「流 行 通 信」

2000年9月号〜2001年8月号
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■2000年 
9月号「夜更かし」  『月の子』(清水玲子)
10月号「旅」 『すばらしい新世界』(池澤夏樹) 『希望の国のエクソダス』(村上龍)
11月号「クリスマス」 『折る紙の数学』
12月号「リセット」 「豊饒の海」(三島由紀夫) 『百年の孤独』(ガルシア・マルケス)
■2001年
1月号「かたり」 『ポビーとディンガン』(ベン・ライス)
2月号「最高級」 『石原吉郎全詩集』
3月号「音楽」 『ビリー・ジョーの大地』(カレン・ヘス)
 〃 「名脇役」 『浅草フランス座の時間』(井上ひさし)
4月号「始まる」 『短歌はプロに訊け!』『短歌という爆弾』『シチュー鍋の天使』
5月号「童心を忘れない」 『櫻よ』『サクラを救え』『ちいさなきかんしゃレッド号』
6月号「手紙」  『世界でいちばん愛しい人』(ロナルド・レーガン&ナンシー・レーガン)
『臨機応答・変問自在』(森博嗣)
7月号「原風景」 『絶対安全剃刀』(高野文子) 『小春日和』(野中柊)
8月号「変身」 『悪霊/マシーン日記』(松尾スズキ) 『築地にひびく銅鑼』(藤本恵子)

2001年5月号 番外編
「文学で旅をする」 ハワイイ、ロシア、リオ、湖南、沖縄、ニューメキシコ 


2000年9月号 「夜更かし」

月の子 清水玲子

 スピルバーグの『激突』のスピード感! のっけからすさまじい勢いで物語が始まってしまい、猛スピードのまま物語が展開する。えーっ、このまま最後まで突っ走るの?……という観客の「?!」をさらに加速させつつ、最後の最後まで突っ走ってしまう。
 清水玲子の作品はどれも、最初のダッシュがすごい(最初から多方向にベクトルが飛んでいく)……話の展開もめまぐるしい(読者の予想を裏切りっぱなし)……そして最後までこのまま。スピルバーグはやがて軟弱・娯楽路線を迷走していくが、清水玲子は鋭利で美しく暴力的な世界へ向かって疾走し続ける。『輝夜姫』での、読者を読者とも思わない登場人物の見事な殺し方! 残酷でいて、そのくせロマンチックな物語。これで絵がうまいから、どうしようもない。諸星大二郎の対極にいるもうひとりの天才だと思う。
 『月の子』はアンデルセンの「人魚姫」と中世の魔女裁判をイメージの核に物語が広がっていく……サケが生まれた川へ帰ってくるように、はるか昔に地球をたった稚魚が長い長い時間かけて大宇宙を泳いで、卵を生むために『地球』へ帰ってくる……こうして地球に降り立った人魚族の子孫ベンジャミンは、青年ダンサーのアートに出会い、奇妙な同居生活が始まる……が、このベンジャミン、かつて人魚姫が人魚族を裏切り、王子との間にもうけた子どもで、本当は女じゃなくちゃいけないんだけど、なぜか幼い男の子の姿……そのうえベンジャミンは人魚族の男ショナといっしょにならないと、地球が滅亡……というふうなロマンチックなSFが、なんとも美しく残酷な物語に展開していく。
 そのイメージの鮮やかなこと。第一巻の四六〜七ページの見開き。夜のニューヨークの町を、巨大な深海魚がゆらりと泳ぐ。全体のトーンそのものがここに凝縮されている。
 夜+月+疾走感あふれる冷ややかでロマンチックな物語!

