第1回 1950年代アメリカ……「若者」の誕生
『ライ麦畑でつかまえて』
第2回 アメリカの「不良映画」と「不良小説」
『アウトサイダーズ』
第3回 ファンタジー・ブーム
『指輪物語』『不思議の国のアリス』『ハリー・ポッターと賢者の石』
第4回 ファンタジー・マニアの試金石
『信ぜざる者コブナント』
第5回 輝くダンディライオン・ワイン
『戦後「翻訳」風雲録』『たんぽぽのお酒』
第6回 リアリズム作品を支えたYA世代
『チョコレート・ウォー』『ぼくが死んだ朝』『果てしなき反抗』『フェイド』『真夜中の電話』『わたしたちの鳴らす鐘』
第7回 宝の山だった?! 70年代コバルト文庫
『ふたり物語』
第8回 アメリカYA文学と音楽の関係
『ロック/ザ・ディスコグラフィー』
第9回 2000年上半期お勧めの2作品
『逃れの森の魔女』『ロケット・ボーイズ』
第10回 今年のYAお勧め本(日本編)
『希望の国のエクソダス』『コインロッカー・ベイビーズ』『69』『宇宙のみなしご』『カラフル』『DIVE!!』『ショート・トリップ』
第11回 近ごろお勧めのYA絵本
『羽がはえたら』『地獄の悪魔・アスモデウス』『おじいちゃんの口笛』
第12回 追悼ロバート・コーミア
『フェイド』『ぼくが死んだ朝』
第13回 うろんなゴーリーの絵本
『ギャシュリークラムのちびっ子たち』『うろんな客』
第14回 若手の注目作家
『イルカの歌』『ビリー・ジョーの大地』
第15回 YA向け楽しみな時代(?)小説
『シェイクスピアを盗め』
第16回 読者の悩みにこたえてくれる
『もてない男』『バカのための読書術』
第17回 不思議なリアリティを持つ作家
『スターガール』
第18回 どこに三脚を立てるのか?
『テレビの自画像:ドキュメンタリーの現場から』
第19回 注目! 日本の作家によるYAシリーズ
『アンダー・マイ・サム』『小春日和』
第20回 構成力が魅力、サブカル評論
『美人論』『もてない男』『われ笑う、ゆえにわれあり』『松本人志ショー』
第21回 ミステリファンにおススメのガイドブック
『KGBの世界ガイド』


第1回 1950年代アメリカ……「若者」の誕生

 今月から始まる「ヤングアダルト講座」。まずは「ヤングアダルト」という言葉が最初に広く使われるようになったアメリカの若者文化を数回にわたって紹介していこう。
 ぼくの父親は小学校を卒業した次の日には働いていた。当時、つまり戦前の日本では高等教育はいうまでもなくごくわずかの人々のものだった。だから社会的な年齢区分は「大人と子供」のふたつだったわけだ。それはほかの国も同じで、このふたつの間に「若者」という層が初めて誕生したのが50年代のアメリカだった。それまでアメリカでは、若者は「不格好な世代」と呼ばれていた。ぶかぶかの大人服を着るか、きつきつの子供服を着るかのどちらかだったからだ。もちろん丸井のヤング・カジュアルなんてものはなかった。
 アメリカでの「若者層」の誕生をはっきりと告げているのがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』だろう。主人公のホールデンは成績不良で高校を退学処分になる落ちこぼれ。大人の世界の欺瞞性に嫌悪感を抱くホールデンに共感するか、その優等生的ドロップアウトぶりに逆に欺瞞を感じるかは読者次第だが、ここにはそれまでになかった「若者」が鮮やかに描かれている。そしてここで重要なのは、当時のアメリカにおいて、ホールデンのような「社会からドロップアウトした若者」をまがりなりにも受け入れることのできる社会が誕生していたということだ。「ヤングアダルト」という言葉はまだ生まれていないが、ここにその萌芽があるのは間違いないと思う。
 しかし注意したいのは、野崎訳の『ライ麦畑』を読むと、いかにも「現代のアメリカを代表する青春小説」という感じがするが、これはもうすでに半世紀前の小説。ホールデンもかなり前に還暦を迎えている。 (2000/1/14)

