が文学的な近代化が早かったというのは少し意外だった。19Cに入って理論的な文学が生まれ、それまで描かれず避けられていた貧困や性などの部分が描かれ始めたというのも意外だったし、それがフランスであったことも驚いた。というのも、貧困などの問題に関して、福祉国家といわれるイギリスではすでに注目され始めた時期だったと習ったからだ〈国民性とか、文学的好みの問題かもしれないけど、やがて20世紀、イギリスにはジョイスが出てくる……〉/写実主義、自然主義の流れについての話はとても興味深かった。それは現代小説にも、その傾向が如実に表れていると思ったからだ。人間や社会の綺麗な部分だけでなく、よりリアルに現実を捉え貧困、性等を描くことによって小説は面白く、共感の得られるものになったのだと思う/今日は先生が紹介していたイラン映画の冒頭シーンがとても印象が強かったです。先生が言っていたように切ない雰囲気があり、子どもが自ら崖から飛び込んで行く姿は異様で恐かったです/originalの言葉の意味は辞書で見て二つとも知っていたが、ギリシア~中世は「根源的な」という意味で使われていて「独創的な」という意味は近代になってから使われるようになったというのはとても興味深かった/冒頭に上映していた「亀も空を飛ぶ」ですが、前期の最後の授業の時に頂いた試写会のハガキで観に行って来ました。とても良い作品でした。本当に子ども達が可愛いですよね。そして主役の女の子の憂いを秘めた眼差しが忘れられません。今日の授業では、originalの意味の移り変わりが面白いと思いました。共通するのは「ほめ言葉である」ということだけで、意味としては180度違ってくる事なんてあるんですね/来週の嵐が丘はすごく楽しみです。一回読みましたけど、ずーんときました。「ガラスの仮面」に出てきて思ったのに、あれには面白そうな所しか取り上げてなかったみたいですね。見事に騙された気がします。ラストで驚かされるとかもなくて、ずっと重いテンポのままでした。受験期に読まなくて良かったです/写実主義の小説は臨場感が味わえるけど、空想できる楽しみがないと思います!私は物語を読みながらあれこれ空想するのが好きなので、中世とかの物語の方が好きです……/今日の授業の小説の歴史はとても面白かったです。小説はやはり時代の鏡であり、その時代の歴史を感じ取ることができました。歴史には科学技術が深く関わっていて、それが客観的思考や社会主義に結びついてくるという流れを知り、来週学ぶプロレタリア文学への関心がますます高まりました。最近、運動靴と赤い金魚という映画を見ました。イラン映画の素朴で心に染み込むようなストーリーと子ども達の目の輝きがとても好きです〈いい映画だよね〉。今日紹介してもらった映画も是非見たいです/マイクの登場で声量のない人も歌手になれたという話は、言われてみれば確かにそうだろうけど、何か新鮮でした。あと……昨日「天保12年のシェイクスピア」の当日立見券に並んできたのですが、二人連れで行ったのに、ゲットしたのが最後の一枚で……泣く泣く手放しました(泣)やっぱり人気のお芝居だからもっと気合入れて早く行けば良かった……何か一回チケットを手にしただけに残念でなりません。でも今度、友人から一つ前の上川隆也主演の「天保~」のDVDを借りる約束をしたので、それだけを楽しみに頑張ります!でもやっぱり芝居は生が……見たかったです……(悲)/今日は久しぶりにノートが1枚埋まりました。授業に来てなかったのではなく、内容が濃かったからだと思います。来週は『嵐が丘』に焦点が当たるみたいで楽しみです。私はキャシーもヒースクリフも大嫌いですが。見終わるとそれなりに後も引くので話自体は好きです。映画はイギリスで作られて、音楽を坂本龍一が担当していたものを深夜BSで見ました。原作は翻訳されていた古い文庫本で読みました。これも暗いしメロドラマなところもありますけど、舞台が魅力的だと思います。ああいう荒れた所、ムーア?〈そうそう、ヒース生いしげる、荒涼とした風景〉がキャシーやヒースクリフを育てたんだろうなと思うと、人間がうつっぽくなるのもわかります。行ったことないけど/オールナイトでゴダールを4本見ました。先生はゴダールは好きですか?〈好きというわけではないけど、われわれの若い頃の常識だったので観てます〉/青空文庫とは誰が名前をつけたのでしょうか、美しいなと思います/「天保12年のシェイクスピア」を先週見てきました。すごかったです。前期に授業に出てきた内容もたくさん出てきていちいち思い返したりしました。でもやはり37作品も盛り込まれていると、パンフレットを読み初めてどのシーンにどの作品が使われていたのか分かったものもあり、もっと読みたいと思いました。個人的には最初と最後の「もしもシェイクスピアがいなかったら」という歌と舞台装置が凄かったです。役者さんも皆すごい上手くて楽しかったです/物語の面白さは、むしろ無くしてしまおうという流れだった、という話には興味を持った/少し前に川端康成etc.の小説をブックオフで買ったのですが、もしかしたら青空文庫で読めたかもと思うと残念です〈いや、1972年に死んでるから、まだ無理です〉/私の中で小説は、「物語性(=プロット)が大切なもの」という認識だったのでフローベールやゾラがそれに重きを置かない小説を書いたと聞いて驚きました/田山かたいの蒲団はずっと読んでみたいと思っていて、なぜなら高校の先生が女子大生?かなにかに恋をして最後に彼女の蒲団のにおいを嗅ぐとかいうとても面白そうな内容を教えてくれたので、気になっていました。青空文庫で読んでみようと思います

人文特講II 10月3日
