管理者:金原瑞人

The Book of the Lion シノプシス

【出版社/出版年】 Viking, a division of Penguin Putnam Books/2000年

【ページ数】 本文201ページ

【作者について】
Michael Cadnum
アメリカ・カリフォルニア州在住の作家。ヤング・アダルト向きの現代物や歴史物を多数著している。
おもな著作
『Calling Home』『Breaking the Fall』『Taking It』『Zero at the Bone』『Edge』『Heat』『Rundown』『In the Dark Wood』

【概要】
十二世紀、リチャード獅子心王に従って十字軍に参加した騎士たちの旅と戦いの様子を描いた歴史フィクション。
ノッティンガムの鍛冶屋の弟子だったエドマンドは親方の罪に連座して牢獄に入れられるが代官のはからいで牢から出され、十字軍に参加する騎士の従者に取りたてられる。他の従者や騎士たちとともにロンドンからノルマンディー、ベネチアなどを経由してパレスティナの港湾都市アッコンに着いたエドマンドは、リチャード王の指揮のもと、アッコン城奪回の戦いやアルスフの戦いに参戦する。

【おもな登場人物】
エドマンド:主人公。十七歳の鍛冶屋見習い
ヒューバート:裕福な羊毛商の息子。エドモンドとともに騎士の従者となる
ナイジェル:十字軍に参加する騎士
ラナルフ:十字軍に参加する騎士

【あらすじ】
 その夜、わたしはドンドンという物音で目が覚めた。だれかが「戸を開けろ!」と怒鳴っている。言葉からして近在の者ではない。親方もおかみさんも起きていたが、おおかた酔っぱらいか物乞いのたぐいだろうと知らん顔を決めている。最近ここらでもこの手のならず者が増えた。かわりにめっきり減ったのは騎士たちだ。まともに戦える騎士はほとんどがリチャード王の率いる十字軍に従って南へ旅だったのだ。
 戸をたたく音はどんどん激しくなって、ついに戸板が破れ、黒い革の具足に鎖かたびらの男たちが乱入してきた。酔っぱらいでも乞食でもない、財務府の役人たちだ。リーダーらしい白い顔の男が親方に「おまえがオットーだな」とロンドンなまりでたずねた。親方は鍛冶屋だが国の銀貨を鋳造している。その銀貨に何かまずいことでも見つかったのだろうか。親方がうなずくと男は「こいつを押さえろ!」と部下に命令した。二人の役人が親方を取り押さえ、鍛冶場の鉄床の上に親方の右手を伸ばす。男が剣を抜いて振りかざし、一気に親方の腕に振りおろした。おかみさんが悲鳴をあげ、親方が苦痛にうめく。白い顔の男が「もう一本右腕がいる」といってわたしを見た。わたしはまだ十七歳だが鍛冶屋の見習いとして力には自身がある。二人の男に押さえられてはいたが、なんとか逃れようともがき、隙をついて逃げだした。だが結局は取り押さえられ、今にも右腕を切り落とされそうになる。が、そのとき「こんな夜中になにをしている?」と役人たちをとがめる声が聞こえた。わが町ノッティンガムの代官さまだ。財務府の役人は、貨幣鋳造師が銀に混ぜものをした粗悪な貨幣をつくっていたため罰しているのだと説明した。しかし結局わたしの身柄は財務府の役人から代官に引き渡され、鎖につながれて代官の城の地下牢に放りこまれた。

 暗い地下牢の中でわたしは十字軍に参加することを夢想した。親方のオットーは親切ないい人だったが、銀に銅を混ぜて王をあざむいた罪人である。弟子のわたしも同罪だ。異教徒から聖都を取り戻す戦いに参加したものはすべての罪を許されるというから、わたしも騎士たちとともに戦い、この罪を清めたい。だが剣や槍の使い方も知らぬ鍛冶屋の徒弟では十字軍に参加することなどかなわぬ夢だろう。わたしはエルビバのことを考えた。エルビバはオットーの友人の羊毛商の娘で、わたしとはひそかに愛を語りあった仲だ。エルビバの父は徒弟人と娘の結婚など許すはずもないが、わたしはいつか出世してエルビバと結婚できる日を夢見ていた。それもかなわぬ夢となった……
 翌日、地下牢から出されて代官の部屋に連れていかれた。わたしは代官に慈悲を乞うた。すると代官は「慈悲は贖罪の行為とひきかえに与えられる」といい、馬に乗ったことはあるかとたずねた。
「樽造りの職人だった父の商品を馬に乗せてよく市場まで運びました」
そう答えると代官はわたしをナイジェルという騎士に紹介してくれた。彼は病気のため十字軍に参加するのが遅れ、今から出発するのだが、お供をする従者を探しているという。
「ナイジェル殿、この者は馬に乗れると申しております。それにこのような屈強な若者を神の戦いに供しないのはおおいなる無駄ではないでしょうか」
代官にそういわれたナイジェルはわたしをじろじろと見てこういった。
「従者の候補として、羊毛商の息子が一人、名乗りをあげている。二人を戦わせて勝ったほうを連れていくことにしよう」