第2回 アメリカの「不良映画」と「不良小説」

 50年代のアメリカ映画をみると、若者文化が次第に大人文化を切り崩していく様がはっきりみえておもしろい。たとえば不良映画が誕生するのもこの時代だ。マーロン・ブランドの『乱暴者』(53)、グレン・フォードの『暴力教室』(55)、ジェイムス・ディーンの『理由なき反抗』(55)。これらの映画は後の『ウエストサイド・ストーリー』(61)、『いつも心に太陽を』(66)、『イージー・ライダー』(70)につながっていく。
 しかしこの50年代、いきなり若者文化が大人文化を乗っ取ってしまうわけではない。若者が革ジャンを着てオートバイを乗り回す典型的な不良スタイルで大人の社会になぐりこみをかける『乱暴者』と同じ年に『シェーン』と『ローマの休日』が封切られている。
 さて出版界に話を移すと、前回紹介した『ライ麦畑でつかまえて』などわずかな例外はあるものの、50年代に誕生した「若者」への対応はかなり遅い。出版界が重い腰を上げ始めるきっかけになるのがスーザン・ヒントンの『アウトサイダーズ』だろう。67年に一般向けに出版されたこの小説は中高生を中心に広がっていき、やがてヤングアダルト向けというレッテルを貼られることになる。この「不良小説」のプロットは、かなりの部分、『理由なき反抗』と『ウエストサイド・ストーリー』のパクリであることは一読瞭然だが、その若書きの荒削りな文体とみずみずしい感性は強烈なインパクトがあった。(2000/2/11)

第3回 ファンタジー・ブーム

 「ヤングアダルト物」というと、現代の若者を主人公にしたリアルな作品を連想する人が多いが、もう一本の大きな柱として「ファンタジー」を忘れるわけにはいかない。
 『ライ麦畑でつかまえて』や『アウトサイダーズ』のように本の世界を大きく変えた作品のひとつがJ・R・R・トールキンの『指輪物語』だ。これは、ほかの二作とはちょっと事情が違い、イギリスで出版されたほぼ10年後の64年にアメリカでペーパーバックで出版され、若者のあいだで一大ブームになる。これ以後アメリカではヤングアダルト向けにファンタジーが量産されるようになり、そのなかからルグイン、ピーター・ビーグル、ステファン・ドナルドソンといった優れたファンタジー作家が誕生する。
 60年代のアメリカの一面をごく大雑把にまとめると、正義の国アメリカという幻想が崩れ、権威に対する不信が浸透し、新しい価値観が模索された時期ということになるだろう。こういった背景のなかで、若者が『指輪』を愛読したのは、逃避の場としてであり、またフロドというアンチ・ヒーローに新しい価値観を見いだしたからかもしれない。
 それはともかく、児童文学は一般文学のおよそ10~20年あとを追いかけているようなところがあるが、児童文学が端緒を切って「文学」の枠を大きく広げたことがあったとしたら、『指輪』とルイスの『不思議の国のアリス』くらいではないだろうか。(2000/3/10)

第4回 ファンタジー・マニアの試金石

 アメリカでの『指輪物語』の大ブームがなければ、佐藤さとるの一連の作品などいまでも「創作民話」と呼ばれているに違いないし、ダンセイニやマーヴィン・ピークなどの作家によるマニアックなファンタジーが日の目を見ることもなかっただろうし、荒俣宏が杉浦日向子と結婚することもなかっただろう。
 ところでこの『指輪物語』、主人公のフロドがいやおうなしに光と闇の戦いに巻きこまれて重大任務を負わされてしまう……という、ミステリーに多い「巻きこまれ型」の物語で、これは以後のファンタジーの大きな流れを作る。この大きな流れのなかにドーンと突き出ている巨大なモンスターが、ステファン・ドナルドソンの『信ぜざる者コブナント』だろう。そもそも主人公が妻に逃げられたハンセン病に悩む中年男。彼は『指輪』のような魔法の世界にスリップしてしまうが、その世界を信用しようとしない。これは自分の逃避願望が生んだ幻に過ぎない、だからこれを信じてしまうと現実の世界にもどったとき、自分は決して立ちなおれないだろう、というのがその理由。しかし魔法の世界の戦いは彼を中心に大きく動き出す……。めちゃくちゃヘヴィーな物語だ。
 『ハリー・ポッターと賢者の石』が読みやすく楽しい、ファンタジーの甘口入門書だとすれば、『コブナント』は読者を選び読者のファンタジー指数を試す辛口専門書なのだ。 (2000/4/14)