ロビンソンとパメラとガリヴァー、(手法は違えども)説明的な部分と割り切って読んでいった中で、トリストラムはそれらとはどこか異質──もっと深い根っこから湧いてきたような、その人間の精神・肉体を造った過程であり、気合い──を感じさせる記述があったのが印象的でした。同じ逸脱でももっと物理的なもの──航海技術の発達──によって生まれた外界への憧れ(またはその中にある恐れ?)の反映も強く表れていますが、やはり1719年のロビンソンと1760年代のガリヴァーではその技術・知識の差が歴然としているのが面白いです。私はアイロニーが一番色濃く描かれている(と、冒頭からは判断できる)トリストラム・シャンディが好きです。また手紙の形式で進められているパメラもぜひ続きを読んでみたいと思いました。(手紙は冒頭だけでしょうが……)〈いや、最後まで手紙です〉/お金や身分にはさほど縛られず、自分の意志も定まらないままに、時流に乗って流れていく主人公は、当時の読者からあこがれられたのではないだろうか。また作者も同様に、自らの立場を固定させない主人公に自分というよりは作者自身の理想を重ねたのではないだろうか/4つの小説とも全部、客観的な視点からはなく、主人公の視点から、語られるタイプの文章だということに気づきました。この時代、客観的な視点から描かれる小説はまだあまりなかったのかなと疑問に思いました〈この時代、たしかに、現代小説とくらべると、一人称物が多い〉/内容以前に4作とも共通して一段落に含まれる文の数が、目にしてきた小説と比べて多いことが直感的に印象に残った。手許にある小説『緋色の囁き』をざっとめくってみた限り、一段落中の文は多くても3つほどであった。対してこの4作における一段落の文の数は、それとは比べものにならない程多い。正確に数えた訳ではないが/あと、どの作品も、1つの言いたいことについて、あれこれと表現を変えて長々と書いているのが気になりました/どちらも中流階級の三男坊であるし、レベルは違えど教育は受けている。そして強く憧れていた航海も一度始めてしまえば、どちらも航海に対する情熱はすぐに冷めてしまっている。さらにどちらも書かれているところで嵐に会い、遭難している/当時の人々でも、上流は「淫らで、贅沢で、無軌道な生活」をし、下流は「烈しい労働や貧乏な生活」というはっきりとした認識を持っていることに驚いた。また、両親が子供の幸せは、今の地位を維持すること、絶対に不幸になって欲しくないという強い思いを持っていることも伝わってきた/この4作品に共通していること〝親子〟である。親は自分の(主人公)をどう思っているか、自分はどう見ているか。現在において自分にどのような影響を及ぼしているか……。①私の親父とそっくりで賞──ロビンソン・クルーソー、君の父上は私の親父と酷似している。自分が期待し、手塩にかけた我が子が、自分の見知らぬ世界に飛び出す時、彼らは必死に引き戻そうとする。「安定」「生活」「若気の甘さ」「現実の厳しさ」こんなキーワードを振りかざして子供をたしなめる。しかし私たちは残念ながら安定を求めて安穏と生きていける性質ではなかった。そして君は「ぶらっと出かけた」んだね。②細木数子で賞──「女の操を3回奪った男は天罰が下る」それを防げるのは「それらの女性と別れる際は、心から〝ありがとう〟を言い、プレゼントをする」ことだと先日、細木数子が言っていた。私は彼女のファンではないが嫌いでもない。そしてその観念は素敵だなあ……と思った。それだけ女性の貞操観念は重要だということだし、それに応じた男性の理性、優しさが求められるっていう訳だ。次々と女の子の操を食い荒らす(やりすてって言うのか?)男なんて本っ当 地獄行きだ。③ドン・トリストラム・ガバチョ──「皆さ~ん、わたくしドンガバチョですぞ!」というのは井上ひさし作ひょっこりひょうたん島大統領のドンガバチョである。こいつとトリストラム、ちょっぴり似ているなあ、と感じた。自らの諸説を得意げに語り、押しつけがちである。そしてその諸説とは個性的であり、少々変態(良い意味で)である。しかも他人に悟されようと、バカにされようと自分の意志を貫き、少々酔いしれている。ナルシスティックなトリストラムはドンガバチョだ/個人的に一番興味を持ったのがパミラ。この後、何か起こりそうで、何も起こらなそうなところが気になる。召使と妻をなくした主人との関係というのは、昔からあったようだ/特に、トリストラム・シャンディは一見した所、がちがちな言葉使いであるのに、その内容はやたらとくだらないので、その落差に思わず吹いた/4作品の中で一番面白かったのが、「パミラ」だ。娘の身を案じるあまり、いらね心配までし始める両親がまず笑える。「若旦那が悪だくみをお抱きでなければいいが」などと、こういった疑いは今でもよくあることで、それを聞いた娘の返事も、自分がキレイだと評判だと、すっかりその気。そのままお昼のドラマにできそうな、人間の本音が面白い/この4作品の中で続きを一番読みたいのはパミラです。トリストラム・シャンディも話は全く分からないけど、言いたいことも分からないので興味が持てませんでした/「足ながおじさん」という話がありますが、あれも日記形式でずっと続いていくのが面白いです。こういう形式もパミラからきているのでしょうか/パミラとトリストラム・シャンディは読んだことがないのでこの続きのストーリーを知らないのですが、4作品とも冒頭部分からいきなり話の核心に入っているというか(ロビンソンならすぐに船旅→難破・漂流、ガリヴァもすぐに船旅→難破・リリパット)、話の展開がものすごく早いなあと感じました(多分、私の愛読しているのが京極夏彦氏の作品だからそう感じているのかもしれませんが……)/シェイクスピアでは貴族や王、王子が物語りの中心であったのが、主人公が民衆に移り変わっていました。これはやはり、読者が中産階級になっていることと関係しているのだと思います/まずは今日読んだ内の「ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険」か「ガリヴァ旅行記」を読んでみようと思います。とても有名な本なのに読んだことなくてちょっと恥ずかしくなりました/特に紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見は、冒頭部を一回読んだだけでは、作者が何を伝えたいのかよく分からず(私の理解力が乏しいせいもあるが)第4章に「とはいえ、そう根源にさかのぼってこのようなことを知りたくないというお方々には、私の差し上げ得る最上の忠告は、どうぞこの章のこれから先の部分はお読み飛ばしなさるようにということです。」