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2000年10月号  「旅」

すばらしい新世界 池澤夏樹
希望の国のエクソダス 村上龍

 『すばらしい新世界』の主人公は技術系のサラリーマンで、環境問題に詳しい妻にそそのかされて、ごく小さな風力発電機をひとつ、ネパールに据え付けにいく。
 その主人公と妻と息子の物語が語られ、それぞれの気持ちの変化が語られていく……のだが、事件らしい事件が起こるわけでもなく、話は淡々と、そして坦々と続いていく。そう、この作品にエンタテイメントのおもしろさを期待してはいけない。息を飲むストーリー展開や、あっと驚くどんでん返しなどとは全く無縁な小説なのだから。読み出すと最後まで一気に読み飛ばすタイプのではない……というより、そもそも読み飛ばすことができない。作品のいたるところにちりばめられた味わい深い言葉に、ついつい気をひかれ、思わず読みふけってしまうのだ。それほどまでに、この作品の文章は無駄がなく、「なにげなく」、のびのびとして、快い。たとえば、四角いボードで駒を滑らせて遊ぶポーターたちをみての言葉。「神様にポーンと弾かれて、遠くへ飛んでいく。私たちはそれでこんなヒマラヤの山の中まで来たのかもしれない」
 そして主人公はこうつぶやく。「今までやってきたのは……旅行か出張であって旅ではなかった。行った先で出会うものがだいたい予想できた。でも今回は本当の旅だった。次々にとんでもないものに出会って、そのたびに心を大きく揺さぶられた」
 そう、この本はまた「旅」についての本でもある。
 さて、最後に。村上龍の『希望の国のエクソダス』には、スパイシーで刺激的なヴェトナム麺をかきこむような快感がある。『すばらしい新世界』には、見事に炊きあげられた玄米をじっくりかみしめるような快感がある。そして両方ともテーマは「現代の日本」、あるいは「現代と日本」だった。二ヶ月弱をおいて刊行されたこれら二冊、味はまったく違うが、どこかでつながっているような気がする。ぜひ読みくらべてみてほしい。

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2000年11月号 「クリスマス」

折る紙の数学

 クリスマスはなんといっても、折り紙のサンタクロースだろう。ひとりで折るのもよし、折って彼氏に、彼女にプレゼントするのもよし。折り方を披露するのもよし。
 かつて『ビバ! おりがみ』(笠原邦彦著・サンリオ出版)という折り紙の名著があった。折り紙の概念から実際の手順までがわかりやすく親切に書かれていた。その初級者の部の最高傑作がサンタクロース。この本、後半はむちゃくちゃマニアックで、最後の「悪魔」なんかになると、折るのに二、三時間はかかってしまう。いや、挑戦者のほぼ八五%が途中で挫折するに違いない。が、これはまさに「折り紙の美学」を追求した本だった。
 しばらくして双樹舎から「をる」という季刊誌が六冊ほど出た。これもまた折りの美学に徹した雑誌で、伝統的な折り紙から最新の創作折り紙、さらに折り紙の幾何学まで、徹底的に折り紙の可能性と魅力を紹介してくれた。ここにもサンタクロースが登場する。
 そして今度、講談社ブルーバックスから『折る紙の数学』が出た。これはいってみれば、「折り紙の抽象編」。サンタクロースや鬼や恐竜を折ったりはしない。折るのは正五角形、正六角形、正八角形、あるいは立方体、直方体。それから二分の一、三分の一の面積の正方形、ひいてはn分の一の正方形……。これが数式をまじえて語られると、まことに面白い。ぞくぞくするほどの快感である。「中学生から楽しめます」という裏表紙の文句は大げさにしても、数学が嫌いでなければ高校生から楽しめる一冊。
 数学は美学であり、折り紙は数学である。現代の創作折り紙の権威はそのほとんどが数学者らしい。この本を読むと、それも十分に納得がいく。
 そろそろクリスマスである。クリスマスは、折り紙である。ひとりで折るのもよし、ふたりで折るのもよし。牽強付会の観もあるが、クリスマスは折り紙で……?

