管理者:金原瑞人

【題名】JULIET’S STORY     (仮題『ジュリエットの物語』)
【出版社】THE BODLEY HEAD
【初版】1991年
【頁数】131頁
【対象】小学校高学年以上
【作者】WILLIAM TREVOR(ウィリアム・トレヴァー)
 正式名 William Trevor Cox。1928年、アイルランドのコーク州に生まれる。ダブリン大学トリニティカレッジ卒業後、歴史や美術の教鞭をとり、教会彫刻家やコピーライターなどの職業を経て、三十代終わり頃から本格的な作家活動に入った。
 短編、小説、脚本を手掛けるアイルランドの代表的な作家。特に短編の名手として知られている。これまで国際的な賞を多数獲得している(※下記リスト参照)。”JULIET’S STORY” は作者が初めて手掛けた児童書である。

【主な受賞作品リスト】

年 作品名           賞
1964 The Old Boys ホーソーンデン賞
1965 Boarding House ホーソーンデン賞
1975 Angels at the Ritz Royal Society of Literature Award
1976 The Children of Dynmouth ホワイトブレッド賞
1976 小説  Allied Irish Banks Prize
1976 Heinemann Award for Fiction
1983 Fools of Fortune ホワイトブレッド賞
1988 The Silence in the Garden Sunday independent Arts Award Yorkshire Post Book of the Year Award
1991 Reading Turgenev ブッカー賞ノミネート

【邦訳リスト】
 年 題          詳細(訳者 出版社 原書名)
1981 同窓            (鈴木英也訳 オリオン社 The Old Boys)
1983 リッツホテルの天使達    (後恵子訳 ほおずき書籍 Ahgels at the Ritz※短編集)
1992 フールズ・オブ・フォーチュン (岩見寿子訳 論創社 Fools of Fortune)
1990 がまんの限界        (大熊栄訳 集英社ギャラリー『世界の文学』イギリスⅣ Beyond the Pale ※短編)
1992 遠い火遊び         (柳瀬尚紀訳 『リテラリー・スイッチ』第4号 Old Flame ※短編)

【画家】ROBIN BELL CORFIELD(ロビン・ベル・コーフィールド)
 児童書の挿し絵画家。淡くて優しい色遣いが特徴。

【概要】
 ジュリエットはお話の大好きな女の子。いつもお話をしてくれたパディじいさんが亡くなり、そのうえ周囲とうまくいかなくなってしまった。そんなときジュリエットは祖母とふたりで旅に出ることになる。住み慣れたアイルランド、ティペレアリーを離れ、ダブリン、ウェールズ、ロンドンへ。その土地のお話を祖母にしてもらいながら、旅は続く。そして、最後に着いたフランスで、ジュリエットは自分の物語を見つけた。
 ジュリエットの視点で描かれた物語に、いろんな短い「お話」が挿入されている構成。お話の内容はジュリエットの物語と関係ないようで、微妙に絡んでいる。旅とお話を通して、主人公ジュリエットの成長を描いた作品。

【登場人物】
ジュリエット   :主人公の女の子。年齢記載なし。小学中学年の印象。
キティ・アン   :ジュリエットの親友で同じクラスの女の子。
パディ・オールド :ジュリエットの町で一番の年寄り。ストーリーテラー。
祖母       :ジュリエットの祖母。

【あらすじ】
 ジュリエットは眠れないとき、嫌いなものや好きなものを思い浮かべてみる。いろんなものがあるけれど、何よりも好きなものといえば、それはお話だった。
 ジュリエットは、アイルランド、ティペレアリー州の小さな町に住んでいる。町一番の年寄りパディじいさんにお話をしてもらうのが大好きだ。しわしわ顔に涙目のパディじいさんは、晴れて暖かい日には家の玄関に立ち、冬は窓辺に立ち、お話をしてくれる。ジュリエットはキティ・アンを誘ってよくパップディじいさんのところに遊びに行ったが、キティ・アンはテレビのほうが好きで、ジュリエットほどお話が好きではなかった。
 パディじいさんは、『船乗りとネズミ』や『影をなくした男』や『カエルになった妖精』など、いろんなお話をしてくれた。「だれにでも『物語』はある」パディじいさんはそういって、物語のない男の話をしてくれた。