と書いてあるため、正直もっと読みたいとは思わなかった。全ての作品で共通して言えることは、聞いたことがない単語、意味がわからない単語が必ずあるということである。自分のボキャブラリーの無さを痛感したので、帰ってから辞書を引こうと思った/また、全体的にカッコ書きのところが多く、すごく丁寧に補足説明をしていると感じました。「パミラ」では( )は読まなくても流れが理解でき、< >は読まないと文がおかしくなり、カッコをつけたということは強調したかったのかなと思いました/うちの親も「いつまでも夢ばっかみてないで、現実をみろ」というので、私はこの子の気持ちが痛いほど分かった。どの時代も親は子の幸せを考え、子はそんな親の気持ちを知ってか知らずか、その助言を聞かず出ていくものなのだと思った。パミラも親の感情が手紙を通して読み取れて感動できた。特に「子供の操を売って暮らしを良くするくらいなら、水だけ飲んで、溝さらえの仕事をした方がましだ」というところ。親の鏡だと思った/18世紀の小説というから古典みたいなのかと思ったら意外に現代と変わらなかった/最も腹がたった作品が一つ、「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」である。読みづらい。全くと言っていい程面白くない。なぜこの作品が約250年後に私の手元にきたのだろうか……?〈それが、人生というものだと思う。きっと、この作品、一生、覚えてるでしょう〉/まずロビンソン・クルーソーが18歳だったのが意外でした。もっと小さいイメージだったからです/2作目パメラ:今回読んだ作品の中で私はこの話が一番好きだった。御主人によくされていながらも、自分がおかれている立場を決して鼻にかけずにいる上、両親が抱く子を思う心を嫌に思うことなくいる姿がとてもいとおしく見えた/『ハックルベリー・フィンの冒険』にしろ、『雨の王ヘンダソン』にしろ、客観的には不満な点など皆無である。安住の地を飛び出して、自由を奪われる旅に出発するのである。『闇の奥』に登場するマーロウも、「地図の空白に心を動かされ」て船旅に飛び出した。ハックやヘンダソン・マーロウに共通するのは冒険を一人称で語ることだ/正直言って操の意味は今日初めて知った/もう一つは、家族を中心としているということです。今、日本とかでは特に、個人のあつまりが「家」みたいになってしまっている所があります。でも、4作品を通じて父の影響力がすごく大きいし、手紙ではあっても親子のコミュニケーションがとれているなあと思いました/しかし、この4作品になってくると、現代の小説。脚本ではなく「読み物」であり、読者への問いかけや、「パミラ」に関して言えば手紙の遣り取りのようなユニークなスタイルで、発表当時などはかなり斬新な印象を与えたのではないでしょうか〈ロンドンの郵便制度もやっと整備されたばかりだし、斬新だったでしょう。いまのメール小説みたいなもんです〉/4つの作品は昔に書かれたものなのに意外と分かりやすかったです。どれも一人称で書かれていて、しかも誰かに宛てた手紙または報告書のような感じがしたので、これらの作品に出てくる「私」というのは全て筆者自身というふうに勝手に思ってしまったのですが、そんなことはないんですか?〈必ずしも一致しないかな〉あまり考えたことが無かったのですが、小説ってどういうもののことを指すのでしょうか?〝小〟ってなんですか?〈それは前期に詳しく話したので、前期のみんなの感想を読んでみてください。たぶん、出てます〉/どちらの作品も主人公が「三男坊」であるということに興味を惹かれた。三男は兄弟の中で一番自由に生きることができるということなのだろうか?/さて、イギリス小説の特徴として、もう一つ挙げるとするならば、日本文学でいう明治時代の小説とよく似ているのではないかと思います。冒頭に主人公の説明や生まれなどの情報から物語をスタートさせ、その主人公に関する生涯や出来事をエピソードをまじえながら進めていくという点から特徴として感じた/『パメラ』は、手紙とそれを書くにあたった状況が一緒に書いてあるのが面白いと思った。ロビンソン・クルーソーとちがい、カギカッコが使ってあって、手紙を書いている今と、その事が起こったその時が、はっきりと別れていると思った。だから、その時のことが回想しやすい/4つの作品の始まりを読んで、これらの作品の共通点が見つかりました。それはどの作品も、以前は多く読まれていた神話のような神秘的要素は全く感じられない事です。主人公はみな下層階級あるいはその少し上といった、おそらく当時もっとも多かった階級の生まれで、物語の冒頭からそのことが細かく描かれています。生活感の漂うとてもリアルな背景がどの物語にもありました/そして何より、個人的に一番驚きだったのは「ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険」何を勘違いしていたのか、私はこの作品は少年が主人公で船に乗り冒険をして成長していくという話だと思い込んでいた。それが、読んでみれば少年というよりは青年に近そうだし、これもまた辞書からなのだが、無人島に漂着し、28年間の孤島生活を綴ったものだという……。自分の勘違いに呆れた/四作品を読み、それを比較した時、一番印象に残った共通点は、親元で平和に暮らしている主人公は一人もいない、ということだった。ロビンソン・クルーソーは親に反発して家を飛び出す。パミラは金を稼いで貧しい家庭を支えるために他の家に奉公に出ている。トリストラム・シャンディは、文中に「父と母の双方が、この私というものを仕込むときに、もっと自分のしていることに気を配ってくれたら(中略)この私という人間がこれから読者諸覧がだんだんと御覧になるであろう姿とは、まるで違った姿をこの世にお示しすることになったろう」という表現があることから、両親のせいで主人公にとって幸せではない結末が暗示されている。