 わたしはナイジェルの屋敷に連れていかれた。彼はわたしに食事の供をさせながら、つい最近お気に入りの従者を事故で亡くして非常にショックを受けたこと、死ぬ前に大きな戦いに参加して王のお役に立ちたいと思っていることなどを話した。ナイジェルの目にはなんともいえず人を魅了する輝きがあり、わたしは彼を好きになり始めていた。
 けれどもその夜、寝台に横になると、明日行われるという決闘が恐ろしくなってきた。ナイジェルによるとヒューバートという羊毛商の息子は馬にも乗れるし剣も使えるという。荷役馬しか乗ったことがなく、剣も使ったことのないわたしに勝ち目はないように思えた。
 皆が寝静まった夜中、わたしは屋敷で見つけた小銭入りのサイフをもって逃げ出した。人気のない町を抜け、森へ入り、その先の田園地帯に行く。父が最後に残した言葉は「エドマンド、誇りたかく生きよ」だった。その言葉を裏切っているという思いがわたしの歩みを一瞬とめた。その後、再び歩きはじめたとき、若い騎士が馬に乗ってこっちへ向かってきた。どうやら暴れ性の馬に手を焼いている様子だ。わたしはくつわをつかんで馬に声をかけ、落ちつかせてやった。騎士は礼をいって馬を降り、こういった。
「エドマンドだな?ナイジェルさまの家から盗んだサイフを返せ」
「あんたはだれだ?」
「おれはヒューバートだ」

 わたしはヒューバートと一緒にナイジェルの屋敷に戻った。ヒューバートによると、財務府の役人がわたしを再び捕まえようとしていて、ナイジェルがそれを阻止するため骨を折っているそうだ。屋敷に戻ったわたしはナイジェルのもとに赴き「どうかわたしとヒューバートの二人とも従者にしてください」と頼んだ。するとナイジェルは「わたしはおまえが気に入っている。その生き生きした目も力強い腕もな」といって、わたしの願いを聞きいれてくれた。
 その夜、ナイジェルの屋敷は旅立ちの準備に大忙しだった。ナイジェルは遺書の準備のため、法律の専門家と話し込んでいた。十字軍に参加することは十中八九、死ぬことを意味していたからだ。召使い頭のウェンスタンはナイジェルについていくが、他の召使いはみな他家へ奉公することになっていた。
 わたしは屋敷の者に頼まれて金物の修理をしていた。するとそこへラナルフという騎士が現れた。ラナルフは十字軍に参加するためマイルズという従者とともにナイジェルの屋敷に逗留していた。彼はあるトーナメント(騎士たちが参加する武芸競技会)で五人の騎士を殺し、神を恐れぬ不信心者だという噂がある。ラナルフは大きなへこみのある鉄製のヘルメットをわたしに押しつけ、直してくれと頼んだ。だがそのへこみはわたしがいくら力をこめてたたいても容易にもとに戻らない。疲れきったわたしがもうあきらめようと思ったとき、そばで見ていたラナルフが静かな声でいった。
「主が力を授けてくださる」
それはわたしの父が死に直面したとき、ジョゼフ神父が父を励ますために口にしたのと同じ言葉だ。ラナルフは噂のような悪い人物ではないかもしれない。わたしはそう思いながら再び槌をふるい、ついにヘルメットのへこみを直した。

 翌朝、わたしたちは教会で告解をしてから近隣の者の見送りを受けて出発した。オットーのおかみさんもエルビバもいた。オットーは腕の傷がもとで亡くなっていた。わたしはヒューバートが乗っていた暴れ馬ウィンタースターをあてがわれ、それにまたがった。いままで感じたことのない誇らしい気持ちだった。ナイジェルとラナルフは青地に白の十字の入った服を着て、横にはウェンスタンとマイルズがそれぞれ武具を携えて従っていた。
 一行は南へ南へと進んだ。ロンドンに近づくにつれ、川の氾濫のせいで泥だらけの道が続く。やがて着いたロンドンは遠目にはごく普通の町だったが、町に入って高い建物や搭を見ると、とうとう王都にやってきたという実感が湧いた。人々の服装も違うし、言葉もほとんど理解できない。わたしたちは町をゆっくり見物する暇もなく、翌朝夜明け前に川に浮かべた船で出発した。