 ロリーは靴下を売って国中を回っている男だった。あるとき、一晩の宿を求めて立ち寄った家で、不思議な老人と出会う。一旦は快く迎え入れてもらったロリーだったが、一つもお話ができないとわかると、とつぜん、家から追い出されてしまった。ところが、道ばたでロリーは、しゃべる串焼き肉に追いかけられた。串に何度も刺され、やっとの思いで逃げ込んだのは、さきほどの家。老人に一部始終を「話す」と、一晩泊めてくれた。けれども、翌朝、ロリーが目を覚ますと、家も老人も消えていた。

 また、あるときは、土地をめぐっていがみあう三兄弟の話をしてくれた。

 土地がだれのものか決めるのに、賢い裁判官が「三人のうちで一番なまけ者に土地を与えよう」といった。三人は自分がいかになまけ者かをいいあうが、だれが一番か決まらない。「では、一番年上の人に」またお互いにゆずらず、決まらない。けっきょく、どんな一番を競っても、決まらなかった。裁判官は最後に「一番賢い人に」といった。兄弟のうち、ふたりは争って、自分の賢さをいいあった。残った一人がいった。「わたしが裁判官で、頭が悪くて、争い事の判決を下せないとします。そしたら、ずっとみんなで考ていろ、という判決を下すでしょうね」「土地はあなたのものだ」裁判官がいった。

 四月の晴れて暖かい日、パディじいさんが亡くなった。
 パディじいさんの葬儀には、町中の人が参加した。ジュリエットは、修道女からじいさんの若いころの話を聞いた。じいさんはティペレアリー中を旅して回り、一晩の宿と引き替えにお話をしていたという。そして、年をとって長旅ができなくなると、この町に落ち着いたとのだった。ジュリエットは悲しくて仕方がなかった。パディじいさんとお話を失ってしまったのだ。それに、じいさんの人生を知って、なんだかあわれな気がしてならなかった。生まれて初めて味わう大きな悲しみに、ジュリエットはまわりが困るほど怒りっぽくなり、ついにはキティ・アンと絶交してしまう。家の中でも、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんのことで疎外感を感じ、いらだちをますます募らせていた。
 そんなとき、ジュリエットの誕生日がやってきた。プレゼントに子犬をもらう約束を楽しみにしていたジュリエット。でも、「大きいママ」の登場で、それはまた今度ということになった。「大きいママ」というのはジュリエットの祖母のことだ。祖母は自分が年寄り扱いされるのが大嫌いで、ジュリエットに自分のことを大きいママと呼ばせている。たしかに、祖母は背が高くてきれいな人だった。「明日、出発しますよ」祖母がいった。とつぜん、わけのわからないまま、ジュリエットは祖母と旅に出ることになった。行き先は祖母にしか知らない。
 翌朝、ふたりはダブリン行きの列車に乗った。祖母は退屈しのぎにといって、『雪の中のヒマワリ』のお話をしてくれた。その語り方はパディじいさんとは全く違う。ジュリエットは初めて、登場人物のつもりになってお話を聞いている自分に気づいた。「ストーリーテラーにふたりと同じ人はおらんのだよ」というパディじいさんの言葉が思い出される。ジュリエットは祖母のお話を聞くうちに、主人公の少年ドムになっていた。

