管理者:金原瑞人

A White Arrest

【書名】A White Arrest
【出版社】The Do-Not Press
【初版年】1998年
【頁数】155頁
【対象】一般書
【著者】Ken Bruen
 アイルランド西部の港町ゴールウェイ出身、1951年生まれ。アフリカ、日本、東南アジア、南アメリカなどで英語教師として20年以上教壇に立つ。形而上学の博士号を所有。その他にもブラジルの刑務所で過酷な四ヶ月間をすごしたりと、一風変わった経歴をもつ。90年代後半より本格的に執筆活動に入り、シリーズものの犯罪小説などを多く手がけ、ハードボイルド作家としての地位を築いている。
 ロンドン警視庁のならず者警官ブラントが活躍するシリーズはBrant booksと呼ばれ、現在5冊目までが出版 (A White Arrest (1998), Taming the Alien (2000), The McDead (2000), Blitz (2002), Vixen (2003))、6冊目Calibreが近々出版される予定。このシリーズは2005年英国でTVシリーズ化された。
 また、アイルランドを舞台にした元警官のアル中私立探偵Jack Taylor が活躍するシリーズは現在4冊まで出版されている(The Guards (2001), The Killing of the Tinkers (2002), The Magdalen Martyrs (2003), The Dramatist (2004))。このシリーズの第1弾、The Guardsは米国では2003年に出版され、2004年度のエドガー賞(最優秀長篇賞)にノミネート、シェイマス賞(最優秀長篇賞)を受賞し、近年では英国だけでなく米国でも注目を集めている。Jack Taylorシリーズは、現在2作目までが東野さやか訳で早川書房より出版されている(『酔いどれに悪人なし』(2005)、『酔いどれ故郷に帰る』(2005))。

【概要】ロンドンでイングランドのクリケットチームをねらった連続殺人事件が起こった。同じころ、ブリクストンではEギャングと呼ばれる集団がドラッグディーラーを殺しては街灯から死体をぶらさげる事件も起こる。警部ロバーツと巡査部長ブラントのR&Bコンビは、この二つの事件でこれまでの失態を帳消しにするような大手柄をあげようと意気込むのだが……

【登場人物】
ブラウン:警視正。男。
ロバーツ:警部。男。六二歳。
ブラント:巡査部長。男。悪党からも恐れられる無頼漢。アイルランド出身。
フォールズ:巡査。女。黒人。
ロージー:巡査。女。フォールズの親友。
トーン:新米巡査。男。二三歳。
フィオナ:ロバーツの妻。四六歳。
ペネロープ:フィオナの友人。女。
エディー・ディロン:スーパーの警備員。男。アイルランド出身。フォールズの恋人に。
ケヴィン:Eギャングのリーダーで売人殺しの首謀者。男。
アルバート:Eギャングのメンバー。ケヴィンの弟。
フェントン:Eギャングのメンバー。男。
ダグ:Eギャングのメンバー。男。
バンドエイドを貼ったカップル:物乞いのカップル。ともに二十代後半。
「シャノン」:「アンパイア」を名乗ってクリケット選手をねらう連続殺人犯。男。

【あらすじ】
 ロバーツは、警部という自分の肩書きにふさわしい威厳と品位ある生活を願っている。だが実際は、妻が職場に「クリーニングをとりにいって」なんて電話をかけてくるし、「自分でいけ!」と勢いよく電話を切ってみても、結局部下を呼んで取りに行かせてしまう。自宅の前ではごろつきが、「おっさん、あんたの金がいるんだ。それからその時計も、クソみたいな安物じゃなきゃよこしな」などといってくる。娘は、高い金を払って私立の寄宿学校に入れたっていうのに、停学になり、最近じゃ化粧も話し方もあばずれみたいになってきた。ロバーツはそんな毎日にうんざりしている。