 わたしは今まで船に乗ったことがなかった。ヒューバートはすばらしい船だとはしゃいでいたが、わたしはすぐに船酔いに苦しむようになった。陸に着くまであとどれくらいかかるのかナイジェルにきくと、海峡を渡るのに一ヶ月はかかるといわれた。海峡とはどことどこの間の海か、わたしにはさっぱりわからなかった。
 やがて海に出た。船は天にものぼるほど高くあがったかと思うと次の瞬間には波間の谷底へ落ちていく。わたしの船酔いは前にもましてひどくなった。ナイジェルにこの船でエルサレムまで行くのですかときくと、ナイジェルは笑って答えた。
「この船はノルマンディーまで行くだけだ」
ノルマンディーという地名はわたしになんの情報も与えてくれなかった。わたしが今までに見た一番立派な地図はこどものころジョゼフ神父が見せてくれたものだ。ロンドンはどこですかときくと、神父は「ロンドンはあまり重要な場所ではない。この世で一番大切な場所はエルサレムだ」といってエルサレムを指し示してくれた。
 わたしは激しい船の揺れにもまったく平気なヒューバートがうらやましく、自分の弱さがうらめしかった。この苦しみにもう一刻も耐えられないと思ったころ、ようやく陸が見え、わたしたちはノルマンディーに上陸した。

 宿に落ちついて食事をしているとき、ひとりの船員が、騎士に強姦されて殺された女の幽霊を見たと話した。
「このあたりの騎士は女を犯したり殺したりするのですか?」
わたしが驚いてきくと、ナイジェルはうなずいた。
「ローマ教皇がたくさんの騎士を聖都に送り込もうとしたのは、そのためでもあるのだ」
 翌日からわたしたちは船で川をさかのぼったり、陸にあがって森を抜けたりして旅を続けた。見慣れない異国の景色の中で、わたしとヒューバートは今までにきいたことのある様々な怪物──胸に顔と脳のある頭なし人間や一本足人間など──に出会うのではないかと話しあった。あるときわたしはナイジェルに異教徒の王サラディンについてたずねた。
「サラディンは我々と同じ人間の姿をしているのでしょうか。それともやはり怪物なのでしょうか」
「異教徒、つまりイスラム教徒については、彼らがクリスチャンから聖都を奪ったということ以外わたしは知らない。だが彼らも我々と同じからだつきであることは間違いないと思うよ」
 やがてわたしたちは海に着いた。

 聖アグネス号を見てヒューバートは「こいつは船というより城みたいだ!」と叫んだ。その巨大な船に小麦やワイン、家畜などの食料を積んで、わたしたちは出航した。わたしはまたしてもひどい船酔いに苦しんだ。舷側から頭を突き出して海にへどを吐くたびに、ジェノヴァ人の船員たちが笑いながらなにかいった。
 ある日、東洋のシルク、香料などをいっぱいに積んだイスラム教徒の船とすれちがった。ターバンを巻き、腰には三日月型の剣を差したひげづらの異教徒たちは、聖アグネス号のベネチア人の船長と親しげに言葉をかわして通り過ぎていった。なぜ彼らは攻撃してこないのかとナイジェルにきくと、ナイジェルはこう答えた。
「彼らはベネチア人とは仲がいいのだ。ときにはクリスチャンの船を聖都まで案内することもある」
「まさか。彼らは同胞を裏切るのですか?」
「おかしなことだが本当だ。おそらく暑さのせいで頭が半分おかしくなっているのだろう」

 やがてあたりの海に漂流物が増えはじめ、遠くにベネチアの町が見えてきた。だが港は軍艦や商船などでいっぱいで、容易に近づくことができなかった。ベネチアの税関の役人が向こうから積み荷の検査にやってくるまで待つしかない。つばめが頭上でキーキーと鳴くたびに「急げ、聖戦はもう始まっているぞ!」といわれているような気がした。焦るわたしにヒューバートがいった。
「リチャード王もまだシチリア島にいる。王が現地で剣を抜くまで戦いは終わらないよ」
 役人の船がようやくやってきた。しかし聖アグネス号の船長が出した書類に不備があったらしく手続きが進まない。やがて役人たちに子山羊の皮袋が押し付けられ、中身を見た役人は肩をすくめてわたしたちの上陸を許した。
 ベネチアは海に浮かんだ陰気な町だ。どこへ行っても騒々しい市場と階段と運河にぶちあたる。わたしとヒューバートは後足で歩く犬のいるおもしろい酒場を見つけ、そこでしこたま酒を飲んではめをはずした。そのあと暗い町に出たとき、だれかに銀貨を盗まれた。さらに、ヒューバートが何人かの男に囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けた。わたしは最後までしつこくヒューバートを蹴っていた黒いマントの男に襲いかかった。男はわたしの力の強さにおののき、マントを残して逃げていった。マントにはサイフも入っていた。わたしはそのマントを着てヒューバートを介抱しながら船へ帰った。デッキを歩いていると後ろからだれかに引っ張られたが、眠かったのでそのまま寝てしまった。
 目覚めるとからだが動かなかった。頭がズキズキする。横を見るとヒューバートが鎖でつながれている。しばらくしてウェンスタンが食事を持ってきて「ナイジェルさまがお怒りだぞ」と教えてくれた。わたしたちは鎖を解かれナイジェルの前に連れていかれた。
「おまえが持ち帰った黒いマントはベネチアのドージェ(大統領)の甥のものだ。ドージェはおまえが甥のマントと金を盗だといってかんかんに怒り、おまえを牢にぶちこむといったが、わたしと船長が謝ってなんとか許してもらったのだ」
わたしは罰として動物の世話を申しつけられた。船はすでにベネチアを出航していた。