ガリヴァーは、親元を離れ書生となるが、その師が亡くなったため働き口がなくなり、妻子を養うためそのその後船医となるが漂流してしまう。このようにどの主人公も家庭に問題を抱えていたり、あるいは家族とうまくいっていない。このようにしてみると、「家庭に問題がある」ということは「物語を動かしやすい」といえると思う〈まあ、円満な家庭は小説のネタにはまずならない〉/ロビンソン・クルーソーは冒頭部分が父のセリフを主人公が回想している部分がほとんどでしたが、他の3作品に比べて、そのセリフに比喩表現がすごく多かったように思います。前期で読んだシェイクスピア作品のセリフのようでした。また、せっかく一人称で書いているのに、主人公の心情も、母へのセリフ以外ほとんど語られておらず、台本を読んでいるようでした/ロビンソン・クルーソーの話は有名で僕も聞いたことがあるのですが、無人島に漂流する前の話は知らなかったです。ロビンソンが航海に行く前の父の説諭は、イギリスの階級制度が垣間見れて面白く、また、上位の者ではなく、中位の者が幸福をつかむというところに少し納得してしまいました。また、この父の訓戒が身にこたえたのに、2~3日でこの訓戒が消えてしまったロビンソン・クルーソーの性格はなかなか面白いと思いました。ガリヴァ旅行記、これも僕の中では有名な話ですが、地図を見ると、ジブリ映画のラピュタの文字があり、三鷹にあるジブリ美術館に無性に行きたくなりました(笑)/「現実とは違う不思議な世界へと入りこめるもの」これが私の小説に対するイメージであった。確かに現実設定で日々の葛藤を描く作品も存在するが、どちらかというと私は普段体験できないような事を小説の中で感じたいと思っている。しかし、この4作品はその当時の時代背景に沿った現実的な作品であるという印象を持った。確かにガリヴァ旅行記には小人が現れていたが、その部分以外は日々の生活で思うこと、苦しんだことがほとんどである。トリストラム・シャンディは作者の意見がびっしりと書かれていて、小説というより随筆のように感じた。また、どの作品も読み手がいるということを意識しているようにも思えた/これらの四つの話を読んでみて気づいたのは会話文がほとんど全く書かれていないということでした。「パミラ」と「トリストラム・シャンディ」「ロビンソン・クルーソー」の中に、それぞれ一箇所ずつ出てくるだけで、現代の小説と比べてみると本当にかなり少ない印象を受けました。そこが少し読みにくいという印象を受けました/4つを読んでみて思ったことは、なんだか随筆みたいだなと思いました。作者が主人公になりきって語っていくという形が普通だったのかなと思いました/18世紀イギリスの小説誕生の代表作であるこの四つの作品は、主人公の血統や生い立ちがまず読者の中の主人公のアイデンティティを形成し、正当性や規律というものから少しづつ外れていく主人公たちの運命を描いている/パメラは冒頭を読むと今後も若旦那とパメラを中心に描かれていくのだろうと推測するが、当時まだあったであろう身分違いの二人の関係を、プライベートな手紙につづられる内容を読み進んでいくという形式が、今考えても斬新で興味をそそられる/ロビンソン・クルーソーを読んでみた。翻訳だからか?結構読みやすいんだなあと思った。三百年近く前の小説だとは思えなかった。というか、そんなに前の小説を多分読んだ事がないけれど。でも何か台本を読んでいるような、心情表現が豊かというか、今の小説のように「想像におまかせ」な部分が少ない気がした。それと一文一文が長い。パメラを読んでみた。古文の翻訳をよんでいるような気になった。一人称で、ず──っと自分の感情などについてこれでもかという位書いてあってそれでそれで?と読み進んだ。ロビンソン・クルーソーと同じようにこの時代は階級や身分の差が激しいのかなと思った/主人公達は、父親のこの愛情も理解し、受け止めているからこそ、自立心との葛藤に苦しんでいるのだという様子がどの作品にもよく滲み出ていると思います。(ロビンソンはさほど苦しまなかったようですが、父親の話を聞いて一度は迷っていたし)/ガリヴァ旅行記……すごいペースで年月が過ぎていくので、ガリヴァはいったい何歳になっているのか全くわからなくなった/ところで、私は先程から共通項ばかり挙げているのだが、何故かというと、読んだ時の第一印象が〝すべて似ている〟からである。パメラは手紙上のやりとり、トリストラム・シャンディは献上された(と思われる)手紙、他は自伝といった、形式的な違いは存在する。しかし、今までに挙げた物語の舞台背景は自身の環境、テーマの一つに道徳や良心などが共通しており、どうしても同じような流れの中のモノとしてしか認識できなかった/トリストラム・シャンディはすごく話がリアルでビックリした/トリストラム・シャンディは誰かに直接語りかけるような文体で一文が長い。だからといって読みにくいわけでなく、会話のような演説のようなリズムと勢いがあり読み進みやすい。ただ内容がわかりにくい。演劇のようなリズム感がある/一番よみにくかったのが、トリストラム・シャンディで最後まで入り込めない自分がいた/ロビンソン・クルーソー……中位の身分に安住するを潔しとせず、家を出て冒険をするというのはなかなか好きだけどお父上の長話には閉口しました。ガリヴァ旅行記……これもロビンソン・クルーソーみたく長い身の上話を聞かされるのかと構えていたら、案外早く船が難破して唐突に小人が出てきたのでビックリしました。ガリヴァさんは難破のことをあんまり大事件と思っていないのか、本文での扱いがやけにアッサリなように感じました。トリストラム・シャンディ……途中で飽きました。どこがつまらないというのではなく全体的に興味が持てませんでした。パミラ……娘が若旦那に気に入られているかもしれないと知ったなら、僕はすかさずGoサインを出すので、「操云々、娘の恥の代償がどうした」の下りは、まあ娘を心配する親としては普通かなと一方では理解しつつも他方ではじれったくて仕方ありませんでした。