 ロバーツの部下の巡査部長ブラントは、狂犬のような男で、その辺のごろつき並に喧嘩っ早く荒っぽい。本人もその風評を努めて流布している感がある。妻がいたこともあるが、今は愛犬マイヤー・マイヤーと二人暮し。エド・マクベインの警察小説コレクションが壁を覆うブラントの部屋は、女をひっかけたときのためにきれいにしてある。だが最近ブラントが熱をあげているのはロバーツの妻、フィオナだ。
 フィオナは女友達のペネロープに「若い男とセックスできるクラブへつれていってあげる」といわれ、ためらっている。「安全なの?」とフィオナ。「安全? ならバイブでも買うのね」「男は若い?」「みんな二十歳以下、クラクラしちゃうようないい体してるわ」「わかったわ、それじゃ――何か必要なものはある?」「想像力。さあお楽しみの時間よ」こうしてフィオナは、裕福な中年女たちが若い男を買うクラブへやってきた。クラブの中の豪華な内装の個室では、パンツ一枚の若い男がフィオナを待っている。どこに目をやっていいのか、何を話せばいいのか、悩んでいたフィオナも、男のパンツの中をみて迷いは消し飛んだ。「歩けなくなるまでファックして。でも口はきかないで、これから先もずっと」男はいわれたことを完璧にこなした。
 ブリクストンでドラッグディーラーが殺され、街灯から死体が吊りさげられた。首には「E is enough」というプラカードをさげていた。ロバーツとブラントは捜査に乗り出す。しばらくしてから、今度はクリケットチームを狙うと脅す「アンパイア(審判)」なる人物が現れた。ウィケットキーパーがまず殺され、それから打者のひとりが顔面を撃たれて殺された。ブラントは状況のまずさを痛感していた。今回の事件でロバーツは上から絞られ、警察も世間の風当たりが強い。そのうち署は一掃されることになり、そのとき真っ先にリストにあがるのは日ごろの行いの悪い警官で、自分がダントツトップなのはまちがいないない。たぶんそれまで一年とないだろう。この憂き目を免れるためには、誰も文句をつけられないような大手柄をあげるしかない。それでこれまでの悪事も失態も帳消しになる。
 アンパイアは将来を嘱望されたクリケット選手だった。だが同時に、何かが燃えるのを見ることにこのうえない楽しみを見出す少年でもあった。初めて犬を燃やしたときの高揚感は忘れられない。その性向からクリケット選手としての将来も台無しになり、次第にアンパイアはイングランドチームに目をつけるようになった。自分が成功できなかったのに、いい目をみるやつがいてもいいのか? アンパイアは『戦争の犬たち』の主人公シャノンに自分をだぶらせるようになり、その腕にシャノンという刺青を彫っていた。
 ドラッグディーラー殺しの犯人は、ケヴィン、アルバートのリー兄弟と、フェントン、ダグという白人の四人組で、死体といっしょに残すメッセージからEギャングと呼ばれるようになっていた。リーダー格のケヴィンは、「警察がクリケット選手殺人事件にとらわれている間がチャンスだ」と、尻込みする他の三人にいう。ケヴィンは「次のターゲットの売人を今夜焼き殺す」といった。「でも、やつは白人だ」とためらいがちにいうアルバートにケヴィンは「だからなんだ、これはおれのショーだ、ガソリンを調達してこい」という。翌日には黒焦げの死体が街灯からぶらさがっていた。「E is extreme measures」と裏書きした被害者の写真が残されていたおかげで、警察はどうにかドラッグの売人のひとりだとわかった。マスコミはこの事件を大々的に取り上げた。