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2000年12月号 「リセット」

豊饒の海 三島由紀夫
百年の孤独 ガルシア・マルケス

 このテーマは芝居のほうが一枚上手のような気がする。二年まえにも市川森一脚本・西田敏行主演の『リセット』というのがあったし、今年も二月初旬に演劇屋バンソウコウが『re:set』という新作を上演するという。そしてなにより芝居の場合にはカーテンコールという素晴らしいリセットがある。いい芝居をみたあとの、カーテンコールの感動は何にも代えがたい。
 それにひきかえ小説の場合、「リセット物」は「夢落ち物」と同様、いまひとつ切れ味が悪い。数年前にケン・グリムウッドの『リプレイ』が出ているし、最近も盛田隆二の『リセット』が出ているが、出来はいまひとつ。
 とはいえ、その手の名作がないでもない。なかでもタニス・リーの短編集『タマスターラー』に収められている「運命の手」はぞっとするほどの迫力で読者を切り捨ててしまう。主人公ふたりのたどる数奇な運命が完成された瞬間、すべてが瞬く間に崩れ落ち、読者をは軽いめまいのなかにたたきこまれてしまう。短編小説のだいご味、まさにここにありという作品だ。
 また長編小説をながめれば、今世紀を代表する東西の二作品が、やはり「リセット物」の傑作だろう。西はいうまでもなくガルシア・マルケスの『百年の孤独』。すべてが滅亡したあと、メルキアデスが残した羊皮紙にすべてが書き記されていたというくだりは、鳥肌が立つほどの迫力がある。そして東はこれまたいうまでもなく三島由紀夫の「豊饒の海・四部作」だろう。最終巻『天人五衰』の終わりあたり、「清顕さんというおかたなど、あらしゃらなかったのではありませんか」といういかにも涼しげな一言にこめられた決意これもまたすさまじく強烈である。二0世紀を代表するこのふたつの小説は、「リセット」という言葉を触媒にして激しくぶつかりあっているような気がしてならない。

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2001年1月号 「かたり」

ポビーとディンガン ベン・ライス

「騙る」のも、やはり小説より芝居のほうがうまい。たとえば竹中直人・小泉今日子・岸田今日子の『隠れる女』(岩松了・脚本)なんか、三人が三人とも相手を「騙り」自分を「騙り」ながら、自分を「語る」という、とことん不気味で切ない作品で、最後まで謎だらけ。これくらい迫力と説得力のある「騙り」の小説があるか。下手なミステリーなんかおよびじゃない。しかし芝居の世界なら、この程度の作品はごろごろ転がっている。騙すのは男より女が上。小説より芝居が上なのだ!
 が、自分で自分を「騙る」子どもを描いた小説にはいくつか「☆」をつけたいものがある。子どもの「・・ごっこ」(空想遊び)がテーマのやつ。なかでもロアルド・ダールの「お願い」(『あなたに似た人』に収録)は「∽!」である。ダールの最高傑作だと思う。
 さてこれに匹敵するくらい素晴らしい作品がついこないだ出た。ベン・ライスという新人作家の『ポビーとディンガン』だ。
 主人公の少年は、病気になった妹を元気づけるため、その空想の友だちをさがしだそうと決心するする。そして「行方不明者・妹の友だちポビー、ディンガン・特徴・目に見えない・おとなしい・見つけた方には賞金を差しあげます」というポスターを貼る。すると町の人々までがポビーとディンガンをさがし始める。
 妹の病気は重くなっていき、少年はふたりをさがしに採掘場の穴にもぐっていくが、ふたりはもう死んでいて……
 ちょっと待て……といいたくなるくらい、発想も展開も突飛で、とうていついていけそうもない物語なのに、ついつい最後まで読まされ、ついつい感動させられてしまった。これほど強引な話を読者に納得させてしまう力は並大抵のものではない。
 祈りと奇跡は、切ないほど身近にあるということを、この作品は教えてくれる。それを理解するには、ほんの少しだけ想像力を働かせればいい。