 デッキのそうじをしていると、ベネチアから乗船したウルビノ神父がし尿の入ったバケツを持ってやってきた。ひどいなまりの英語で声をかけてくる。
「船は順調に進んでるようだね」
「ええ、そうですね、神父さま」
わたしは神父の手からバケツを取り中身を海に捨てた。
「この調子だと予定どおり到着してたくさんの異教徒どもを殺せるだろう」
神父はそういってバケツを受け取り剣で突くまねをした。
 だが船はそう順調には進まなかった。日没後まもなくマストの上のロープがほどけて甲板に落ちてきた。太いロープが巨大なヘビのようにのたうちまわる。次の瞬間、船が急に縦揺れ横揺れを始めた。暴れまわるロープが一人の船員の頭を直撃し、船員は倒れて濡れたデッキの上をすべっていった。わたしは他の船員たちとともにそのロープの端を押さえた。そのときデッキの上にいたマイルズが転んですべっていき、排水口から海の中へ落ちた。あっという間のことで、どうすることもできなかった。動物たちも檻の中であっちこっちへぶつかって悲鳴をあげている。ナイジェルが手すりにつかまりながらわたしの近くにきて「舵を手伝え!」と大声で命じた。わたしは船員たちが巨大なオールと格闘しているところにたどりつき、操舵オールをつかんで船尾が風上に向くよう力いっぱい引いた。海のほうに目をやると、マイルズが波間に浮いたり沈んだりしながら大きな口をあけてもがいていた。けれどもあとから考えるとそんなものが見えるはずはなかった。あたりは夜で真っ暗だし、わたしの目は海の塩でひりひり痛み、開けていられない状態だったのだ。あれは幻だったにちがいない。わたしたちが必死でオールを操作しているあいだにジェノヴァ人の船員もひとり海に落ちた。荒れ狂う海の中から一本の手が、せりで値をつける農夫の手のように伸びて天を指した。そして見えなくなった。

 日が出て風がやむと動物たちはまるでなにごとも起こらなかったかのように澄ました顔をしていた。だが人間たちは動物ほど早く回復できなかった。ウルビノ神父がマイルズとジェノヴァ人の船員のためにラテン語の祈りを捧げた。船員のうち二人は骨折し、二、三人が赤痢にかかっていた。船内は動物と赤痢患者の糞尿でものすごいにおいだった。わたしはラナルフにマイルズのことでお悔やみをいいたかったが、ラナルフは人を寄せ付けない雰囲気だった。
 船長がナイジェルとラナルフに地図を見せた。わたしも後ろから見ていて、エルサレムはここですねと指差すとナイジェルたちは驚いてこういった。
「おまえは地図が読めるのか? あの暴風のおかげで予定より早く目的地に着けそうだぞ」
それを聞いてわたしもヒューバートも勇んで剣のけいこを始めた。だがわたしは剣を構えてすぐ、とつぜん下腹部に鋭い痛みを感じ、次の瞬間、血便が足をつたって流れ落ちた。
 わたしは他の病人たちと一緒に水兵部屋に寝かされた。からだが焼けるように熱くなったかと思うと、急に凍えるように寒くなったりする。ジョゼフ神父は病や苦しみは神からの贈り物だといっていた。この病気も、わたしが聖戦にふさわしくない罪人だということを知らせる神のメッセージだろうか。熱に浮かされながら、家に帰った夢を見た。エルビバがやオットーがいる。暖かく安全な暖炉のそばで、みんな楽しくおしゃべりをしていた。
 目をさますとラナルフがそばで服や武具の手入れをしていた。わたしと目があうとにっこりほほえんでワインを飲ませてくれる。「役立たずの従者ですみません」と謝ると「強腕で地図も読める者が役立たずなものか。そのうち病気もよくなる」と励ましてくれた。
 その次目覚めたとき船は止まっていた。ヒューバートがやってきてわたしを甲板にひきずりあげた。船じゅうの人間が手すりにもたれかかり、東の方を見ている。ガレー船や小型の帆船などあらゆる種類の船の向こうに浜辺があり、おびただしい数のテントが並んでいる。その間を動き回る小さな人影の発する声がここまで聞こえる。テントの群れは石壁と搭のある巨大な城を取り囲んでいるようだ。それらすべてのものの向こうに、雲にかすんで影のようにたたずむ丘があった。