第5回 輝くダンディライオン・ワイン

 タイトルにひかれて『戦後「翻訳」風雲録』(本の雑誌社)を買ったところ、おもしろくて一気に読み終えてしまった。戦後の翻訳に関わった人々にまつわるエピソードをつづったものだが、当時の熱気がじわじわ伝わってくる。なかでも印象的だったのはSFの紹介に命をかけた福島正実だろう。編集者として、常盤新平の原稿をまっ赤に直したエピソードから癌で死亡するまでの凄絶な半生はSFファンにとって、涙なしには読めない。
 彼が紹介したSFというジャンルを自分たちのものとしていつくしみ育て上げてきた読者はヤングアダルトだった。アメリカでもそうだったし、日本でもそうだった。福島の播いた種は見事に実り、SFはひとつのブームとなり続々と翻訳されるようになったが、そのなかでひときわユニークな存在があった。ブラッドベリだ。そして彼の作品のなかでもひときわ輝いているのが『たんぽぽのお酒』だろう。ブラッドベリはもともと、ハードなSFは書かないで、ファンタスティックなものを中心に書いていたが、とくにこの短編連作集はその傾向が強い。そしてこの本は、日本においてさらにユニークなものとなった。それは、晶文社が「文学のおくりもの」シリーズの一冊として、カルヴィーノやサロイヤンやヘントフと同じ棚に並べたせいだ。こうしてこの作品は、SFのなかでも不思議な位置を占めることになった。奇跡のような出会いがここにはあると思う。(2000/5/5-12(合併号))

第6回 リアリズム作品を支えたYA世代

 不幸なことに、アメリカでとても評価されていて、すごくおもしろいのに日本では売れない作家がいる。スーザン・ヒントン、ポール・ジンデルなどのヤングアダルト作家がそうだ。そのうちのひとりにロバート・コーミアがいる。73年にコーミアが発表した『チョコレート・ウォー』は、アメリカの児童文学界に大きな波紋を投げかけた。ここまで厳しく、救いのないリアリズムの作品が登場したことはなかったのだ。当然、アメリカでは排斥運動も起こり、閉架扱いにしてしまう図書館も出た。が、この本を支えたのは当時の若者たちだった。この作品はさらに評判を呼び、映画にもなった。
 不可能なことは不可能なのだ……しかしそれでも戦う若者がいる……しかし結局負けるしかない……しかしそれは決して敗北ではない……この論理が、日本ではやはり理解されにくいのだろう。快いまでの潔さ、これがコーミアの身上である。
 コーミアはこのあと『ぼくが死んだ朝』『果てしなき反抗』(『チョコレート・ウォー』の続編)『フェイド』『真夜中の電話』と次々にセンセーショナルな作品を発表し、90年代には「コーミア的」と呼ばれる若手の作家もでてきた。
 コーミアの作品があまりに暗いという人のために『わたしたちの鳴らす鐘』を勧めておこう。これは最後にかすかな光が射しこむ、すがすがしい小説で、作者の祈りにも似た気持ちが快く伝わってくる。 (2000/6/9)

第7回 宝の山だった?! 70年代コバルト文庫

 70~80年代にかけての集英社のコバルト文庫はいま振り返ると、なかなかすごいものだった。いま手元にあるのは73年のものだが、巻末についている目録をみると、富島健夫、川上宗薫、佐藤愛子、豊田有恒、佐々木守、川端康成(『夕映え少女』『万葉姉妹』)、伊藤左千夫(『野菊の墓』)、平岩弓枝、若桜木虔(『宇宙戦艦ヤマト』)、氷室冴子、落合恵子、赤川次郎、新井素子、久美沙織、奈良林祥(『愛と性のカルテ』)と、新旧取り混ぜ、そうそうたる顔ぶれ、楽しそうなラインアップである。当時の女子中高生が、わくわくしながら、あるいは興味半分に手に取り、ひとりでゆっくり、あるいは友だちと語り合いながら読む姿が目に浮かんでくるようだ。
 このシリーズでもうひとつ忘れてならないのは一時期、海外、とくにアメリカのヤングアダルト物を出したことだろう。このシリーズでも取り上げた、スーザン・ヒントン(『アウトサーダーズ』『ランブル・フィッシュ』『テックス』)やロバート・コーミア(『チョコレート戦争』)をはじめとして、かなりの数が出ている。
 じつは手元にあるこの73年のコバルト文庫、なんとSF・ファンタジーの大御所、アーシュラ・K・ル=グインの、おそらく唯一の青春恋愛小説『ふたり物語』(杉崎和子訳)。ある意味、いかにもル=グインらしいストイックなラブストーリーに仕上がっている。表紙の上のところに〈COBALT Y.A. SERIES〉とあるのもほほえましい。 (2000/7/14)