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2001年2月号 「最高級」

石原吉郎全詩集

「最高級」は、勝手に「絶品」と読みかえてしまおう。いままでに観た歌舞伎なら、猿之助の『黒塚』、玉三郎・孝夫の『桜姫東文章』。去年観た芝居なら翻訳物で、生瀬勝久と古田新太の『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』、日本物で維新派の『流星』。ラテン・アメリカの歌い手なら、カエターノ・とヴィルジニア・ロドリゲス。香港映画ならレスリー・チャンとアニタ・ユンの『金玉満亭・決戦炎の料理人』、香港ポップスならキャス・ファンの『窓外』。アストル・ピアソラが音楽を担当した映画なら、『タンゴ・ガルデルの亡命』。まねき猫なら、もりわじんの「陰陽」。岡山の桃、マスカット。
 と、つらつら書き並べてひとつわかったのは、あまりよく知らないジャンルだと「最高級」とか「絶品」がすぐに決まるということだった。毎日のように小説と向かい合って、小説と格闘していると、逆に「これ!」というものが出てこない。まあ、そんなものかも。
 どうも文学の世界で「絶品」を選び出すのはむつかしくて、どうしようもない。が、詩はあまり詳しくない。
 というわけで、詩人なら石原吉郎! 石原吉郎の詩なら、「花であること」!
「花であることでしか/拮抗できない外部というものが/なければならぬ/花へおしかぶさる重みを/花のかたちのまま/おしかえす/そのとき花であることは/もはや ひとつの宣言である/ひとつの花でしか/ありえぬ日々をこえて/花でしかついにありえぬために/花の周辺は適確にめざめ/花の輪郭は/鋼鉄のようでなければならぬ」
 これほど切実な詩をぼくは知らない。孤島に一冊持っていくとしたら・・・というありきたりな質問には即座に答えることができる。『石原吉郎全集』(花神社)の第一巻「全詩集」、これしかない。ぼくにとってのベストです。
 どこか石原吉郎の全詩集を文庫で出してくれないかなあ。

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2001年3月号 「音楽」

ビリー・ジョーの大地 カレン・ヘス

 はるか昔、まだ大学院に在籍していたときのこと、マーヴィン・ピークの「タイタス三部作」に夢中になって、ひとりでこつこつ訳していた最中に浅羽莢子訳で東京創元社からその第一巻が出たときには、腰が抜けてしまった。
 それと同じくらいショックだったのがカレン・ヘスというアメリカの作家のニューベリー賞受賞作『ビリー・ジョーの大地』だ。
 じつをいうと、この作品、まず日本の出版社は出さないだろうと、ふんでいた。というのは、散文詩なのだ。案の定いくつかの出版社は検討したものの、見送ってしまった。なにしろ「詩」なんて売れるはずがない。ぼくは一計を案じて、原作は詩だけど、普通の小説にして出せばいいと思っていた。そしてある出版社に要約を持っていったところOKがでた……が、一足遅かった。理論社がすでに版権を取っていたのだ。「まさか」とつぶやきながら、問い合わせてみたら、なんと詩人の伊藤比呂美の持ち込みとのこと。
 主人公の少女ビリー・ジョーはある事件で、お母さんとそのお腹にいた赤ちゃんまで死なせてしまう。そのあいだお父さんは飲んだくれていた。ビリーは自分を責め、お父さんを責めるうちに、どんどん苦しい状況に追い込まれていき、ついに家を出るが・・・という、ビョークの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を連想させる暗くつらい物語で、最後はささやかな救いを暗示しながらも、センチメンタルに流れない……という、とてもとても素晴らしい作品だ。
 それにしても、わずかの差で、ぼくではなく伊藤比呂美の訳で出ることになったことを考えたとき、くやしいけれど、「天の配剤」という言葉を思い出してしまった。もしぼくが訳していたら、これはおそらく詩の形にはなっていなかった。この作品に秘められた「音楽」はあっさり消えて去っていたことだろう。伊藤比呂美訳の『ビリー・ジョーの大地』、拍手をもって迎えたい。おそらく今年一番の話題作になるに違いない。