 一週間たってわたしは健康を取り戻していた。ここアッコンの浜辺でキャンプ生活を始めてから、見るもの聞くものすべてが新鮮だった。エルサレムはここから馬で一日のところにある。だが内陸部はすべて異教徒の支配下にあるので、エルサレムに行くにはまずアッコンの城を落とさねばならない。わたしとヒューバートは毎日剣と乗馬のけいこに励み戦いに備えた。わたしは戦いに対して期待と同時に不安も感じていた。早く戦いたいけれども早く終わってほしい。そんな矛盾した思いが落ちつきなく胸をかけめぐる。キャンプにはフランク人などの外国人もたくさんいたが、イギリス人であろうとなかろうとすべてのクリスチャンは、リチャード獅子心王が早くアッコンに到着することを待ち望んでいた。
 クリスチャン側には可動式の巨大な攻城やぐらがあり、戦闘が始まるとそれを城壁まで移動させて、そこから壁に飛び移るてはずになっていた。また、「神の投げ石」「邪悪な隣人」という名の巨大な投石器もあって、すでに城壁めがけて大きな石を投げつけていた。攻城やぐらを使って城内へ攻め入る日も近いように思われた。
 マイルズがいなくなってから、わたしはラナルフの従者になっていた。ある日ラナルフは剣先が大きなハンマーのようになった鉄製の棍棒をわたしに差し出した。
「サクソニーの巨人が使っていた武器だ。おまえにやろう」
わたしは武骨で野蛮な感じのするその武器に思わずたじろいだ。
「わたしは剣で戦うつもりだったのですが……」
ラナルフはわたしの当惑など意に介さず「持ってみろ」と促す。「こうやって、高く振りあげるのだ」
わたしはいわれるままにそのハンマーを振りあげた。意外にもさほど重くは感じなかった。

 いよいよ攻撃が始まる日、司祭がミサを行い、騎士たちはみな鎧兜を身につけて出席した。ナイジェルはリチャード王が到着するまで待ちたかったようだが、フランス王フィリップやテンプル騎士団などはキャンプで伝染病が蔓延するのをみて早く攻撃を始めたいと焦っていたらしい。歩兵たちが攻城やぐらを動かし始めた。やぐらが城壁に到達すると、騎士たちがやぐらをのぼっていく。引っ掛け鉤のついた縄ばしごで城壁をのぼっていく者もいる。わたしとヒューバートは戦列の後ろの方にいて、なかなか城壁に近づけない。石と鉄、剣と剣がぶつかる音、敵や味方のときの声、いろんな音が混ざって耳をつんざく。城の中から石や矢、燃えた石炭などが放たれ、雨のように降り注ぐ。やがてクリスチャン側にどんどん死傷者がでてきた。石や矢で傷ついた者、城壁にのぼろうとして上からやりで突かれた者、はしごから落ちた者。わたしとヒューバートは前線から遠く離れているのに、もう血しぶきを浴びていた。やがてやぐらがもとの場所に戻され、攻撃は中止された。

 戦いから何日もたった。毎日暑くて、次の戦いのことも考えられない。食料が不足してきて、リチャード王の到着がいっそう待ち遠しく感じられる。わたしとヒューバートは毎日水際まで行って王の船団が現れないか水平線をながめた。また、キャンプの南にひろがる砂丘にも出かけて遠くに見えるサラディン軍のキャンプをながめた。南へ行きすぎて、異教徒の斥候と出くわしたこともあった。
 ある日、たくさんの荷を積んだジェノヴァのガレー船が二、三十隻海に現れた。リチャード王の船団だ。沖合いで異教徒の船と一日戦ったあと次々とアンカーを降ろし、騎士や貴族たちがぞくぞくと下船してくる。最後の大きな船から、肩幅の広い黄色い髪のリチャード王が現れた。王は浜辺に降り立つと、見守る人々の前で剣を抜き、高く掲げた。人々の間から雷鳴のような歓声があがった。
 翌日からキャンプは戦闘準備にかかった。歩兵も騎士も、全員が新たな信念をもって働いた。投石器は城壁の裂け目をねらって石を投げ続けた。敵の修復作業は間にあわず、裂け目はどんどん深く大きくなっていく。やがてアッコン城内から市民が逃げはじめた。闇にまぎれて壁を乗り越え、我々のキャンプ目指して走ってくる。我々の歩哨はそれを捕まえて縛りあげた。城内では食料不足でニカワ汁を飲むためサンダルまで煮ているという。
 上陸以来テントにこもっていたリチャード王がテントから出てきてキャンプ内を視察してまわった。ハンマーを使う練習をしていたわたしの近くにも来て側近になにかつぶやいた。こんな粗野な武器を振りまわしていたことをわたしは恥ずかしく思ったが、王の側近はわたしを励ますようなほほえみを投げかけた。
 また、リチャード王はサラディンのキャンプへ使者を送った。聖ジョージの旗を掲げた使者はまもなく果物と氷を盛った銀の大皿を手に戻ってきた。ラナルフは王の従者から氷をわけてもらい、一部をわたしにくれた。
「サラディンは戦いの前に敵の首領と会うのはよくないといってリチャード王と会うのを拒んだそうだ」とラナルフはいった。まもなく本当の敵との戦いが始まる。わたしはそう思い、思わず武者震いをした。