なんか、全部小説を読んでいるというより世間話を聴いているという感じがしました〈近代小説というのは、基本的に世間話なんだと思う〉/今回、初めて昔の小説を読んだ。4つの小説に関して共通していると思ったことは、当り前だけど、現代の小説と比べて、文章が難解であるということ。特に「トリストラム・シャンディ」は言葉が堅く感じて、始めはよく分からない部分もあったけれど、読み進めていくうちに、文章のリズムにも馴れてきた。逆に、2つめの「パミラ」は手紙のやりとりだったため、どんどん入り込むことができた。この後、パミラがどうなってしまうのか……(若旦那が父の考えていたように悪巧みを考えていたのか、それとも、そんなことはなく、パミラは若旦那の元を去ってジャーヴィスさんの所へ行ってしまうのか)続きがとても気になる作品であった。この作品を読んでいて、パミラの父・母の考え方から時代背景がみえてくるような気がした。4つの中で私が一番気に入った作品である/パミラはこの後どうなるのでしょうか。清いまま堅実に生活していくのか、それとも……。往復書簡のような形式も面白いなと思いました/パミラはすごい特徴的だなと思った。手紙を使って物語を進めているから。手紙の内容に身の回りの近況や話した事が細かく書かれているので流れが出来てると思った。でもこんな細かく手紙を書くかな?不自然な気もした。ロビンソン・クルーソーやガリヴァは旅行や冒険の話だからだけど自分の世界を大きく広げようとしているところについつい尊敬してしまう。旅行や冒険では辛い事も沢山あると思うけど、それを乗り越えて人って成長するんだなぁと思わせてくれそうな気がした。驚いたことは、ガリヴァ旅行記からラピュタがとられたということだ。宮崎作品が大好きにも関わらず知らなかった。ラピュタという地名は本当にあったということですか?〈いいえ〉/私はパミラが一番面白かったです。パミラのその後が気になりました。パミラもガリヴァもロビンソン・クルーソーも、生活費が足りないだとか中流家庭だとか、お金がらみの話が出てきて、当時の市民の経済状況がなんとなく想像できました/ところでパミラに「ジャーヴィス」さんが登場しますが、多い名前なのでしょうか。この間「ジーヴスの事件簿」という小説を読みました。ジーヴスという執事が出てきます〈いや、それほど多くはないと思う〉/「 」が少なく、文字が詰まっているので少し読みにくかったけれど、これが三百年をかけてどのような変化をたどって現在の文章形式になるのか気になりました/18世紀といえば日本では江戸時代である。それ程昔の文学を今読んでも全く違和感を覚えず読むことができるのはすごい。作家の恩田陸が対談で「今の小説というものは最初に出てきたいくつかのパターンの演出を変えているだけ」というようなことを言っていたが、この4作品のようなものが、現代小説の基なのだなと思った/何曲も入ってるオルゴールの構造がどうしてもわかりません。曲が混ざっちゃいませんか?〈混ざりません〉/ロビンソン・クルーソーやガリヴァの話は続きが気になるほど、読み入ってしまった。この二つの小説には何にも捕らわれていない若者の精神的な解放感があって若者はいつの時代も変わらず、いろんな可能性を秘めているんだと思った/四篇、全ての冒頭を読み、非常に特徴的であると感じられた事が幾つかあった。現在欧米の家族関係、親子関係は個々が自立した人間であるといった、ドライなものであるとよく聞かれる。しかし、18世紀においては、家制度、家父長制といった日本古来と同じような形態の元、人々は生きていたのだということが窺い知れた。また、家、親、親族間の繋がりも深いことがわかる。一方、親に従うこと、それが全てだった時代から、この四篇いずれの主人公も変革を果たしている。それは社会全体が革命を通じて、価値観を変えていく様とリンクするのではないだろうか/「パミラ」にしても「操だけは守るように」という親の心配を受けとめつつも、どこか足もとがおぼつかない(でも本人はそれに気づいていない)/「パミラ」……手紙の内容は、人に預けることで文通しているのに、そんな内容書いて良いの?と感じましたが、何気に続きが気になるので、多分読むと思います/ロビンソン・クルーソーとガリヴァ旅行記は、小さい頃、児童書で読んだことがあったのでまだ、話に入りやすかったけど、それでもこんなに本題に入る前にダラダラと(私にはそう思えました)説明文があったので、ちょっと疲れました。でもこの二つの作品に共通していることは、何かを捨てても海に出て、色々な体験をする、というところで、この先を読みたかったです。これは今日読んだ全てに共通していると思うのですが、家族に関しての説明が絶対書かれていて、当時の家意識が強かったんだなぁ……と思いました。そういえば、前期の最初に日本での言文一致運動について話を聞いたけど、外国にもあったんですか?〈欧米では、日本ほどドラスティックな運動はなかったと思う。ただ、トルコ、中国、韓国あたりは、大きく変わっているのかもしれない〉

人文特講II 9月26日
夏休みの間に、先生が「婦人公論」に載っていたのを見ました。元々いしいしんじさんが大好きだったので紹介されてて嬉しかったのですが、なんとなく食わず嫌い?だった江國香織さんも紹介されていて読んでみるきっかけになりました。食わず嫌いはやっぱりだめだなと思いました。江國さん、面白いです☆(江國香織、森絵都、梨木香歩、川上弘美、三浦しをん……などなどもあわせて、お勧め)/フリーランスが王にならなくても、それはそれでよいと思う。予言なんてあてにならないのにマクベスと夫人はそれに振りまわされて自滅したというのも面白いと思う/カチャーシーとヴィエラ&カリの音楽は音の感じは違うけれど、テンポや調子が似ていると思いました。テンポの早さとどこでも聞けそうな感じから、どちらの音楽も躍りたい気分にさせるものだと思います/今日聴いたジプシーブラスは自分のイメージとしてはやはり「民族音楽」として頭の中に入ってくるものだった。