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2001年3月号 「名脇役」

浅草フランス座の時間 井上ひさし

 フランス座というのは、一世を風靡した浅草のストリップ劇場の名前だ。もちろん「主役」は踊り子さんたち。といっても、ただ裸をみせるだけのストリッパーではない。井上ひさしも冒頭で次のように書いている。
「わたしたちが踊り子にあこがれるのは、彼女たちが柔らかい肉体と、その肉体を自在に操る技術で、束縛を飼い馴らしてみせる達人だからです」
 この本では、舞台を彩った踊り子たちのエピソードが語られる一方で、その背景や歴史もしっかりおさえられている。とくに高木徳子、水の江瀧子、ジプシー・ローズの三人を紹介した大笹吉雄の「日本の踊り子通史」は見事。簡潔でかつ内容が濃く、新書一冊に匹敵するくらい読みでがある。
 ところで、この手の劇場ではストリップばかりをやっていたわけではない。また井上ひさしの言葉を借りてこよう。
「一時間半のショーに、一時間の喜劇がつくのが基本の型でした。構成はまず、二十四人の踊り子、二人の男性舞踏手、六人編成の楽団、そして喜劇俳優が十人前後というところ」
 そうそう、寄席の色物(手品や曲芸)のように、フランス座などでは必ず「お笑い」がついた。つまり「脇役」(チラシでもあとのほうに名前が出る)なのだが、この脇を固めた人々がすごい。
 渥美清、谷幹一、関敬六、長門勇から北野武(エレベーターボーイをやっていて、そのうち舞台に立つ)まで、そうそうたるメンバーである。そして井上ひさしも、ここで進行係をやり、喜劇の台本を書くようになる。まさに「喜劇の学校」のようなものだったのである。
 そういった当時の浅草やフランス座の雰囲気やエピソードを伝える対談や談話も、とても楽しい。
 そして最後には、井上廈作、渥美清主演の喜劇『看護婦の部屋』の台本。なんとも遊び心いっぱいのうれしい本である。

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2001年4月号 「始まる」

短歌はプロに訊け!
短歌という爆弾
シチュー鍋の天使

 どうやら小林恭二の『短歌パラダイス』(岩波書店)がきっかけだったらしい。沢田康彦がこれを読んで短歌に夢中になり、まわりの人々を動員して「猫又」という短歌同人誌を始めた。「下は九歳から、上は八十二歳まで・・・短歌を詠んだ人詠まされた人はこの二年間でのべ二百人・一千首を越えた」らしい。職業は女優、OL、プロレスラー、大工、小学生など様々。そして「猫又」に集まった歌を題材に、新進気鋭の歌人ふたりと鼎談するという企画をまとめ、これが昨年、『短歌はプロに訊け!』という本になった。そのふたりというのが、「廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て」の東直子と、「卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け」の穂村弘。
 この穂村が「短歌はSHOUTだ」とばかりに、『短歌という爆弾:今すぐ歌人になりたいあなたのために」を書いた。これがまた、強烈で強引で猛烈にわかりやすい、すこぶるつきの好入門書なのだ。短歌を始めたい人にはぜひ勧めたい。
 ここ数年、短歌の世界は歌集、評論、入門書などとりまぜ、まことににぎにぎしく、スリリングである。
 そんななか、『シチュー鍋の天使』という歌集が出た。とてもおしゃれでかわいい・・・だけでないのがいい。
「きみのいない朝のしづけさ まなうらに人魚の失くした尾がひるがえる」など、童話や絵本のイメージを、鮮やかに裏切りつつ、ときに切なく、ときにユーモラスにまとめた短歌が多いのが特徴。
 これは北川草子の最初にして最後の歌集になった。享年三十歳。
 始まるというのは、こういうことなのかもしれない。
・やがて春 打ちあげられた靴たちがステップを踏むゆめの海岸
・たて笛の高いドに指をあわせて『あらまあ二月あらまあ五月』
・シジミチョウのこころが空に溶けてゆくカタバミ・キイロ・ウレシイ・カナシイ