 投石機が石を投げ続けるなか、わたしはラナルフの身支度を手伝い、みずからも鎧兜を着た。トランペットと角笛の音が響き、ハンマーを手に戦列につく。しばらくすると城壁が音をたてて崩れ、舞いあがったほこりの向こうに異教徒の軍が現れた。四角い大きな盾をもったクリスチャンの騎士と、丸い小さな盾をもった異教徒たちがぶつかりあう。石や槍に混じって壊れた壷や建物の礎石なども飛んでくる。何か柔らかいものを踏んだと思ったら人が倒れていた。生きているのか死んでいるのか確かめる間もなく戦列は前に進んでいく。崩れた壁の瓦礫のうえをのぼっていくが、血糊でつるつるすべって歩きにくい。ヒューバートがすべって転んだところを敵に襲われそうになったので急いで助けに走った。一人の異教徒が、わたしのからだの中で唯一露出している顔を切ろうとしたのでハンマーで思いきり殴りつけた。わたしはわけのわからない叫び声をあげてハンマーを振りまわしていた。

 あれから何時間もたった。わたしたちの軍は退却し、我々とアッコン市街のあいだには壊れた武具と死体が累々と横たわっていた。敵も味方も死人のあいだに生きている者はいないか探していた。異教徒の一団が青い旗を掲げてやってきて、戦場のまんなかで休戦協議が始まった。交渉は長々と続き、その間クリスチャンの戦士たちはワインを飲んで休んでいた。わたしもワインの酔いと暑さのため寝転がっていると、ウルビノ神父がやってきて「よく戦ってたくさんの敵を殺しましたね、エドマンド」と声をかけた。わたしはその言葉をきいてもうれしさを感じなかった。踏みつけられた死体や血しぶきを思い出すたび、それを心の外に押しやった。おそらく、もっとひどいものを見るだろうという予感があったためだと思う。
 ラナルフがわたしを連れて戦利品を納めたテントを見にいった。アッコン市街のあらゆる場所から集められた革製品、ヘルメット、宝石などが所狭しと並んでいる。中にはエメラルドやダイヤなどの貴重な品もあった。
「これだけの品があるとなると、取り扱いについて王に進言しておかねばなるまい。放っておくと何もかも大釜で溶かしてインゴットにしてしまいかねないからな」とラナルフがいった。親方のオットーに教えられて宝石の価値を知っていたわたしが「それは罪なことですよ!」というとラナルフはこう答えた。
「そう、リチャード王は偉大なる罪人なのだ」

 大勢の捕虜が我々のキャンプに到着した。アッコンの守備隊と市民たちの一団だ。女こどもも含めて総勢二千七百人がビーチとキャンプのあいだの狭い一角に詰め込まれた。
 交渉が長引くなか、フランス王フィリップが帰国することになった。食料不足が深刻化し、ブルターニュ人とアンジュー人、フランク人とテンプル騎士団など、あらゆるグループ、階層の間で争いが起きた。暑さが日増しに強まるなか、囚人たちが死にはじめた。
 その日の朝は涼しい風が吹いていた。午後になっていつもどおり気温が上昇したが、そのときリチャード王が鎧兜を身につけてテントから出てきた。従者を従えて囚人のいる一角に近づくと、囚人たちの居場所を仕切る縄をみずからの剣で切り落としていった。
「皆殺しにしろ!」
王の命令に従者は一瞬ためらったが、すぐにみずから剣を抜き、騎士や槍兵に号令をかけた。三拍ほど置いて最初の一撃が捕虜たちを襲った。男も女もこどもも悲鳴をあげて逃げまどう。槍兵たちはためらわなかったが、騎士のなかにはもしや王が命令を撤回するのではないかと王のほうを見る者もいた。ヒューバートは殺戮に邁進する槍兵を止めようとしてわたしに止められた。わたしはヒューバートの顔を抱えて目の前で繰り広げられる光景を見せまいとしたが、肉を切り裂く音や血のにおいは防ぎようもない。ナイジェルは固い表情で殺戮を見つめていた。ラナルフも最初は見ているだけだったが、ヘタな剣さばきを見るのに飽き飽きしたのか、みずから剣を振るって二人の捕虜にすみやかな死を与えた。しかしそのあとは首を振って傍観するだけだった。ウルビノ神父は拳を振りまわし、異教徒が一人死ねば神の敵が一人減るのだ、と叫んでいた。

 その夜、昼間のできごとにショックを受けたヒューバートは、ナイジェルに帰国したいと申し出た。ナイジェルはその申し出を退けた。
「おまえは十字軍をこどもの遊びだとでも思っていたのか!」とナイジェルはヒューバートを叱った。「わたしだって僧のように祈りで天の耳を喜ばすことができたらどんなにかよいだろうと思う。だがわたしは聖職者ではなく戦士だ。神のために武器を取って戦うのがわたしの使命なのだ」
ナイジェルの言葉をきいて、わたしは今日、ほかの戦士たちが異教徒を抹殺する使命を果たしているとき、ただ見ていただけだったことを恥じた。
 そのときラナルフが王の命令を伝えにやってきた。
「我々はサラディンの軍と対決するため、今夜このキャンプをたたんで南へ進軍することになった」