 フォールズは、高層住宅ビルに呼び出しを受けた。犬がうるさいといって、近所の住人がその犬をビルの十三階から突き落とそうとしていたのだ。見物に出ていた他の住人たちは、やってきた警官が女だと知ってぶつぶついっている。野次馬に取り囲まれたフォールズは男の説得に失敗し、犬ははるか下の地面に落ちていった。フォールズは同僚たちの前で「この婦人警官は現場でこれだけはやっちゃいけないという悪い手本のすべてをみせてくれた」といわれ、手ひどくしかりつけられた。フォールズは涙をこらえきれずに更衣室へかけこんだ。
 フォールズの父親は、フォールズが物心つくころにはすでに酒浸りだった。暴力を振るったりはしなかったけれど、有り金すべて酒につぎ込み、食べ物も学校の教科書を買う金もなかった。幼いフォールズは両親の喧嘩がきこえないように耳をふさいで寝なくちゃならなかった。十九歳のフォールズにはふたつの選択肢があった。頭がおかしくなるか、仕事をするか。そうしてフォールズは警官になったのだが、なってみたら狂人の生活と大して変わらなかった。
 その父親がついに死んだ。だが父親を埋葬するのに大金がかかり、フォールズにそんな金はない。親友のロージーはとうとうこう提案した。「最後の手段ね。ブラントよ」。フォールズがブラントに金がいると話すと、ブラントは理由もきかずにただ金額をきき、あっさりOKしてくれた。だがこれで、フォールズはブラントに大きな借りを作ってしまった
 ブラントは、逆探知できるよう手配した電話の前で張り込んでいた。そこへ、売人殺しの犯人らしき人物がひっかかった。携帯からかけてきては、少し話してすぐに電話を切る。逆探知のみこみがついたので、ブラントはロバーツに知らせ、これで犯人検挙という大手柄をあげられそうだとふたりで喜ぶ。また電話が鳴り、携帯の持ち主が割り出せた。だがわかったのは、犯人は最初の犠牲者の携帯を使ってかけてきているということだけだった。
 手柄をあげたと思ったら、ぬか喜びだったというので落ちこむブラントに、ロバーツは一杯おごるという。ふたりでしこたま飲んだ後、ブラントが家にもどると、部屋の中がめちゃくちゃに荒らされていた。最愛のエド・マクベインのコレクションが引き裂かれ、その上に小便をかけられているのをみて、ブラントは思わず涙ぐんだ。すぐに情報屋のもとへいき「明日の正午までに犯人の名前をつきとめろ」とすごんだ。こんな怒り狂っているブラントと関わっていたくない情報屋は、約束通り犯人をつきとめた。アイルランド出身の物乞いのカップルで、左目の下にバンドエイドをはっているという。さっそくこのカップルをみつけ出したブラントは、ふたりを打ちのめし、二日待ってやるから償いをしろといって去る。さらにブラントは新米のトーンを呼びつけ、このふたりのことをくわしく調べるようにいいつけた。
 夜中の三時半、フォールズはブラントにたたき起こされ、泊めてくれといわれた。フォールズは、貸しを返すときがきたのだと思った。仕方なくブラントを部屋に入れソファで寝かせる。翌日は部屋中煙草臭く、ブラントに使われたいちばん上等のタオルと婦人用カミソリは捨てなくちゃならなかった。
 ペネロープには万引き癖があった。むしゃくしゃすると万引きに走る。またクラブへ行こうという自分の誘いを、フィオナが断ってきたときも、万引きしにいった。年をとってきて容貌は衰え、自分には子供もいない。ペネロープの部屋のクローゼットには高価なベビー服がいっぱいだった。これは万引きしたのではなく、自前で苦労して代金を支払ったものだ。
 だがとうとうペネロープは万引きでつかまってしまった。取り調べを担当していたフォールズに拘置所行きだとおどかされて、最初はうろたえたが、取り引きしたいから上官を出せと言った。現れたブラントに、ペネロープは警部夫人のフィオナがクラブで男を買っていることをバラした。
 第三のクリケット選手犠牲者が出た。ブラントが署から出ていくと、リポーターが待っていて、カメラはしっかりまわしながら、オフレコでクリケット選手殺人犯はどんなやつだと思うかときいてくる。「気の触れたどっかの小便小僧だろ」とブラントはいった。これはオンエアされてしまい、アンパイアはTVでみていた。