 これはジュリエットの住んでいるところとよく似た町のお話だ。クリスマスの数日前、雪の中にとつぜん、ヒマワリが咲いた。ドムは自分と仲良しの肉屋のクランリーさんが関係していることを知っていた。どこか不思議な感じのするクランリーさんに興味を持っていたドムは、その日、後をつけたのだ。クランリーさんは正直すぎる性格から、「最近、自分の仕入れる肉の質が悪くて」とみんなにいってしまい、このところ店にはだれもこなくなっていた。クランリーさんは家を出て店に向かう途中だった。すると、町のみんながバスで街へ肉を買いに行こうとしているではないか。バスを見たクランリーさんは、思わず涙をこぼした。すると、クランリーさんの前にヒマワリが咲いたのだった。ドムの姿を見つけたクランリーさんは、ヒマワリはクリスマスが過ぎたら枯れるだろう、と予言して、店に入ってしまった。翌日、科学者や新聞記者がヒマワリを求めて押し寄せた。その晩、クランリーさんはいなくなった。ドムは新聞記者に、自分が知っていることを一部始終話した。クランリーさんは特別な力を持っているんです、と。けれども、そんな非科学的なことは、だれも信じてくれなかった。ヒマワリはクランリーさんの予言通り、クリスマスが終わると枯れた。科学者たちはクランリーさんの予言を聞いていたので、驚いた。ドムはクランリーさんがよく口にしていた言葉をいった。「人に全てがわかることはありません。わかってしまったら、世の中、つまらないじゃないですか」科学者たちは、何もいわなかった。

 ダブリンに着くと、祖母の男友達が待っていた。祖母との再会をとても喜んで、しょっちゅう「君は最高だよ」と祖母をほめたり、からかったりする。その人は荷物運びとふたりの乗り継ぎの手伝いをしてくれた。港でその人とふたりは別れ、あわただしく船に乗った。「今度はどこへ行くの?」とジュリエットが聞いた。
「ウェールズよ。魔女の故郷」
 ウェールズからまた、列車に乗った。祖母は昔、ウェールズの人と恋に落ちたことがあるの、というと、『週末の魔女』というお話をしてくれた。今度もジュリエットは、自分がお話の中のフランセスというウェールズの女の子になったような気分で聞いた。バスの運転手のアドルライプさんは、ドムの話のクランリーさん、そして、パディーじいさんを思い出させた。

 フランセスの家にペレゴおばさんが、週末泊まりにやってきた。おばさんはあまり有名ではない女優さんで、ガレスという男の人を連れてきている。ペレゴおばさんは何かをいうとき、必ず最初に「まあ、すばらしい」といった。そして、食事中もずっと白いつば広帽子にサングラスという格好だった。こんなに間の抜けた人は見たことがないわ、とフランセスは思った。おかげで退屈な週末になりそう。けれども、ふと、おばさんは魔女かもしれない、と思った。 フランセスはスクールバスの運転手、アドルライプさんから、世界中の魔女の話を聞いていた。アドルライプさんは世界中を旅して、魔女研究をした人だ。本物の魔女は自分の力を決してまわりに見せようとしないのだそうだ。怖がられて、結婚もできなくなってしまうから。自分の力を隠すため、いつもびくびくしているという。おばさんは列車を降りるときにびくびくしていた。手が冷たいという魔女の特徴にも合っている。ガレスと結婚したいから、魔女の力を隠しているのかもしれない。
 フランセスは翌日、おばさんとその辺に出かけたとき、さりげなく「アドルライプさんから聞いたんだけど」と魔女の話をした。なんとか、おばさんの口から魔女の証拠を引き出したい。とつぜん、おばさんが、フランセスに向かってはってくるヘビを見つけて、「座って目を閉じてみて」といった。フランセスはいやだったけれど、いう通りにした。そして、再び目を開けたとき、ヘビの姿はなく、かわりにテントウムシがいた。フランセスはおばさんが怖くなった。あれがヘビでなくてテントウムシだといいきれるかしら?
「テントウムシに毒はないわよ」とおばさんはいった。その後、家に戻ると、おばさんは前と同じ「ばかみたいなおばさん」になっていた。
 その日の夕方、おばさんは「あなたの週末を退屈にしていないといいけれど。アドルライプさんによろしく」といって、ガレスと帰っていった。あんなにばかみたいで、それでいて怖い人がいるなんて、信じられない。フランセスは次の日、バスに乗ったとき、早速、アドルライプさんに報告しようとした。けれども、けっきょくは「すてきな人が週末にきたのよ」としかいわなかった。