第8回 アメリカYA文学と音楽の関係

 かつてラジオがリビングにあって、家族みんなで聴いていた時代があった。一家団欒の象徴といっていい。そこへテレビが登場し、その役割を引き継ぐ。放映される番組は、家族で観るのにふさわしいホーム・ドラマ、ニュース、健全な音楽番組だ。いっぽうリビングから追放されたラジオは小型化されたせいもあって若者の寝室にその居場所をみつける。一家団欒とか健康的といった制約から解放されたラジオはどんどん個性化、多様化の道をたどり、それまではほとんど公共放送で流れることのなかった黒人音楽、それもR&BやR&Rなんかがかかるようになる。若者たちは深夜、トランジスタラジオを枕元におき、猥雑でエネルギッシュで不良っぽい音楽を楽しむようになっていく。アメリカ50年代の風景である。
 こんなふうにして新しい音楽が若者を中心に広がっていく。R&B、R&R、(60年代前半のフォーク)、ビートルズ、ストーンズといったブリティッシュ・ロックの影響を受けて、ついに『ロック』の誕生。20世紀の若者文化は音楽から(それも黒人音楽から)始まるといってもいい。アメリカのヤングアダルトを考えるとき、こういった音楽の流れを頭に入れておくと楽しい。
 さて、ロックについての本はそれこそ無数にあるが、ここでは『ロック/ザ・ディスコグラフィー』をあげておこう。「60年代以降の代表的な200アーティストを完全網羅。全2000点のジャケット写真を掲載!」というのが帯の文句。(2000/8/11)

第9回 2000年上半期お勧めの2作品

 今年の上半期に出たヤングアダルト向けの翻訳書を見渡して、そのなかからふたつ紹介してみたい。
 ひとつめはドナ・ジョー・ナポリの『逃れの森の魔女』。これはグリムの童話でも有名な「ヘンゼルとグレーテル」の魔女を主人公にした作品。発想もユニークなら、登場人物の描きわけも見事で、たたみかけるような語り口に乗せられて、いっきに読まされてしまう。そのうえ最後の感動的な部分もあざやかに決まっている。エロティックな部分や残酷な部分を誇張しただけの童話のパロディばやりのこの頃、胸のすくような一冊といっていい。手前味噌ながら、アメリカのヤングアダルト作家のなかでも非常にユニークな活躍を続けているナポリの代表作をまずは勧めておきたい。
 ふたつめはホーマー・ヒッカム・ジュニアの『ロケット・ボーイズ』。1957年、ソビエトの人工衛星スプートニクの成功に刺激され、四人の少年が自分たちの手でロケットを打ちあげようと決心する。これはアメリカの炭坑町で実際にあった物語で、作者はのちにNASAの技術者になった……となれば、おもしろくないわけがない。極上の青春ドラマに仕上がっている。50年代、古き良きアメリカの熱い青春が、父と子の関係をうまくからませながら、生き生きと描かれている。ノンフィクションのいい所だけが過不足なく集約されたような作品だと思う。 (2000/9/8)

第10回 今年のYAお勧め本(日本編)

 今年出版された日本の作家による本のなかから、ヤングアダルトに思い切り勧めたい本は、なんといっても村上龍の『希望の国のエクソダス』だろう。2002年、80万人の中学生が学校を見切り独立国家を建設するという発想、徹底的な取材、たくみな物語の展開、「この国には何でもある。だが希望だけがない」というキャッチフレーズ。すべてがエキサイティングだ。『コインロッカー・ベイビーズ』『69』『希望の国のエクソダス』、村上龍がYA向けに書いた(かどうかは知らないが、YAに勧めたい)傑作だと思う。
 コバルト文庫、X文庫、朝日ソノラマ、電撃文庫、あるいは京極夏彦といったエンタテイメント以外で中高大学生によく読まれているのは村上龍、村上春樹、山田詠美、吉本バナナといった作家だと思う(桜井亜美とかあげればきりがないけど)。一方、児童書の世界から出発して、このところ急上昇してきたのが森絵都だろう。『宇宙のみなしご』『カラフル』『DIVE!!』などヒットをあげればきりがない。6月に出た『ショート・トリップ』は超短編40を集めたもの。中学生新聞に連載されたものだが、はっきりいって大学生か大人向け。いっけん変化球のようにみえて、じつはストレート……という不思議に切ない短編集。背伸びしたい学生と、若返りたい大人にはとても魅力的だと思う。それに、カバーを取ったときの驚きと快さ。本の装幀はすべからくこうあってほしい。 (2000/10/13)