 わたしたちは夜明けに出発した。物資を運搬する輸送部隊を最後尾につけた長い行列が続いた。いつかサラディンの軍がこの行列の進行を阻止することはわかっていたが、敵は後ろからもやってきた。黒い肌のベドウィン族の一団が輸送部隊を襲って荷物や馬を奪っていくのだ。後方を守る部隊が配置され、リチャード王は行列を前に後ろに走りまわった。
 毎日、平坦なほこりまみれの道が続く。暑さも前にもましてひどい。太陽も空もサラディンの側についているような気がした。ヒューバートがほこりで真っ白になった顔で「もうすぐ始まるよ」といった。わたしはうなずいたが、確信はなかった。このまま行進が永遠に続くように思われた。
 だがやがてアルスフというところで行進が止まった。数ヶ国語で命令が伝わり、騎士たちは鎧兜を身につけて戦列を整えた。一番前には弓兵と槍兵がずらりと並ぶ。しかし戦いはすぐには始まらなかった。こちらからいくら矢を放っても、相手は矢の届かないところへ逃げてしまう。騎士たちが装備の重さと暑さにじりじりしだしたころ、とつぜん森の中から何千人という黒い肌の男たちがこちらに向かってなだれこんできた。男たちは鎧もなにもつけず、小さな盾をもっているだけだ。汗まみれの彼らは戦場の戦士というより祭りの群衆のようにみえた。こちらが放つ矢も槍も彼らの勢いを弱めることはできない。弓兵や槍兵は後退を余儀なくされ、前線は馬に乗った騎士や従者ばかりになった。わたしとヒューバートもその中にいて、ハンマーや剣を振りまわした。何人かが馬から落ち、人ごみの中に消えたが、我々は一歩も後退しなかった。すると黒い肌の歩兵たちは退却し、入れ替わりに馬に乗った異教徒たちが突進してきた。しばらく馬上の戦いがくりひろげられたがある時点で敵は退却し、その後、攻撃と退却をくりかえした。敵が退却するとクリスチャン側の騎士はあとを追おうとするが、そのたびにリチャード王に止められた。最後に敵が退却したとき、ラナルフが「いまいっきに仕掛けなければ降伏することになる」と王に進言した。だが王は「サラディンの増援部隊が攻撃可能な距離に近づくまで待つのだ」と、あくまでこの場に留まるよう命じた。
「けれどももうこれ以上騎士たちを押さえておくのは無理です」
ラナルフは食いさがった。そのとき最初に戦線から飛び出したのはナイジェルだった。逃げる異教徒の騎手を追って剣を振りあげる。ヒューバートがあとを追った。二人の攻撃によって異教徒の軍に動揺が生じたのを見てとると、クリスチャン側の騎士という騎士が怒涛のように敵めがけて突進していった。こうなっては王も止めようがない。みずから剣を高くかかげて攻撃をリードした。
 戦いの渦中でわたしのハンマーが敵の馬の頭にめりこんで抜けなくなった。そこで相手の剣を奪おうとしたところ、相手が剣を振りまわしてウィンタースターを傷つけた。ウィンタースターは腹から内蔵が垂れさがった格好でしばらく立っていたが、やがて崩れ落ち動かなくなった。わたしは息をのんだ。目を閉じればウィンタースターが生き返るのではないかと思った。けれどウィンタースターはもう動かず、息もしない。腹の傷口にハエがたかりはじめ、わたしは泣く泣くその場を離れた。

 戦いが終わり、わたしはラナルフやナイジェルやヒューバートを探した。ラナルフは異教徒の剣や拍車などをいっぱい抱えてやってきた。けがはないようだが憔悴しきった様子だった。あたりでは人より馬のほうがたくさん死んでいた。死にきれずにもがいている馬も多い。人間の死体は大半が敵のものだった。輸送隊の荷物がばらばらに散らばったあたりでウェンスタンと出会い、いっしょにナイジェルを探した。
 しばらく行くと血が水たまりのようにたまった場所に出た。
「ここで激しい戦いがあったようだな」とウェンスタンがいう。わたしは手足の震えが止まらなかった。戦いのあいだじゅうみなぎっていた力がからだから抜けていくようだった。
 ヒューバートとナイジェルは戦場を遠く離れた場所にいた。ナイジェルはむきだしの両腕をひざの上に休めるようにして座っていた。敵を追って相手に致命傷を与えたところで落馬し、両腕を骨折したのだという。わたしたちはナイジェルをキャンプに連れ帰った。