 ロンドンに着くと、ホームに男の人が待っていた。ジャケットの上に細長いスカーフ、ベストにくさり付きの時計を入れている、とてもきちんとした雰囲気の人だ。その人はタクシーでロンドンの観光案内をしながら、別の列車の駅までふたりを送ってくれた。
「退屈してないわよね?」列車の中で祖母がいった。ジュリエットは激しく首を横にふった。「じゃあ、イングランドを通り過ぎてしまう前に、イギリスの話をしましょう」『門番むすめとカタツムリ』のお話が始まった。

 昔々のそのまた昔、アナベラという女の子が、大きな屋敷の門のわきにある小さな家に住んでいた。両親は行方知れずで、屋敷の庭師の祖父と、門の管理をしている祖母と、三人で暮らしていた。アナベラは祖母にいいつけられて、いつもは閉めきっている大きな鉄門を、必要に応じて開けたり閉めたりする仕事をしていた。いつしかアナベラはみんなから「門番むすめ」と呼ばれるようになっていた。
 ある晩、アナベラは祖父が祖母に話しているのを聞いた。門の開け閉めだけの毎日では、アナベラもつまらないのではないか。翌日になっても、アナベラは祖父の言葉が頭からはなれなかった。その日もいつも通り、門の開け閉めをしていると、お屋敷の子供たちを乗せた馬車が門から出ていった。アナベラはいつも門の向こうの庭で遊ぶ子供たちの声を聞いて、仲間に入りたいと思っていた。やがて、子供たちの馬車がおもちゃの包みをたくさん載せて帰ってくると、庭から遊ぶ声がきこえ始めた。その日、アナベラは何をしていても、子供たちの楽しそうな様子ばかり想像していた。
 月日は過ぎ、アナベラは毎日代わり映えのない暮らしを続けていた。けれども、日に日に、だれかと遊ぶというのはどういう感じなんだろう、と考えるようになっていった。ある晩、祖父母が寝静まったあと、アナベラの部屋が月光に包まれてかがやいた。アナベラはそっと家を抜け出して、どんどん歩いていった。気が付くとそこはお屋敷の前。お屋敷のわきに、巨大なカタツムリがいる。祖父がいつもいっているように、これは月明かりのいたずらよ、とアナベラは思った。すると、「その通りだ」とカタツムリは御者のシリルの声でアナベラに話しかけてきた。シリルは寝ているので、声を借りているのだという。また、カタツムリは屋敷のみんなが今見ている夢を教えてくれたり、他にもいろんなことを話してくれた。「またおいで。さびしいカタツムリと話ができるのは、自分一人でなんでもできる女の子だけなのだから」
 アナベラは毎晩、カタツムリに会いに行き、毎日、そのときの会話を思い返して暮らした。すてきなカタツムリがいれば、もう屋敷の子供たちなんて、うらやましくないわ。