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2001年5月号 「童心を忘れない」

櫻よ
サクラを救え
ちいさなきかんしゃレッド号

 今回のタイトルにはまいってしまった。子どもの本はたくさん訳しているけど、「童心」というやつは昔から苦手で、後書きでも前書きでも、書評でも論文でも、一度も使ったことがない。いや、生まれて一度も使ったことがないと思う。
 これよりはまだ「銅銭に変える」のほうがずっと書きやすい・・・ような気がする。
 そもそも「童心」とはいかなるものか。「子どものような純真な心」 えっ、子どもって純真かよ!
 たとえば京都にある「植藤造園」十六代目の植木職人、佐野籐右衛門は桜にかけては世界的な権威らしい。彼の語りをまとめた『櫻よ』(集英社)の帯には「桜をこよなく愛し、さくらを家系の血として一筋に生きて来られた」とある。彼にいわせると、桜は「山桜にまさるものなし」で、その対極にあるのが染井吉野らしい。現在、全国の桜の八0%がこれで、「こんな、つまらんことはない。制服をきた男女ばかりじゃ・・・だからおもしろみも深みもないんです」とおっしゃる。
 ところがノンフィクション作家の平塚晶人は、この染井吉野にほれて『サクラを救え』(文藝春秋)という本を書いた。これは樹齢六0年といわれている短命な染井吉野をいかに救うかという観点から徹底的な取材をした労作。彼は染井吉野の「多様な表情に引き付けられた」と語る。
 今回のタイトル「童心」をみて、ふと思ったのは、いったいどちらが「子どもの目」なのかということだ。まあ、大人が童心を考えると、えてしてこういうつまらんことになってしまう。いかん。
 やはりここは、かわいくて楽しい絵本でしめくくるとしよう。『ちいさなきかんしゃレッドごう』。もう、めちゃくちゃキュートです。桜は関係ないけど。絵もいい文章もいい、装幀もいい。最近出た絵本のなかではいちおし。この絵本、なんと一九四五年の出版。ぼくはまだ生まれていない。「童心」ははるか先。

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2001年6月号 「手紙」

世界でいちばん愛しい人 ロナルド・レーガン&ナンシー・レーガン
臨機応答・変問自在 森博嗣

 アメリカの第四十代大統領に選ばれたロナルド・レーガンはラブレターの達人であった。
 なにしろ「世間では二月十四日をヴァレンタイン・デーと呼んで祝っているが、それは普通の運にしか恵まれなかった者たちの話だ。ぼくは『ヴァレンタイン・ライフ』を送っている」というウィットに富んだ、ほぼ満点に近いラブレターを妻に書き送っているくらいだ。そもそも筆まめで、ホテルに着いては手紙を書き、列車を乗り継ぐわずかの時間を利用しては電報を打つ。いや、同じ部屋にいるときでさえ、メモパッッドにささやかな愛の言葉をつづったりする。そのうえ、仲間と飲むよりは家で妻といっしょにいたいと思うほど家庭的な人間だったらしいから、ある意味で(ここが大切)理想的な夫だったにちがいない。うらやましいかぎりである(異論のある人もいるだろうが)
 ぼくはナンシーさんの書いたエッセイを訳しながら、反省するところ大だった。が、やっぱり手紙を書くのは面倒だし、長いものになるとワープロに頼ってしまう。
 あ、これはいかんぞと反省しかけたところに、ミステリー作家兼大学助教授である森博嗣の本にぶつかった。これは学生が出した質問への答えのなかから面白そうなものを集めた本で、最高に楽しい。
 たとえば、「学問には難しい言葉が多すぎる」という意見への返答。「その言葉がないともっと難しくなるので、言葉が作られる。『概念』という言葉が難しいのではなく、『概念』というものの概念が難しい」
 さて、「ワープロばかり使っていて漢字を忘れると悲しくないですか? 手紙を書くときはどうするのですか?」という質問への答え。「何かを忘れられるのは、その分、頭を他のことに使えるわけだから嬉しい。人間は歩けるようになると、はいはいを忘れる。はいはいを忘れて悲しいですか? 手紙はワープロで書く。稀に手で書くときは、必ずワープロで下書きして、それを見ながら書く」!