 浜辺は人や物で混雑していた。ケガ人や病人も大勢いる。沖合いに止まった船から食料やワインなどの物資が降ろされ、ビーチに積み上げられた。数週間先にはエルサレム攻撃があるはずだが、負傷したナイジェルはそれを待たずに帰国することになった。ヒューバートもナイジェルについて帰国する。エルサレムを見ずに帰るナイジェルの無念は察するにあまりあった。ウェンスタンはナイジェルからひまをもらい、ウルビノ神父の召使いになってここに残ることになった。歌の好きなウェンスタンのうたう歌は、どんどん宗教的な内容になっていた。
 ラナルフもリチャード王のもとを去り、帰国することを決めた。なぜ帰るのかときくと「王は経験豊富な騎士をあまり必要とされていないからだ」と答えた。ラナルフはわたしに他の騎士の従者としてここに残れるようにしてやるといったが、わたしもいっしょに帰ることにした。リチャード王とともにエルサレムの門をくぐりたいという思いはあるが、国に帰ってイングランドの緑の丘やかやぶきの屋根を目にし、おかみさんやエルビバと再会したい。エルサレムは見なかったが無事帰還した十字軍の戦士として、エルビバの父に彼女との結婚の許しを乞うつもりだ。

【感想】
 本書は冒頭でいきなり親方の腕が切り落とされるというショッキングな出だしで始まるが、そのわりに以後の展開は平板である。いや、実際には大嵐が船を襲ったり、異教徒との戦闘があったり、捕虜の虐殺があったりとたくさんの山があるのだが、どうも平板に感じてしまう。それはなぜかというと登場人物のキャラクターのせいではないかと思われる。
 本書にはきわだって勇敢で正義感の強いヒーローは存在しないし、すごく臆病だったり卑怯だったりするひきたて役や悪役もいない。誰もが適度に勇敢で忠誠心や信仰心に富み、無知であるがゆえに愚直にみずからの役目を果たす。数千人の捕虜を虐殺するというリチャード王の暴挙にも、多少の抵抗はあるが王や神への忠誠を失うほどの衝撃は受けない。死体から平気で略奪をするかと思えば馬の死に非常なショックを覚えたりする。主人公を始めとする登場人物たちの、なかなか理解しにくい、無神経ともいえる心の動きが、血なまぐさい出来事を描いた本書に、独特のドライで平板な印象を与えているように思う。登場人物のキャラクターがはっきりしている大衆小説を読みなれた読者には物足りない感じがするだろう。私も読んでみて、主人公のエドマンドはいったい臆病なのか勇敢なのか、信仰心が強いのか弱いのか、暖かい心の持ち主か冷血漢か、最後までわからなくてもどかしかった。そのもどかしさは聖地へ向かう旅で、現在地も目的地もよくわからないというエドマンドの無知のせいでさらに倍増される。読後の正直な感想はなんともわかりにくい本だというものだった。
 しかし本文のあとの著者のあとがきを読んで、それこそ著者の狙いだったのかもしれないと気がついた。著者はこう述べている。
「この本の出来事はたいていの人が批判的な思考や自己の行動に対する省察を発達させる前に起こったことである。リチャード王の時代の人々は、自分たちが戦争や神について本当はどう思っているのかなど考えなかったし、一般に広まっている教えや指導者に対して疑問を抱くことはなかった。もし私たちがとつぜん十字軍の戦士たちのなかに放りこまれたら、彼らが私たちの知っている人々とずいぶん違っていることに気づくだろう」
つまり、この時代の人々は無知であるだけでなく、精神的に未熟で感情も乏しく、現代人の感覚では推し量れない行動をするというのだ。それは恐らく本当のことだろう。著者は事件、事物だけでなく、登場人物の精神状態まで歴史に忠実であろうとして私たちにわかりにくいキャラクターを設定した。大昔の人々の行動を、現代人の感覚で美化したり断罪したりするのでなく、あの時代の人間はこうだった、そしてこういうことが起きたと淡々と物語っているのだ。その徹底ぶりはみごとだし、そういった観点からみるとなかなか興味深いものがある。著者はさらにこう述べている。
「けれども私は、自分の友人たちがこの小説の登場人物たちといかに異なっているかに気づくと同時に、我々はあの野蛮な時代からそう遠く隔たってはいないのではないかと思いはじめた」
批判精神や人道主義的な感覚を発達させたはずの現代人でも、いまだに戦争や虐殺の狂気に取りつかれることがある。そのときの人々の精神状態は、リチャード王の時代の人々と変わりないのではないかというのだ。実際に現代人でも常に首尾一貫した論理的な行動をとるとは限らない。ときには残酷であったり、ときには優しかったり、ときには時流に迎合したり、反抗したりするのが一般的な人の実態だろう。はたして人は時代とともに進歩したといえるのかどうか。あとがきを読んでそんなことを考えながら、もう一度読み返してみたくなった。いづれにせよ、歴史的な背景を知った上でないと、なかなか理解するのが難しい作品だと思う。


last updated 2003/8/22