第11回 近ごろお勧めのYA絵本

 ウーリー・オルレブの『羽がはえたら』が出た。オルレブは『壁のむこうの街』や『壁のむこうから来た男』などの骨太なホロコースト作品で有名だが、これはごく普通の男の子を主人公に書いたかわいい短編集。手羽をたくさん食べると羽が生えると思って手羽を食べる話、猫を拾ってくる話、ゆかいなマラソンの話など、どれも楽しい。
 小峰書店の「ショート・ストーリーズ」のシリーズ、かなりヤングアダルトにも読まれていると思う。ケストナー、サローヤン、スタルクといったラインナップも気がきいているし、なにより挿し絵つきで薄いのがいい。じつはこういった薄い子ども向けの本、アメリカでは十数年前からあるのだが、日本でも定着するだろうし、読者層も広がっていくと思う。そもそも最近のジュニア新書だって、かなりの数は大人が買っているのだから。いや、それを読書力の低下とかいって嘆く必要はない。ただ読書の質が変わりつつあるのだと思う。
 さて、ここでウルフ・スタルクの『地獄の悪魔・アスモデウス』も、ぜひヤングアダルト向けに紹介しておきたい。悪魔のくせに行儀はいいし、おとなしいし、やさしいアスモデウスが父親にいわれて、人間の魂をとりに地上にいくというよくありそうな話だが、スタルクの手にかかると、それがひと味ちがう素敵な物語に変身する。同じくスタルクの薄い本、『おじいちゃんの口笛』とともに、お勧めの作品。(2000/11/10)

第12回 追悼ロバート・コーミア

 バークレイからサンフランシスコ方面行きの地下鉄に乗っていたとき、黒人の男の子がキャンディーを売りにきた。ぼくの隣に座っていた中年女性が一箱買ったので、その女性にたずねたところ、なにかの募金だという。地下鉄内での物品の販売は禁止されているのだが、たまにこうい光景にぶつかることがある。
 ロバート・コーミアの『チョコレート・ウォー』は息子の実際の経験に基づいている。息子は学校の募金活動としてチョコレートを売るようにいわれるが、ちゃんと理由を説明してそれを拒否した。幸い学校からはなんのおとがめもなかったが、もし……と考えたとき、コーミアの頭にこの小説の構想が生まれたらしい。コーミアはこれを書いたとき、とりたてて対象読者を考えておらず、ヤングアダルト向けにと提案したのはマネージャーだった。そしてこの本はベストセラーになり、コーミアはヤングアダルト向けの本を続々と書いていくのだが、このあたりのことは6月に書いたので省こう。
 ともあれコーミアはとても強烈なものを残してくれた。いやおうなく残酷な現実にからみとられていく若者を、コーミアほど徹底したリアリズムで描いたヤングアダルト作家はほかにいない。ちなみにぼくにとってのベストは『フェイド』、次が『ぼくが死んだ朝』。
 ロバート・コーミア没。75歳。
 もっともっと日本で読まれていい作家だと思う。(2000/12/8-15(合併号))

第13回 うろんなゴーリーの絵本

『ギャシュリークラムのちびっ子たち』と『うろんな客』、エドワード・ゴーリーの絵本の登場である。いやあ、ゴーリーは知ってたけど、まさか日本で出版されるとはねえ……ううむ。はっきりいって暗いし、不気味だし、変だし……なにしろ
「Iはアイダ おぼれてふびん」
「Jはジェイムズ アルカリごいん(誤飲)」
「Kはケイト まさかりぐさり」(『ギャシュリークラム』)
でもって、絵は陰気な白黒。こんなもんだれが買うんだろう……と思ってたら、うちのゼミ生がみつけてきて、「あ、これこれ、いいっすよ!」!
 ほう、最近の若者もいささか目が肥えてきたかとちょっとうれしい。欧米の子供向けの絵本はめったやたらに訳されるけど、(ぼくの大好きな)マニアックなアメコミやこの手の大人の絵本はあまり訳されることがない。そういう流れが、若い連中の手によって少しずつ変わっていくのかもしれない。そんな手応え……というか、前兆のようなものが、このシリーズから鮮やかに伝わってくるような気がする。とくに原文(英語)がそのまま併記されているのがうれしい。それにシリーズで出るという話だ。
 こういうブラックで不思議な絵本は、若者が読まなくてはいけない。老人が安楽椅子に座って、ふはふはとながめる本ではないのだ。本屋も、三十歳未満の人にしか売らないようにしてほしい。(2001/1/12)