 わたしは門番むすめじゃなくてよかった、とジュリエットは思った。わたしにはキティ・アンがいてよかった。ジュリエットと祖母はさらに列車に乗り、船に乗り継いで、また列車に乗って、終点の駅で降りた。そこはフランスの小さな港町で、灯台やヨットが見えるすてきなところだった。ふたりはホテルを決めて、海で一泳ぎした。ジュリエットはとても楽しかったが、どうしてもなつかしいティペレアリーのことばかり考えてしまった。その晩、ジュリエットは両親と、絶交中のキティ・アンにはがきを書いた。そして、思いつくみんなにはがきを書いた。
 夕食のとき、あごひげを生やした青い目のウェイターが祖母が声をかけてきた。「ムッシュー・バップ!」その人は祖母の知り合いだった。ジュリエットは、ペレゴおばさんとガレスのように、祖母もムッシュー・バップを好きだったのかしら、と思った。「わたしにも自分の物語があればいいのに」とジュリエットはいった。アナベルやドムのように物語があればいいのに。祖母は「心配しなくても、人生が終わるまでにはたくさんの物語ができるわ」といった。
 そこへウェイターが、生きているマスの入った水槽をワゴンに載せてやってきた。マス料理はホテルの自慢だという。今泳いでいるマスを食べるなんて、とてもかわいそうでできない。ジュリエットは断ったが、まわりの人たちはみんな注文していた。「かわいそうなお魚さん」ジュリエットはその晩、ねむるまで心の中でいいつづけた。
 翌日、ジュリエットが埠頭に行くと、ゼンマイ仕掛けのおもちゃをたくさん置いてすわっている男の人がいた。白と青のTシャツにベレー帽のその人は、おもちゃを売っているらしく、安いよ、と話しかけてきた。おもちゃの中にはホテルのマスにそっくりの魚もある。ジュリエットはお金を持っていなかったので、おしゃべりだけしてその場を去った。
 翌日、カフェでくつろいでいたムッシュー・バップとジュリエットは、遊覧気球を見かけて、ふたりで乗ってみることにした。気球で空を行くのは爽快だった。最初ははしゃいでいたジュリエットだったが、ふと、空の鳥と海のマスが重なり、考え込む。本当なら海で泳いでいるはずのマスが、水槽に入れられて、自分が食べられるのを待つなんて。そんなのかわいそうだわ。その晩、ジュリエットはこっそりベッドから抜け出して、レストランへ行った。水槽のマスを数えると、部屋にもどった。
 翌朝、ジュリエットはおもちゃ売りのところへ行った。「魚のおもちゃを五つください」ところが、魚は四つしかなかった。しかも、ジュリエットの持っていたお金では五つ買えない。おもちゃ売りはジュリエットにどうして五つ欲しいのか、わけを尋ねた。ホテルの5匹のマスとおもちゃを入れ替えて、海に返してあげるの。おもちゃ売りはおもしろがって、一つ作ってくれるといった。おもちゃ売りは職人でもあったのだ。さらにジュリエットと祖母を家に招待して、スコットランドのお話をしてくれた。

 昔、大きな戦争があった頃、王は馬に乗って戦い、王妃は針仕事をするものだった。ところが、スコットランドに戦いの嫌いな王と、刺繍が苦手で戦いの好きな王妃がいた。ある日、王は戦いに赴かねばならなくなったが、どうしても行きたくない。すると、王妃がいった。王さまは私の部屋にお入りになって鍵をかけ、だれに話しかけられてもお応えにならないでください。王妃は王のかぶとをつけ、王になりすまして戦いに臨んだ。戦いに勝って王妃がもどってくると、王は王妃のやりかけの刺繍をみごとに仕上げ、別の刺繍を始めていた。その後、戦いが起こるたび、ふたりは入れ替わった。たくさんの王子と姫にも恵まれ、スコットランド史上、もっとも幸せなふたりになったという。