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2001年7月号 「原風景」

絶対安全剃刀 高野文子
小春日和 野中柊

「原風景」といわれて、真っ先に頭に浮かぶのは、高野文子の短編集『絶対安全剃刀』の最後の一編「玄関」である。
 自分の小学校時代の夏休みが広がりと奥行きを持って、ギュンとよみがえってくるのだ。いや、それだけではない。「玄関」を読んでいると、みえなかったものがみえてくるし、きこえなかったものがきこえてくる。不思議だ。
 女の子ふたりの、夏の一日を描いた作品だが、「あーっ、これだよ、これ!」という懐かしさが、ククククククとこみあげてくる。それも視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、触角、味覚すべてを通じて。
 たとえばふたりがソーダ水を飲んでいるところ。ひとりはコップの口に顔を寄せて、はねるソーダ水を頬に受け、「あー、ほっぺが気持ちいい」といい、もうひとりはソーダ水のなかに舌を突っこんで「あー、ぴりぴりしたーっ」。
 これは間違いなく「かすがいのしとろんそーだ」である。緑のメロン味と赤いイチゴ味があった。
 一時大流行した(いま思えば、決しておいしくはない)この粉末ソーダを小道具に使った作品、ほかにないわけではないが、これほどさりげなく、かつ効果的に使われているものは珍しい。
 ところがついこないだ、もうひとつみつけてしまった。
「私たちはまずは一口ちびりと飲み、その懐かしい味を堪能した。それから、グラスに顔を押しつけ、ソーダ水の中にだらりと舌を浸して、炭酸の刺激を楽しんだ。小春と私は我慢できるだけ我慢して舌を突き出していたが、やがて、顔を上げ、甲高い声を上げた。うう。ぴりぴりするぅ。きぃ。涼しい」
 小春と日和というタップダンス大好きの双子の姉妹が織りなす、とてもとてもキュートな物語。これもまた、読んでいくうちに感覚が鋭くなってしまう。
「原風景」をみせてくれる、あるいは感じさせてくれる作品というのは、読者の感覚を快く解放してくれる作品でもあるという気がしてならない。

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2001年8月号 「変身」

悪霊/マシーン日記 松尾スズキ
築地にひびく銅鑼 藤本恵子

 変身といえば、そりゃ役者でしょう、芝居でしょう・・・というわけで、まず頭に浮かんだのは、松尾スズキの『悪霊/マシーン日記』(白水社)。ところがそこへ丸山定夫を描いたノンフィクションが出た。今回の開高健賞受賞作だし、作者の藤本恵子も好きなので、こちらにした。
 いやあ、ぼくは高校まで岡山にいて、その頃はまだアングラ劇なんて観たこともなく、毎月の楽しみは労演主催の芝居で、新劇が多く、当時の男優の長老格は宇野重吉、滝沢修・・・という話をしていると、ごくたまに年配の方から丸山定夫という名前が出てくることがある。その伝説的な俳優が今年の四月、目の前に現れた。
 新国立劇場で上演された井上ひさしの『紙屋町さくらホテル』に出てきたのだ。これは終戦近く、天皇の密使として全国を調査していた海軍大将長谷川清がたまたま広島にやってきて、ちょうど芝居を打つことになっていた丸山たち劇団員と出会い、自分も役者として参加するようになる・・・という、うまい仕掛けの作品だった。
 丸山は一九0一年生まれ。若い頃から職を転々とする。新聞配達や家具店の下足番をやったあげく、オペラ歌手にあこがれ、やがてエノケンと共演するようにまでなるが、浅草オペラに見切りをつけて新劇に転向、力量を発揮して第一人者になっていく。
 作者は、この天才俳優の波瀾万丈の生涯を、戦前戦中という時代や当時の演劇界を活写しながら追っていく。とくに小山内薫亡き後、築地小劇場が分裂してからの部分が面白い。たとえば二劇団が同時に別々の劇場でレマルクの『西部戦線異常なし』を上演することになり、検閲につぐ検閲で脚本をずたずたにされながらも、お互いにしのぎを削るエピソードなど短いながらも、うまいなと思う。
 丸山は苦楽座を結成。地方を回る。そして四五年、苦楽座は桜隊と名前を変え、広島へ。
 丸山定夫は被爆し、数日後息を引き取る。享年四十四歳であった。

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2001年5月号・番外編 「文学で世界を旅する」 」

人がいて初めて風景が誕生する。そして風景はつねに小説の題材であり、小説のテーマであった。

 大学で英語を教えながら翻訳をしているのだが、いまだかつて海外で勉強をした経験はない。おそらく気が小さく内向的な性格のためと思われる。そもそも「旅」というものが面倒で好きではないらしい。一年に一度くらいはサンフランシスコへ本の買い出しにいくが、そのときも用事が終わればさっさと帰ってくる。せいぜい三日ほど滞在すれば十分。サンフランシスコへいく、というよりはサンフランシスコの本屋にいくといったほうが近い。だから海外の観光旅行には行くのは、母親の荷物持ちをするときだけ。どうやら遺跡や大自然より、生臭い人間のドラマのほうが楽しいらしい。しかし小説に描かれた外国は好きである。そう、必ず人間がからんでいるから。