第14回 若手の注目作家

 アメリカのある出版社の編集とメールでやりとりしていたとき、「若手の子供の本の作家で、だれにいちばん期待してますか」とたずねたところ、「ううん、ちょっと難しいけど……そう、まずカレン・ヘスかな」という答えが返ってきた。ぼくはちょうどカレン・ヘスの『イルカの歌』(白水社)という本を訳し終えたところで、それをきいてとてもうれしかった。
 Wish on a Unicorn や A Time of Angels といった初期の作品を読んでもわかるが、カレン・ヘスはとにかく「力」のある作家だと思う。骨太の構成、物語の大胆な展開、読者を十分に納得させる、決してセンチメンタルに流れることのない結末。90年代に登場した作家のなかでは群を抜いている。
 そのヘスが97年に出した Out of the Dust がニューベリー賞を受賞した。この翻訳が出た。タイトルは『ビリー・ジョーの大地』。訳者はなんと、詩人の伊藤比呂美(『良いオッパイ、悪いオッパイ』などのエッセイもあり)。じつはこの作品、児童文学では珍しく散文詩の形で書かれている。これを伊藤比呂美が訳したとなると、これはもう買わないでいられない。いや、読まないではいられない。
 カレン・ヘスの大ファンであり、伊藤比呂美の大ファンであるぼくとしては、これから数ヶ月、自分の訳した『イルカの歌』は置いておいて、ひたすら『ビリー・ジョーの大地』を宣伝しようと思っている。(2001/2/9)

第15回 YA向け楽しみな時代(?)小説

 1600年前後のロンドンはグローブ座。宮内大臣一座が『ハムレットの悲劇』という新作を上演していた。観客数は五百~千人。そのなかにウィッジという少年がもぐりこむ。得意の速記術を使って、芝居の科白を写し取る、つまり「盗む」ためだった。ところが思わぬ事件がきっかけで、宮内大臣一座で下働きをすることになるはめになり……
 去年、これを原書で読んだとき、お、なかなか面白い本がでたなと思って、気にはなっていたのだが、早くも白水社から出てしまった。
 とにかく頁をめくる手が止まらない。速記術で芝居を盗むという発想もいいし、所々に活劇シーンを差しはさんだ物語のテンポもいいし、当時の劇場や劇団の様子が生き生きと描かれているし、なによりウィッジという孤児の少年が一座で働くようになってから芝居の世界を知り、いい仲間に出会って成長していく姿がとてもほほえましい。脇役にこっそり「シェイクスピアさん」を置くところなんかも憎い。
 この本を読んで、ディケンズの時代のロンドンを舞台に、少年を主人公にした傑作をいくつも書いているレオン・ガーフィールドをちょっと思い出してしまった。
 こういったヤングアダルト向けの時代小説(おそらく歴史小説とはいわないだろう)は、日本ではあまり売れないのだが、『シェイクスピアを盗め』は例外になると思う。まずなにより面白いし、日本人の好きなシェイクスピアがらみだし、表紙・装幀がすごくキュート! とくにとぼけた顔のシェイクスピアさんがいい。(2001/3/9)

第16回 読者の悩みにこたえてくれる

 『もてない男』(ちくま新書)を初め、このところ軽いフットワークで大活躍中の小谷野敦がまたクリーンヒットを飛ばしてくれた。タイトルは『バカのための読書術』。いや、バカの自己弁護を助けるためのものではなく、バカをこじらさないための一冊。具体的にいうと、次のような内容の本である。
・批評が急激に難解になってきている現代、バカはどうすればいいのか。
・かつての常識(弁慶と牛若丸のエピソードも知らない)に欠け、古典をほとんど読んでいない(いや、それについての表面的な知識すらない)バカはどうすればいいのいか。
・どういう本を読めばいいのか、どういう本は読まなくていいのか(折口信夫やユングや河合隼雄の著作が取り上げられている「本邦初『読んではいけない本』ブックガイド」も傑作だし、「バカのための年齢、性別古今東西小説ガイド」に山岸涼子の『天人唐草』から紫堂恭子の『辺境警備』まで入っているのはご愛敬)。
 とまあ、以上のようなことが明快に簡潔にまとめられている。作者は自分のことを「『難しい本』がわからない『バカ』」といっているが、本当かどうかはさておき、切り口が鮮やかで、語り口が絶妙。まことに歯切れがいい。そのうえふんだんに盛り込まれているエピソードや具体例がおもしろい。もちろんかなり過激な内容なので、内容に関して異論のある人も多々いるかもしれないが、だからこそまた楽しい。
 新学期、大学生協の書店には平積みにしてほしい一冊である。(2001/4/13)