 おもちゃ職人は話している間に、おもちゃを仕上げてくれた。しかも、五つの魚はただでくれるという。「ジョークにお金を払う必要はないからね」その晩、ホテルのレストランでは、ちょっとした騒ぎが起こった。マスをナイフで切ろうとして、お皿から天井に飛ばしてしまう人がいたり、マスのしっぽをつまんでぶらさげて見ている人がいたり。それを見ていた他の人たちは笑った。ジュリエットは笑いが止まらなくなってしまった。みんなにわたしの仕業だってばれちゃうかも。ふと、コックが大笑いしている姿が目に入った。コックさんは途中で気づいたのに、料理して出してくれたのね。「今ここで、『物語』のある人はだれなのか、みんな知っているでしょうね」祖母がいった。
 ティペレアリーへ帰る道中、祖母はずっと心あらずといった感じだった。実はムッシュー・バップと、ロンドンのきちんとした人と、ダブリンのからかうのが好きな人から、求婚されていたのだ。どうしたらいいのかわからない、とばかりいう祖母。ジュリエットはおもちゃ職人さんがいいわよ、とすすめた。
 駅にはお父さんが迎えにきていた。ジュリエットにびっくりするようなプレゼントがあるという。子犬だわ、と思っていると、それは赤ちゃんだった。弟が生まれたのだ。ジュリエットは素直に喜ぶことができた。町は何も変わっていなかった。パディじいさんの家もそのままだ。今はもうわかる。パディじいさんは、わたしにめそめそしてほしがっていないし、あのみすぼらしい家に住んでいたのも、何年も放浪の旅を続けていたのも、それなりに楽しかったんだと思う。自分の物語がたくさんあったのだから。
 ジュリエットはそのまま、キティ・アンの家にかけていった。ふたりはまたけんかする前のように、大喜びで再会することができた。ジュリエットは、旅行の前と違って、キティ・アンとおしゃべりをするときも、ちょっとした気遣いができるようになっていた。あまりお話のすきでないキティ・アンに、旅行中に聞いたお話をするのはやめておこう。あのお話は、弟がもう少し大きくなったら教えてあげよう。ジュリエットは今ではわかっていた。どこにでも物語はあるんだわ。それを自分で見つけて書くこともできるんだ。夢の中にも、本当の出来事にも、人から聞いた話にも、物語はある。それを自分らしく少し変えれば、自分のお話になるんだわ。「物語は世界を広げてくれるのよ」ジュリエットは心の中で思った。

【感想】
 読んだ後で一人、物語を思い返して余韻にひたりたくなるような作品だ。初めて自分に近い人を亡くした悲しみ。友達とのけんか。もうすぐ生まれてくる弟か妹を素直に受け入れられず、家の中で感じる疎外感。それらをジュリエットは旅する中で、自分で消化し、乗り越えられるようになる。ジュリエットが乗り越えるものは、児童書の題材としてはそれほど目新しいものではない。しかし、ジュリエットの成長を促すことになる「行き先のわからない旅」と「お話」が、物語の幅を広げ、最後まで読ませてくれる。
 この物語の最大の魅力は、合間に挿入される「お話」だ。作者が短編の名手だけあって、一つ一つがおもしろい。パディじいさんの語るお話は、イギリスやアイルランドの昔話の再話で、祖母のお話は祖母(つまり、作者)が創作したもののようだ。昔話やさまざまな物語に子供たちが興味を持つきっかけになりたいという、作者のねらいがよくわかる。お話の導入にあるパディじいさん(祖母)とジュリエットとのやりとりや、お話の後にあるジュリエットの感想も効いている。
 また、挿入されるお話は、ジュリエットに直接関係ないようで、どこかしら接点を持っている。さりげなく、ジュリエットの物語の推進力になっているのである。「行き先のわからない旅」という設定もおもしろく、「本を読み終わったときにジュリエット自身の物語ができている」という構成と相まって、いい効果を上げている。
 主人公ジュリエットはどこにでもいそうな平凡な女のだ。どちらかというと、「さえない」部類に入るが、素直で好感のもてるキャラクターだ。子供の読者も共感が持てるにちがいない。また、さえないジュリエットにも自分の物語があるところがいい。
 ただ、話も絵も、どことなく古臭い雰囲気がある。しかしそれがまたのんびりとした温かい雰囲気をかもしだしているのもたしかだろう。
 日本の子供には、簡単な旅の行程の地図があるといいかもしれない。
 ラストは、ジュリエットとキティ・アンが語り合う様子がほほえましく、また、ジュリエットのお話に対する思いも語られて、なかなか力強かった。全体的にはお話が合間にはさまっていても、旅のスピード感は失われておらず、重くも軽くもない、ほどよい感じだ。お話から読書へ移行しはじめる子供たちや、ストーリーテリングに興味がある、あるいはストーリーテリングの勉強を始めたいという大人にも、ぴったりだろう。
 お話のおもしろさを十分に「味わえる」本である。


last updated 2003/8/22