目を閉じて聴いてみると、草原や砂、風などが見えるような音楽だと思った/最近は映画も音楽もアメリカばかりではだめだと思っていたところなので、ジプシーの音楽はかっこ良かったです。一曲の長さの話も面白かったです。ちょうどこの前買ったマイルス・デイビスのCDも一曲が20分~30分位だったけど、集中して聞けるし、かっこよくて、長さを忘れてしまうようでした/大聖堂のステンドグラスは旧約聖書の物語を描いていたりして、前期にこの授業で聞いた話を思い出しました。他の彫刻も全てキリスト教に根付いていて、ヨーロッパにおいてのキリスト教の影響の大きさを実感しました/地図にない村からの演奏シーンで日本の映像が出てきたのに驚いた。警官と外人?のあらそいは何だったのだろう…。日本のギャルをとって映画との共通点はあったのでしょうか?/一曲の長さの概念がレコードから作られたということを知り、面白いと思いました。今まで特に意識したことはなかったけれど、確かに一曲、というのは3~4分、5~6分、というのが当り前のように頭にあって、そこが今日話を聞いてつながり、面白かったです/昔の文学作品は現代以上にエロチックでパワーがあると本当に感じます。個人的に「東海道中膝栗毛」を読んだ時に感じました/ヴィエラ&カリはシャンソンとラテン音楽の中間的な感じがした。「ティコティコ」という曲にも似ていた/最近ディスクユニオンでジプシーキングスが千円だったので購入した。その矢先の今日の話だったので、興味深い内容だった。最初の方に流していた沖縄民謡も今度買って踊ってみようと思う/最初の方で聴いたジプシーのブラスバンドがとても興味深いものでした。最初に見た映画「白猫黒猫」の時のオープニングで流れた音楽を聴いた時は、コミカルなイメージを持ちましたが、他にも色々聴いていると、軽快で、そして情熱的に感じられ、面白いなと感じられました/大きく分けて一種類の音楽しか聴いていない為だ。音楽には国や民族により独特の味があり、日本の流行(もちろん独特の味の一種だが)しか聴かない私は、比較し読み取る力が小さいと感じる。今、ジャズを聴く努力をしているが,イマイチしっくりこない。この講義のように歴史を知る事が必要なのだと感じる授業でした。ジャズのキッカケは前期の授業であったので、そのバリエーションの種を授業で多く集めたい/「天保12年のシェイクスピア」すごく面白そうですね。4時間というのは少し長い気がするけど、基本的にお芝居を見るのは好きなので、とても興味があります。前期でシェークスピアの作品をいろいろと学び、さらに自分で本を読んでみて面白いことはもう分かっているので、そのシェークスピアの37の作品が詰め込まれているなんて、一体どんなふうに仕上がっているのかと、ワクワクします。見にいきたいです/母親が「天保12年のシェークスピア」を見に行ってました。三味線の先生が出演していたそうです。楽屋に行ったら藤原竜也見たってキャーキャー言ってました/ヴィエラ&カリのジプシーの音楽を聴いてジプシー音楽ってすごくきれいだなと聞き入ってしまいました。哀愁感があってしんみりした気分になってしまいましたが、沖縄のあの明るい音楽に繋がっていることに驚きます/この間沖縄に行って、実際にカチャーシーを聞いて踊ってきたのでCDという形で音だけ取り出して聞いてみると、何だか変な感じがしました。カチャーシ-やエイサーは踊りと一緒になってはじめて成り立つのではないかと思います/今日、一番衝撃を受けたのは、「炎のジプシー・ブラス」だった。私は中~高と吹奏楽部でクラリネットをやっていて最近ちょうど久しぶりに楽器を習おうと思っていたところだったので、久しぶりに楽器の音に触れられて嬉しかった。でも冒頭でいきなりホルン(らしきもの)が水の中から引き上げられた上、放り投げられていて、かなり驚きました。しかもほとんどの人がケースなしで楽器を持ち運んでいて錆びなどが目立っているような楽器なのに、吹いてみたらものすごくいい音なので唖然でした。でもクラリネットがあんな扱いをされたら、間違いなく壊れてしまうのでやめてほしいです/夏休み明けてすぐなので、まだちゃんと切替えができてなくて、朝からやたら疲れてたんだけど、カチャーシーを聞いてたら元気が出てきました。天保12年のシェイクスピアは話を聞いていて見てみたいなと思ったのですが、私はシェイクスピアの作品はロミオとジュリエットしかちゃんと読んだことがないのですが、やっぱりどの部分がこのお話だってことが分からないとこの作品の一番の面白味みたいなものは分からないでしょうか?〈いや、読んでなくてもOK〉/ジプシー音楽って初めて聞きましたけど、不思議ですね。アップテンポで情熱の赤いバラだけど少し切なくて、女性の胸元開いてる、っていうイメージです。私としてはこういう音を聞くとテキーラかっくらって辛いカレーを食べて踊りたくなります。どの国のどの地方の音楽も「民衆」のもの、っていうのはワクワクしてウキウキして、でもどこか心悲しくて。普通に毎日を生きている人たちの心の音楽なんでしょうね。先日、雀右衛門の道成寺を見ました。踊りどうこうより、もうオーラに殺られました。衣装が引き抜かれ軽くなる度に何故か安心する。しかし、ラスト、花子がヘビになるところでJackyの気迫を感じました。彼女はヘビでした。恨み悲しみがドロドロ溶け出して、あの老体から青い炎が見えました。終始ガニ股立ちだったけど、老人力。生きるってスバラしいなあ!と感じました〈雀右衛門の舞台、二十年後には伝説になっているかも〉/『リア王』の道化がいなくなる理由を聞いて、そんな理由だったのかと肩すかしを食らったような気分になりました。私は前期のレポートで『ハムレット』のローゼンクランツとギルデンスターンについて書いたのですが、彼らの退場があまりにもあっさりしていたのも、同じような理由だったのでしょうか〈いや、ただ、そういう説があるというだけです〉/授業の冒頭で聞いたカチャーシーは「カチャーシー」っていうのはバンド名ですか?それとも曲の種類ですか?〈いってみれば、沖縄民謡ですか〉白猫黒猫はどこの国のものですか?