第17回 不思議なリアリティを持つ作家

 スピネッリの新作が出た! これは読まなくちゃと、手に取って、あっという間に読み終えてしまった。
 スピネッリというのはとても力のある作家で、ずいぶん無理のある設定で強引に最後まで突っ走る。今回の『スターガール』も、そういうスピネッリの特徴がよく表れている。
 ハイスクールに女の子が転校してくる。オーバーオールの短パン、髪はおさげに編んでまっ赤なリボンで結び、頬にはまっ赤な頬紅。ウクレレを抱えて、次々に人の顔をのぞきこむ。そして誕生日を迎える生徒のまえで、ハピーバースデーを歌う。バスケットボールの試合があるとチアガールとして大活躍……するのだが、相手の得点にも声援を送ってしまうし、相手チームのメンバーがけがをすれば、飛んでいく。そもそも、「スターガール」というのは、自分で自分につけた名前らしい。人間はそのときそのときに合った名前をつけるべきだと、まるでアメリカ・インディアンみたいなことをいう。
 まわりの生徒たちは、このスターガールに振りまわされ、偽善者と決めつけたかと思うと、救世主のように持ち上げ、そのうち無視するようになる。
 ある種のファンタジーともいえるし、寓話ともいえるのだが、この物語、なぜか不思議なリアリティがある。それはスターガールに心ひかれ、共感しながらも反発して……彼女を「ふつう」にしようと必死になる主人公の「ぼく」が、うまく描かれているからだろう。
 アメリカで大評判、パラマウントも映画化権を取ったというこの作品、日本でも評判になってほしいと思う。(2001/5/4-11(合併号))

第18回 どこに三脚を立てるのか?

『テレビの自画像:ドキュメンタリーの現場から』桜井均
 どこに三脚を立てるのか?
 現在どこの大学でも、情報・メディア関係の学部・学科は盛況である。そしてまた、テレビ、映画、出版といった職場は、学生たちにとってのあこがれの世界らしい。
 この本は、そういう若者たち、とくにテレビに興味を持っている若者たちに向けて書かれた格好の入門書である。作者は自分の作品を振り返りながら、ドキュメンタリーを撮るということがどういうことなのか、とてもわかりやすく解説してくれている。取材の対象は、精神病棟、普通学級に通う知的障害のある女の子、右翼青年、アイヌの人々による「魂送り」の儀式、近隣騒音、薬害エイズ事件など、様々だが、その姿勢は一貫している。
「三脚を立てる場所は、地球上の具体的な場所であると同時に、心の中や、頭の中にも広がっています。どこに目を向け、耳を傾け、どんな映像と言葉を記録し、放送するのか、これが私たちの切迫した使命です」
 もちろん思い通りに取材が進むわけはなく、思わぬ発見がある一方、思わぬ壁にもぶつかる。そしてまた達成感で終わる仕事ばかりではない。知らないうちに、ぞっとするような「落とし穴」にはまってしまうこともあれば、どうしても主観的なコメントを最後に入れたくなってしまうこともある。
「テレビのブラウン管は『窓』なのか『鏡』なのか、ドキュメンタリー制作者は『記録者』なのか『表現者』なのか、この葛藤は番組をつくるたびに私のなかで起こります」
 ここにはぎりぎりまで対象に肉薄していきながらも、その対象とのあいだに必死に距離を保とうとする人々のすさまじい戦いがある。迫力に満ちた見事な一冊。 (2001/6/8)

第19回 注目! 日本の作家によるYAシリーズ

 これまで翻訳書一本でやってきた青山出版社、日本の作家によるヤングアダルトのシリーズをスタートさせた。トップを切ったのは若手ふたり。
 まず伊藤たかみの『アンダー・マイ・サム』。文句なしにすごい。中上健次の『十九歳の地図』、軒上泊の『九月の空』といった作品をつい連想してしまった。右の眉毛の端から唇の横辺りまで一直線に続く鋭く長い傷を持つ少女、閉じこもりきりの兄を持つ少年、異様に長い左手の親指を持つ少年(主人公)。これらの人物が描き出す物語は、いびつにゆがんだ暗く切ない色の肖像画のようだ。それが信じられないくらい強く迫ってくる。
「色んなものが煙のように消えた十七歳という季節から、一刻も早く別れを告げたいと思った。十七歳であることを憎んだ」
 ストライクゾーンにこれ以上はないというほど低く決まった豪速球のような作品。
いっぽう野中柊の『小春日和』は、ゆるく弧を描いてすっぽりミットにおさまったスローカーブ。舞台は70年代の逗子。双子の姉妹(小春と日和)はタップダンスの才能をみとめられてテレビのCMに出ることになり、そのせいでまわりも自分たちも少しずつずれ始めるけれど、最後にはバランスよくすべてがおさまっていく。大事件が起こるわけでもなく、だれかが死にたいと思い詰めることもない。物語は、小春と日和の軽いタップのリズムにのって、心地よく小気味よく進んでいく。ここにあるのはストーリーの面白さではない。読むこと、ひたること、その楽しさである。そう、高野文子のマンガのように、何度も繰り返し読みたくなる不思議な魅力がある。
 さてこのシリーズ、嶽本野ばら、桃瀬葵、篠原一といった若手の作品が続く。注目!(2001/7/13)