 翌日からアンパイアはブラントをつけ、ブラントには飼い犬があることを知った。ひどくみすぼらしい犬だが、ブラントはかわいがっているようだ。アンパイアはどうすればブラントを傷つけられるのかぴんときた。数日後、ブラントが帰ってみると、見知らぬ男がマイヤー・マイヤーをたたきのめしている。次の瞬間には男がブラントにたたきのめされた。
 だがこれだけではすまなかった。数日後、ブラントがロバーツに呼び出されて現場に駆けつけてみると、火をつけられ黒こげになったマイヤー・マイヤーの残骸が目に飛びこんできた。マイヤー・マイヤーの死体は、発見者がそれを必ず目にするように白衣に包んであった。アンパイアの白衣だった。ブラントはひどいショックを受け、荒れに荒れ、いつもに増して凶暴になり、手がつけられなかった。
 トーンはブラントに憧れていた。だが、クールなファッションできめて、鏡の前でブラント張りにワルぶってカッコつけて家を出ても、ガス栓を閉め忘れてないかやっぱり心配になってもどってしまうのが現実だ。ブラントだったらきっと「吹っ飛んだらそれまで」というだろう。トーンはまだそこまで無謀になれない。まだどころか、そもそもそうなれるか、かなり疑わしい。バーで注文するときも、本当は軽めのカクテルで調子を出したかったのに、ロバーツにみられていたのでスコッチをたのみ、喉が焼けつき思わず声をあげてしまう。密かにいいと思っていたフォールズが、最近知り合った警備員の男とよろしくやっているときけば、ロバーツがみていてわかるくらいがっくりしてしまう。
 トーンはロバーツからブラントが飼い犬を殺されてひどく荒れているときき、放っといたほうがいいというロバーツのいうこともきかずにブラントのもとへ出かけていった。ドアをあけたブラントはまさに大荒れで、トーンが「何かできることはないですか」というと、乱暴にトーンの胸ぐらをつかみ「バンドエイドのふたり組を探せっていっただろうが、さっさとみつけてこいこのホモ野郎」とどなりつけてドアを閉めてしまった。トーンのシャツの襟元は破れていた。「ここまでしなくたって。このシャツ高かったのに」トーンは大声で泣きたかった。
 トーンはブリクストンのクラブへいき、話しかけてきた女の子に気軽にバンドエイドのふたり組のことをきいてみた。その話をすると女の子は「すぐもどるわ」といって一時間あまりも消え、もどってくるとトーンを外へ連れ出した。
 ブラントとロバーツは、繰り返しナイフで刺され、頭を割られたトーンの死体をみることになった。トーンが裸にされているのをみて、ロバーツは「やつらトーンのブランドもののズボンがほくて殺したんじゃないだろうな」といった。ありそうな話だ。ハンカチ一枚のためにだって平気で人を殺すやつらだ。ロバーツに「トーンがたずねるといっていたが来なかったか」ときかれ、「しこたま飲んでたからよく覚えてない」とブラントは答えた。トーンに申し訳なかった。マイヤー・マイヤーが殺された翌朝、ドアをあけるとしなびた花束がころがっていて、その中にはクリケットのボールが埋まっていた、ってことはロバーツに話さなかった。
 アンパイアはブラントをひどい目にあわせてやり、笑いをこらえきれなかった。上機嫌で街を歩いていたが、突然道路に飛び出したとたん、バスにはねられ、救急車で病院にはこびこまれた。
 フォールズが警備員の男といい仲になったのは、スーパーに買い物にいったときだった。悪ガキに袋叩きにされていた警備員を助けてやり、救護室へつれていってやり、パブでちょっと飲んで、デートに誘われることになったのだ。このディロンという男ははじめから好みのタイプだったけれど、予想以上でフォールズは夢中になった。初めてフォールズの部屋でいっしょにすごした翌朝には、「もう会いたくなってきた」だの「きみはおれを照らす太陽だ」だの書いたメモが部屋のあちこちに残してあった。ディロンはフォールズのための愛の詩まで書く。フォールズは幸せの絶頂で、結婚したらなんて名前がいいかまで考え始めた。