〈ユーゴです〉この前「運動靴と赤い金魚」という映画を見ましたが、国によって全然違うなと思いました〈こちらはイランです〉/後期から授業をとったので、シェイクスピアの話など分からない部分も多く、ついていけるのか多少不安を感じました〈だいじょうぶでしょう〉/まず「カチャーシー」という言葉を初めて聞いた。どこかの国の民族音楽かなぁとか思ったら歌っている(?)のは日本人だからびっくりした。歌舞伎にちょっと似ている気がした/カチャーシーとヴィエラ&カリは、なんとなく似ているなと思った。沖縄の曲が外国の曲と似ているというのは不思議な気がする/白猫黒猫だけでなく、映像を流した時、いつもいい所で(これからが気になる所…)止められてしまうのでとても心残りになります。もう少し先までストーリーを見たいです/ジプシーと沖縄のカチャーシーが似ていると言われたんですけど、はじめは音の雰囲気とかも違うから、どこが同じかさっぱり分かりませんでした。でも長さが自由であると言われた時に普段私が聞いている曲の長さが心地よく感じれる自分がいることに驚きました。カチャーシーは長過ぎて正直退屈したし、ジプシーは短かったので「えっ?もう終わり?」と思っていたからです。当り前のことが当り前ではないんだなあ、と感じることができました/最近ソウルフラワーモノノケサミット(?)というチンドン屋的な楽器編成の音楽を聴いている。ロシアの革命歌から日本の流行歌まで歌っている。それらの曲は古臭いどころか、斬新かつ心地良い/カチャーシーとジプシーは、先生がおっしゃった通り、長さの違いが決定的であるものの、やはりどこか似ていると感じました。テンポがよく明るく聞こえてくるけども、少し短調で心に残るところや、効果的に入ってくる歌声や様々な種類の楽器が使われ一曲を成しているところなどは非常に共通性を感じます/全体を通して話の舞台は「やくざ」ですが僕はそのテーマ設定は正しいなと思いました。というのも僕の知っているシェイクスピア作品は必ずと言っていいほど〝陰湿〟なイメージがあります。表現は違えど〝切ったはった〟の場面を演じれるのも、やはり「やくざ」という設定だからだと思います。もしかしたらシェイクスピアは全37作品に何らかの繋がりをあらかじめもたせていたのかも〈それは鋭い指摘だなあ〉/沖縄のカチャーシーは幼い頃からよく聞いているので思わず嬉しくなった。まさかジプシー音楽と比較するとは!さすがです。あと「天保12年のシェイクスピア」これは前々から見てみたい作品だったのですけど、今日紹介してもらって改めて行きたくなりました!というか行きます〈ぜひ!〉/チェコという国はなんて魅力的な国だというのを痛感します。もともとチェコの映画、アニメが大好きで〈じゃあ、そのうち、シュワンクマイエルなんかの映画も紹介しましょう〉、どちらかというと〝アヴァンギャルド〟という印象が強く、とてもシュールで奥深いという点にいつも目がいってしまうわけなのですが、今日聞いたジプシーブラスの民族性あふれる音楽から、また違った一面を垣間見たような気がします。もうDVDを見ていて踊り出さずにはいられない!という感じで心から楽しむ感じがにじみ出ています。バウスシアターは高校の時からセレクトが大好きで行っているところなので、生ライブがあるなんて、もう最高です。絶対に行きます!〈ぜひ!〉/私は沖縄の音楽は結構好きで特に三線の音色が好きです。以前沖縄に行った時、知り合いのコネで『りんけんバンド』のライブを見に行きました。お客さんもすごい盛り上がりだし、バンドのメンバーもとても迫力があって楽しかったです/ところでエミール・クストリッツァって「ライフ・イズ・ミラクル」の監督ですか?〈当たりです〉/しかし、メロディーにあまり抑揚がなく、同じフレーズが繰り返されるカチャーシーと、短い中で情熱的に歌い上げるジプシーには、とても国民性の違いを感じた/この授業を通して舞台も面白そうだと思い、天保12年のシェイクスピアも観てみたいと思いました。しかし前売り券が高くて、代わりに小規模のものではありますが、「銀河鉄道の夜」を観ました。舞台は迫力があって、退屈するヒマなく観ることができました/そもそもジプシーの人たちとはどういう人たちなのでしょうか?また、現在ではどこの国に多く住んでいるのでしょうか?〈その程度なら、図書館ですぐに調べられます。いまは「ロマ」と呼ぶことが多くなりました〉/天保12年のシェイクスピアは、もうチケットがないと聞きました。それでも行きたいと思ってるんですが、ムリな話なんですよね〈当日の立ち見があります〉/12年のシェイクスピアについて――。自分は、恋におちたシェイクスピアを見た時は、1964年オリビア・ハッセーが出ているR&Jに感動しすぎて、正直なんとなく物足りなかったけど、そこまで先生がオススメするなら行きたい!/井上さんの作品で今「吉里吉里人」を読んでいます。長くて疲れるのですが、読んでいるとついその気になってしまいます〈おもしろい作品だよね。しかし井上ひさしなら、『手鎖心中』なんかもお勧め〉/マクベスについて、フリーアンスが王にならなかった事も気になっていたので、今日先生がその事に言及してくれて良かった/シェイクスピアは一人ではなく、複数の作家の共有ペンネームではないかと言われていますが、おそらく正しいのではないでしょうか/国立劇場の女殺油地獄も売り切れ、やはり天保12年~も電話をしたところ前売り、当日共に売り切れ…。立ち見も諦めようかと思っていました。しかし先生のお話を聞いて、やはり観に行きたいという気持ちが高まってきました。ヤフオクで手に入れるなり、立ち見に並ぶなりして行ってこようと思います/ヴィエラ&カリが良かったです。ジプシー音楽結構好きかもしれないです。でもカチャーシーとはあんまり似てないような…似てるような。こういうジプシー音楽って普通にお店にあるんですよね?今度何か聴いてみたいのですが、特に先生のオススメ、もしくは初心者(?)向けってありますか?