第20回 構成力が魅力、サブカル評論

 このところアカデミックで読みやすく面白い評論、エッセイが次々に出ているような気がする。たとえば大学生に大人気の作家としては『美人論』の井上章一、『もてない男』の小谷野敦、ちょっとはずれて『われ笑う、ゆえにわれあり』の土屋賢二あたり。そして『松本人志ショー』の阿部嘉昭もそのうちのひとり。
 彼の最新作は99年度後期、立教大学で行われた「サブカルチャーについての講義」の草稿をまとめたもの。一回の講義につきおよそ原稿用紙で50枚以上のものを用意しておいて、実際の授業は学生の顔色をうかがいながら内容の取捨選択を行い、アドリブをまじえ、ライヴ感覚たっぷりに進めていったらしい。その草稿をまとめたのがこれ。
 ジョン・レノン、ニール・ヤング、ダイエット・ネットワーク、大島弓子、ニューエイジ、AV映像、やまだないと、中森明菜、浅井健一といったまさにサブカルチャーの表層に突出した現象を(ある意味)社会学的に扱いながら、ロラン・バルト、稲垣足穂、ルイス・キャロル、柄谷行人、ラカン、バルト、デリダといったコアな部分で遊び、榎本加奈子、アグネス・ラム、シューマン、つげ忠男、鈴木翁二、ジャンゴ・ラインハルトあたりで幅を広げ、さらに通奏低音のように「声」「歌」「女性性」「悪」「廃墟」という概念を響かせる……という構成が魅力的だ。通常、無批判に見過ごしている現象を新しい角度から解釈し直す手際のよさ、日常、うすうす感じてはいるけれども意識にまでのぼってこない曖昧な直感を明快な言葉に現像してしまう鋭いセンス。そしてそれらを支える、広い知識と柔軟で強固な論理性。文系の学生には絶対におもしろいはず。
 若者向けの棚には平積みの一冊でしょう。いや、この手の本のコーナーも作ってほしい。(2001/8/10-17(合併号))

第21回 ミステリファンにおススメのガイドブック

 集英社の「青春と読書」の九月号に宮部みゆきと清水義範の対談が載っていて、そのなかで宮部がマイクル・リューインのハードボイルドについて語っている。「アルバート・サムソンという私立探偵が、やっぱりお金の心配、ご飯の心配、それから離婚した奥さんとの間にできた娘の心配をしながら、事務所の看板を掲げるのに電気代がこれぐらいかかって、とか気にかけながら、きわめて日常的な事件を引き受けるんです……」
そのくせリューインの作品は面白い。これがフィクションの魅力だろう。
 その対極にあるのがこの『KGBの世界ガイド』。アメリカCIAのライバルであるソ連の国家保安委員会KGBのベテラン・スパイたちが、諜報活動のために滞在した都市での想い出をつづったガイド風の手記だ。取り上げられているのはロンドン、ベルリン、ワシントン、バンコク、パリ、ほか五都市。各地の特徴や風俗や料理の話をまじえながら、各時代の様々な事件やエピソードが語られていくのだが、どれもが意外と平凡で、そこが妙にリアルなのがおかしい。バンコクで「中国人民解放軍参謀本部の文書を売りたい」とやってきた謎の中国人との取り引きも、ばかばかしいほど簡単にネタが割れておしまいになってしまうし、東京で有力者と思われる「ホールの真ん中に威厳のある態度でたっている若いエレガントな日本人」は調査が進むうちに「寿司屋の主人」だったことが判明するし……
 みんな身分を隠しながら仕事にはげみながらも、派遣された街が好きみたいだ。なんかしみじみとした気分にひたってしまった。たまにはこういうガイドブックがあってもいい。
 若者に限らず、ミステリファンにはぜひ一度読んでほしいと思う。(2001/9/14)


last updated 2004/2/23