 だから、ロージーにディロンとのいきさつをきかせてとせがまれたときも、フォールズはこみあげる笑いを抑えきれなかった。「驚かないでよ、うなじにキスしてくるような男なの」とフォールズ。「やだ、王子様じゃない」「アレの後に抱きしめてくれる」「王子様どころか相当変わってるわね」ふたりは笑い転げた。フォールズとロージーはいつも、男とセックスについてバカ話をしては大声で笑い出し、同僚の男どもから嫌な顔をされている。下世話な内容のせいではなく、警察食堂でバカ笑いしていいのは男だけだからだ。
 ブラントはペネロープの手引きで例のクラブへやってくると、お楽しみのまっ最中のフィオナのところへ押し入った。フィオナに服を着るようにいい、そのまま車に乗せてなじみの食堂につれていく。フィオナは、「夫に知らせるのでもなく、いったい何が目的なの」ときいた。ブラントはいった。「あんたとデートしたくてね」。
 その後、ブラントはついにフィオナをデートに連れ出した。レストランにつれていかれたフィオナは「よっぽど夫のことを嫌ってるのね。でなきゃこんなことするわけないわ」といった。だがブラントの答えはちがった。「あんたの旦那は、真面目ないい警官だ。今回のことは旦那とは何の関係もない。ただ、おれがもってないあんたの上品さってやつをはがせないかと思ってさ」。ブラントはフィオナに話し始めた。何も持っていない悪ガキだった自分が、警官になってみたらとたんに一目置かれる存在になって気分が良かったこと。だが同僚ミッキーの悲劇の後、この仕事に対する見方が一変したこと。ミッキーは家庭内暴力の現場に踏みこみ、妻を殴りつけている男をとっちめて手錠をかけようとした瞬間、妻に麺棒で殴られ、その挙げ句ペニスを切り落とされたのだ。「だから、警官てのはまず、相手に今までみたこともないくらいの外道だって思わせるのが肝心なんだ。そしたらやつらは静かになる」
 それから、別れた妻を愛していたがやさしくしてやれなかったことも話した。ミッキーのような目にあいたくなかったら、獰猛な獣みたいな警官でいるしかなかったのだ。ポケベルが鳴り、ブラントは現場に呼び出された。ブラントはフィオナに札束を渡し、タクシーを呼んでやると、自分は車へむかった。ブラントは車を走らせながら、感傷的な思い出話であらわになってしまった弱い部分を凍らせ、攻撃本能を目覚めさせた。
 Eギャングがまた騒ぎを起こしたらしいと知らせてくれたのはフォールズだった。金を用意してやった貸しを盾に、大きな事件に関する情報が入ったらロバーツより先に知らせてくれとたのんでおいたのだ。ブリクストンのドラッグディーラーのたまり場が現場で、四人の白人の男たちがそこに入っていって、銃声がとどろいていたというのだ。まだ誰も建物から出てきていない。ブラントは交渉人を待つこともなく、足音をしのばせることもなく、ひとりで建物の中へ入っていった。現場は死体だらけだった。虫の息のケヴィンが、両手に銃を持ったまま仰向けに倒れていた。ブラントが近寄って話しかけると、ケヴィンは自分たちがEギャングであること、銃を持って「動くな」といったら撃ってこられて銃撃戦になったこと、アルバートとダグは撃たれ、フェントンは騒ぎのさなかでいなくなってしまったことなどを話した。ブラントはケヴィンが銃をもちあげようとするのをみて、顔面に蹴りを入れた。
 Eギャングの事件は片づいた。駆けつけた警察の車の中でお茶をすするブラントにフォールズはいった。「みんながなんていってるか知ってます? 大手柄だ、って」ブラントはいった。「おれにはいろんな悪評がついてまわってるが、誓って人種差別をしたことはない。だが黒いやつに好感をもつなんてこれが初めてだ」このときふたりの間に友情らしきものが芽生えた。