1. ハワイイ 『カイマナヒラの家』池澤夏樹作 芝田満之・写真 集英社
「大きな波が来て、力のかぎりパドリングして波に乗って、後ろから突き飛ばされるような加速感にわくわくしながら、前傾姿勢でボードの上に立つ・・・かぎりなく崩れてゆく波の上の絶対に崩れない一点としての自分」サーフィンをするために本気でハワイイに通う主人公の様々な出会いの物語。かなり危ない人物や、変な人物が登場するが、どのエピソードも「ハワイイ」という光に包まれて、ほほえましく、優しく、ちょっぴり切ない。

2. ロシア 『ロシアのクリスマス物語』田辺佐保子編・訳 群像社
「クリスマスの食卓にのぼるのは豚肉と決まっていて・・・肉屋には凍った豚どもが天井まで積んであった・・・腿肉は塩漬け用に切り取ってある。それがむきだしで何列も寝かせてあるんで、切り口がバラ色の花模様に見えてね、雪をかぶっているんだ」ペレストロイカは素晴らしいものを解禁した。「クリスマス」である。ここにはナボコフ、ドストエフスキー、チェーホフほかロシア人作家による様々な味の短編がぎっしり詰まっている。

3. リオ 『オルフェ』カルロス・ヂエギス作 角川書店
「ミラが腰を振って踊り、観客に手を振りながら、下のオルフェの姿にほほえみを送っていた。だがその時オルフェが踊りながらマントを翻す・・・いきなりピンクの衣装を着込み、ピンクの花の髪飾りを頭に載せたユリディスが・・・」貧困、暴力、ギャング、サンバ・・・リオの熱狂的なカーニバルをはさんで繰り広げられる愛と死のドラマ。同じ原作に基づく五九年の映画『黒いオルフェ』よりもはるかに熱く悲しく鮮烈な現代の神話。

4. 湖南 『山の郵便配達』彭見明作 集英社
「太陽はすでに山の頂をすっかり金色に染め上げていたが、麓の方はまだ雲霧におおわれていた。それはまるで山が水の中に浮かんでいるようだった。風が吹くと霧も動いて、この根っこのない山も、それにつれてふわふわ漂っていた」日本でも大ヒットした中国映画の原作。数日がかりで郵便を運ぶ年老いた郵便配達と息子の旅。風景だけでなく、そこで流れる時間も、そこで交わされる言葉も、すべてが懐かしく、新鮮で、ほのかにまぶしい。

5. 沖縄 『CHIMU:肝 沖縄・コザの登川誠仁』金子亜矢子・写真 藤田正・文 中央公論新社
「朝はそよ風 緑の島に/なびく小花の 美しさ/緑の島だよ 春の島/春の島だよ 我が沖縄/春の島」映画『ナビィの恋』で多くのファンを獲得し、マイケル・ナイマンとも競演してしまった、沖縄を代表するシンガー登川誠仁の写真とコザの写真に文章をそえたもの。彼の新譜「Spiritual Unity」を聴きながら、ぺらぺらめくっていると、泡盛を飲みたくなってくる。なんとも幸せな本である。ただし本人の水着写真はない。残念である。

6. ニューメキシコ 『ウルティマ、ぼくに大地の祝福を』ルドルフォ・アナヤ作 草思社 「ウルティマがぼくの手を取ったとき、その内に秘められた穏やかな魔法の力が、太陽に焼かれた自然のままの大草原や、川の流れる緑の地や、白い太陽の住処である青い空を美しく輝かせ始めた」赤茶けた荒野、日干し煉瓦で作った家、カトリックの教会、マリア像、土着の信仰、抜けるように青い空、白い太陽、メキシコ料理、スペイン語・・・そんな風土のなかで成長していくメキシコ系アメリカ人の少年の物語。もうひとつのアメリカ。

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copyright © Mizuhito Kanehara

 last updated 2004/2/23