あったら是非教えて下さい〈今日かけたアルバムなんかはお勧めだし、あと『アンダー・グラウンド』のサントラなんかもお勧め〉/夏休みに「十二夜」の歌舞伎観てきました。舞台がすごく綺麗でセリフや衣装がユーモアたっぷりで、まるで現代劇を見ているようでした。とても良かったです。授業で紹介された「アンダーグラウンド」前から見たいと思っていたので来週が楽しみです!シェイクスピアのエロティックな雰囲気と、ジプシーも似ていてその意外性にも驚いた/私が今日の講義に参加し、一番印象に残ったことは、先生が『今の我々が持っている曲の長さ概念は、レコードによって作られた』仰られた事である。確かにどのような形であれ、曲の長さが5分を超えると長いと感じることが多々ある。しかし、この感覚がレコードによって作られたのであれば、曲の鑑賞を無意識に避けているという状況を作っているという点において、極めて残念だと感じた/それはそうとカチャーシーを聴いて、いつか聴いたパプアニューギニアの歌を思い出しました。何となく。南国の音楽の次は北国の音楽が聴きとうなりました。アイヌ民謡とか。天保12年のシェイクスピアは10月12日のチケットを入手したので見に行きます。今から楽しみです/天保12年のシェイクスピアや吉原御免状など、なんとなく最近、江戸をにおわせるものが増えた気がする。九月のカブキ座でもヤジさんキタさんをやってたけど、万博ネタや細木数子が出てきて、現代とリンクしてた。何か起きてるなあと思う/見てみたいけど六千円…。貧乏学生にはなかなか難しいです〈立ち見はもっと安いという話〉/ところで、シェイクスピアについてですが、どうも本を読んでも映画を観ても面白いと思えません。やはり英語を理解できるようになってから英語の劇で観るべきでしょうか。でないと、シェイクスピアのどこがすごいのか、イマイチよく分からないような気がします〈たぶん、シェイクスピアが合っていないのかもしれない。そういうときは無理をしないで、ほかの映画なり芝居なりを楽しんだほうがいい。シェイクスピアがわからないからといって、悲観することはないんだし。ただ、とくにシェイクスピアは演出でずいぶん変わるから、好みの演出に出会うのを祈るという手もある〉/私はリア王についてのレポートを書いたのですが、道化が消えたのは、そういう現実的な問題からだったのか!とちょっとショックです…。でも本当のところは分からないわけで、それ以外にも沢山の見方ができて、こういう「見るものに判断をゆだねる」部分のある作品だからこそ、今まですたれないできたというのもあるのかなーと思いました/奇しくも昨日バウスシアターに行って来たのです。レイトショーで『イージーライダー』と『地獄の黙示録』を観てきました。音響がしっかりしていたので、劇中音楽も迫力がありました。『ワルキューレの騎行』とか最高でした。その後に六大学野球観戦があったので、ハードでしたが、近いうちにもう一度吉祥寺に行ってみようかなと思いました/ヴィエラ&カリもカチャーシーも確かに何となく似ていると思いましたが、一番の共通点は、どちらも踊りながら聴きたくなるというところだと感じます。その点ではフラメンコやサルサに通じるものがあります。「天保12年のシェイクスピア」は話を聞いていてとても観に行きたくなりました。猥雑さというのは、映画よりもやはりそのとき限りの芝居に似合ってます。CDよりもライブのほうが面白いのもそのせいなのかなと思います/白猫黒猫の映画の音楽も良かったけど、映像(内容)がとても面白かったです/白猫黒猫はバックの音楽に合わせて俳優が音を鳴らしていて、その調和が面白かった/マクベスのポランスキーの映画を見たので最後疑問に思ってたからそれが解決した。フリーアンスはマクベスと同じ道を辿ってしまいそうな気がする。歴史は繰り返すんだなぁ/土曜日に12年のシェイクスピアを観たばかりでまだ感動冷めやらぬ状態だったので、授業で取り上げられて面白かったです。シェイクスピアを読んだことが無かったので、前期でやった内容のものしか元ネタがわからなかったのですが、非常に楽しかったです。全員結局死んでしまって悲惨な話だったのですが、ラストの曲で、それすらも笑いに変えてあって驚きました。授業の感想というよりも舞台の感想になってしまいすみません。ちなみにコクーンシートは六千円ですが、確か立見席は三千円だったと思いました/このような音楽を聴くと自然と体はリズムにのり、踊り出したくなりますよね!レイトショーで生ライブ付は必見だと思いました。足を運びたいと思います/教室に入ってきた時、カチャーシーが流れてて驚いた。今まではヨーロッパ系の音楽が多かったので、沖縄の民謡を耳にした時、すごい新鮮な感じがした。以前沖縄には行ったことがあるから、民謡と共に沖縄に行った頃を思い出し、心が癒された/今日の授業の始めにかかっていた沖縄の音楽は、なんだか落ち着いた気分になるので気に入りました。自由な音楽というのも私にとっては新鮮で心地よいものです。あと、炎のジプシーブラスは是非見に行きたいと思いました。高校時代は演劇などを見に行くことがなかったけれど、大学生になって時間もできたので、少しずつ見に行くようになると、DVDなどより、生の方が断然良いことに改めて気づき、はまってしまいました/アイリッシュ音楽が好きで聴くのですが、ジプシー音楽やカチャーシーと似ていると感じた。炎のジプシーブラスでかかっていた曲がカッコ良くて踊りたくなった。なぜ映画の中で渋谷が出てきたのか気になる〈なぜでしょうね〉/冒頭で聞いたカチャーシー。ジプシーの曲よりも、寧ろ南米の民族音楽のように私には聞こえた。特に自然を感じさせるような音がそう思わせた/カチャーシーの音楽はとても耳に残った。あれを聞いただけで、すぐに沖縄の情景が浮かんでくるというのは凄い。音階は独特だし、声も独特。どちらかといえば、普段私たちが聴いている音楽と比べると、聴きづらいし、不自然な感じなのかもしれない。しかし、この音楽を聴くと、どこか懐かしく、心地良い気分になる。私はとても好きな音楽です

 

 last updated 2005/10/16