 二週間後。ブラントは大手柄のおかげでもてはやされ、過去の悪事は帳消しにされ、昇進話まで出ていた。連夜の祝賀パーティからふらつきながら家に帰ってくると、背後で小銭を求める乞食女の声がした。ブラントが女のバンドエイドに気づいたときには、背中に深々とナイフが突き立てられていた。
 アンパイアは病院を退院した。アンパイアが「スポーツをしても大丈夫ですか?」ときくと、医師は「観客としてなら、ですからね、いいですか?」と念を押した。アンパイアはうなずくとほほえみを浮かべた。

【感想】
 なんといっても、ストーリーに直接関係のない会話や、警察官たちの俗っぽい日常の描写がこの小説の魅力である。悪人はねじれた欲望から人を殺し、ならず者警官はマリファナを吸いながら捜査にあたり、婦人警官は(ようやくめぐりあった運命の男と思っていたら既婚者だった)恋人と修羅場を繰り広げ、欲求不満の警部夫人は若い男を買い、老年にさしかかった警部は妻の美貌の衰えを嘆き、娘の将来を心配する。まるでオムニバスの短編映画を観ているような楽しみがある。
 複雑なプロット展開はないが、ブラックなユーモアのきいたテンポのいい会話と、リズム感に富んだ文体だけで十分に楽しめる。あちこちに出てくる一言での切り返しや、箇条書きの文体などは簡素で無駄がなく、どれもピリッとした味わいと絶妙のユーモアが盛り込まれている。たとえば、ブラントがロバーツに是非読めともってきたエド・マクベインの警察小説はユーモアたっぷりに描写されている:「まるでよく噛んで、洗濯機にかけて、さんざんたたきつけたみたいで、触ろうという気にもなれない」。ロバーツは思わず「トイレで拾ってきたのか?」とたずねる。「表紙のタイトルすら食べ物の染みで判読できない。というか、せめて食べ物の染みであってほしい」。これがブラントの愛読書なのだ。
 シリーズの一作目のせいか、キャラを立たせるためと思われる描写が多く、それ以上のキャラクター展開はあまりない。だが作者の描く人物たちはどれも愛すべきろくでなしたちで、くせのあるキャラクターはこの作品の大きな魅力のひとつになっている。悪魔のようだと周囲からも同僚からも恐れられ、またそれを楽しんでいるブラントだが、飼い犬をブラントなりに愛し、マクベインを心の友として上司にまで熱心に勧める姿には愛嬌を感させる。ロバーツはそんなブラントを、傍若無人ではあるがいい警官だと認めている、話のわかる上司だが、自分の愛する「ノワール」映画を毎回「ノラ」といいまちがえられ、英国人の愛すべきクリケットを「ホッケーと殺し合いの中間」だとかブラントにいわれるとついムキになって講釈をぶってしまう。このふたりは磁石のように、互いに反り返り、かつ引きつけあってもいて、その奇妙な信頼関係が小説を通して描かれている。また、男とセックスについて身も蓋もない話をする婦人警官フォールズとロージーの会話には、上品とはとてもいえない荒っぽい言葉が使われているが、ふたりがいかに仲がいいのかよくわかる。ディロンと出会ったフォールズがばかげた妄想をくり広げるのもいかにもありそうな話だし、ガールズ・トークも秀逸で驚かさせられる。
 ブラント・シリーズ第一作の本書では、ブラントの内面に秘められた痛ましい過去などにスポットライトが当てられ、事件の方は警察の方で何かするでもなく(むしろ余計な火種をブラントがまきながら)、いつのまにか解決してしまっていて、そこにおもしろみを求める読者には物足りないかもしれない。だが、「怒り(rage)」が創作の原動力だと断言する作者の筆致はあくまで容赦なく、ロンドンの裏社会の過酷な現実と不条理を背負って生きる警察官の苦しみと葛藤を巧みに描き出しているといえる。また、多様な人種と文化の混ざり合った都市ロンドンの描写も読みごたえがある。


last updated 2006/8/30